びぼ6号 昭和50年11月20日発行

 町内に三つになる子が死んだというので、通夜に人びとが集まった。見ると、その家の軒下から人魂がフワフワ・・・・・・。
「あれあれ、あの子の人魂だ」
「一つ、二つ、三つ・・・・・・おや、まだまだ出てくる。こりゃ、いってぇどうしたことだ」
 熊さん、八っつあんががやがややっているところへ隣のご隠居さんが来た。
「ご隠居さん、奇態なこともあるんだねェ。こりゃどういうわけですかねぇ」
と訊けば、ご隠居すこしもあわてず答えた。
「昔からのう、三つ子の魂百までというんじゃ」
と、このようなお話は、江戸の昔の暢気な時代のこと。
 テレビ時代の近頃ともなれば、人間の一生は三歳できまるなどと、幼児心理学ばやりのあれこれと知ったかぶりの取沙汰(とりざた)が賑やかなことである。
「人間なんてのはなあ。持って生れた天性の素質なんだよなあ。素質をめっけて育ってゆくのに、知恵やら手をかしてやるのが、親やら先生のつとめというもんさ」
と、頑固に言い張るのは、当方の横丁のご隠居さんである。
 深い秋も終ってそろそろ冬の風が背筋にしのびこむ今日この頃だが、珍しく暖かい小春日和の日曜日の午後。二階建木造アパートに三方を囲まれた町の児童公園に、ご隠居さん例によって今や秘蔵っ子の孫娘を抱いて現れた。もうすぐまる一年の誕生日とあって、公園までの三百米ほどの道のりは、ベビー車を押しての散歩。
「重くなっちゃってねぇ、とても抱いての散歩はむずかしくなりましたな」
 膝にかかえて、ブランコ乗りをしばらく楽しんでから、ベンチにつかまり立ちして「アワアワ・・・」とごきげんな彼女をそっと片手で支えながら、ご隠居さんのいつもの孫自慢がはじまったものである。
「この娘の両親・・・・・・つまりわしの娘夫婦だがね。これのそもそもの出会いってぇのが、学生ン時からのコーラス・クラブでね。亭主ってぇのが、うちの娘に二重も三重も輪をかけてのきちがいだね。趣味は酒と歌うたいしかないって東北生れの男だ。たしかに、いい声しているねぇ・・・・・・あんまり気にいらねえムコ殿だがね。まあ、この娘(こ)の父親だからがまんしているようなもんだあな・・・アハハ」
 両親が歌きちがいだから、この孫娘には天性の音楽的才能が素質としてそなわっているんだと、ご隠居さんはいいたいらしい。
「人間一生が三歳できまるなんてぇのは、全くの暴論だな。人間一生の間、毎日、毎月、毎年と、いくつであっても成長するんで、三歳でも、十五歳でも三十歳でもきまりはしないというもんだ。わしなんざあ、これからこの娘といっしょに、ピアノを習おうというんだからね。あと十年もしたら、ピアニストとしてデビューするかもしれんテ・・・」
 いやはや、ご隠居さん、孫娘に触発されてか、まことに意気軒昂たるもの。
「でもねぇ、ご隠居さん。むかしから、それいうじゃありませんか。三つ子の魂百までって・・・・・・」
「なあに、ありゃ語呂あわせだよ。ふた子じゃおかしいし、五っ子でも変だろ。それで三つ子というんでね。なにも三歳児というわけじゃないな。それを近頃の学者づらした評論家どもは、語呂あわせに辻つま合わせをやってんじゃないかね」
 近くでいきなり犬の喧嘩が始まって、すごい声。ごきげんで「アワアワ・・・」とやっていた彼女は「わっ」と叫ぶと、ご隠居さんめがけてヒシと抱きついた。ご隠居さん、いやその早いこと、早いこと、さっと抱き上げるとすっくと立ち上がって、
「おお、よしよし、こわくない、こわくない」
 ご隠居さんなどと呼ばれて脂(やに)下がっているようなご仁じゃないね。この調子だと、案外ピアノも、結構ものにするかもしれない(かげの声・・・・・・オートコードつきのエレクトーンにした方がいいんじゃない?)
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