Remothering

 初めて彼を知ったのは、配属前に教団から提出された資料だった。ギアス能力者、しかも幼少時から暗殺を繰り返していたという。正直同情を禁じえない経歴だが、同時に表情を映さない凍りついた瞳が空恐ろしかった。
 実際に逢ってみると、外見上は柔らかく、笑顔が人懐こくも思える普通の少年のように見えた。今思えば、あの笑顔はただの作り笑顔で目が笑っていなかったのが良く分かるのだが、当時はただ、こんな弱弱しい少年に暗殺稼業が務まるのかと、ゼロの始末を任せて良いのかと多少不安に思った程度だった。

 彼がギアスを使って人を殺すのを見たのは、それからそう日も経たないうちだったように思う。ギアスに関する機密文書を誤って開いた隊員は、私が何を思う間もなく殺されていた。気付いたら死んでいる、その表現が正しい。殺された本人も何かを感じる隙はなかっただろう。
 その様を目の当たりにして、私は凍りついた。振り返った少年の瞳は美しく透きとおり、口元にはうっすらと笑みを浮かべている。返り血を浴びた彼は残虐な死神というより、無慈悲な天使に見えた。背筋が寒くなる。いつ自分が餌食になるかも分からない。それもほんの一瞬のうちに、気付いたら人生が終わっていた、そんな日は今日か明日か。私は彼が恐ろしくてたまらなかった。
 同時に気付いた。彼は私に付けられた枷である。教団がギアスの謎を知る私を生かしておくのは、彼が側にいるからだろう。彼がその気になれば、いつでも殺すことができる。だからこそ、大目に見られているのだ。
 彼は羊の群れの中の一匹狼だった。

 そんな彼が、本当はただの寂しい子どもだと分かったのはいつだったろう。
 そしてそれは、彼がルルーシュの偽りとはいえ弟を演じるうちにはっきりと浮かび上がってきた。

 ルルーシュの監視を始めて、1ヶ月も経たない頃のことだ。監視を始めた当初はそうでもなかったのに、この頃からロロはあからさまにルルーシュに触れられることを厭うようになった。それでもかまわず手を伸ばすルルーシュの手をロロが振り払う。そのような様子が日常にたびたび起こり、それは監視上も見て取れた。
「ロロ、疑われるような行動は慎め。おとなしくなでられておけば良いものを、何故手を振り払うんだ。この間までそんなことは無かっただろう」
 次第に目に余るようになってきたロロの行動を、ヴィレッタは立場上いさめなければならなかった。
「最近ではルルーシュが『ブラックリベリオンのとき恐い目に遭ったんじゃないか』と心配しだしたらしいじゃないか」
「はい。分かってはいるんですが・・・その、恐くて」
「恐い?何がだ」
「兄さんはいきなり触ってくるから、その・・・」
 ヴィレッタはため息をひとつつくと、俯きがちなロロに歩み寄り彼の両肩を掴んだ。
「おい、ロロ」
「あああーっっっっ」
 動揺したロロは奇声をあげると、その場に座り込んで頭をかかえた。
「悲鳴を上げることはないだろ!」
 あせったヴィレッタは赤面して言った。
 今まで見て見ぬ振りをしていた他の機情局のメンバーが一斉に振り向く。うち1人が代表と言わんばかりに声をかけた。
「・・・何したんですか?中佐」
「肩に手を置いただけだ!」
 ロロは相変わらず丸くなって震えている。ヴィレッタは諦め顔でその横にしゃがみこみ、ロロの顔を覗きこんだ。動揺がおさまるまでしばらく待って声をかけてみる。なるべくやさしく。
「・・・ロロ」
 涙目の紫の瞳がわずかに覗く。惹き込まれそうな綺麗な瞳だ。
「何が恐いのか教えてくれないか」
 また、瞳が隠れてしまう。
「ロロ」
「・・・分かりません」
「そうか。・・・分からないのならしょうがないな」
 今まで観察してきて分かったことがあった。ロロは情緒が幼なすぎる。全く育っていないと言って良い。だから、自分の感情を言葉にすることができなくても不思議はなかった。
「自分から触れるのはどうだ?それも恐いのか」
「・・・触れられるよりは、ましだと思います」
「そうか、ならルルーシュには自分から触れるようにしろ。それから同時にあやまると良い」
「ごめんなさいって?」
「そうだ。だが多少は我慢もしろ。それから」
 ヴィレッタはロロの前に手を突き出した。
「練習だ。触ってみろ」
 ロロは戸惑ったようにヴィレッタの手と顔を見比べた。
「ほら」
 仕方なしにロロは自分の手を出すものの、ほんのわずかにヴィレッタの手に触っただけで引っ込めてしまった。
 ヴィレッタはため息をつくと言った。
「これからしばらくは毎日少しずつ練習だな」
「・・・僕はその」
 俯きがちにロロが口を開いた。
「優しくされることにも慣れてなくて」
 ヴィレッタは一瞬ロロの頭をなでてやりたくなったが、さっきの悲鳴を思い返して思いとどまった。
「無理しなくて良い。少しずつ慣れて、自然に見えるようになれば問題はない。しばらくは反乱後の動揺だと思わせておけば良い」
「・・・はい。あの」
 ロロは顔をあげると、立ち上がったヴィレッタを見つめて言った。
「ありがとうございます」
「気にするな。お前の世話も仕事のうちだ」
 ヴィレッタは優しくロロに微笑みかけた。

 それからしばらくしてようやくロロは人に触れることにも慣れ、多少ぎこちなくはあるがルルーシュと仲の良い兄弟を演じることにも慣れてきた。
 次第にロロは屈託のない笑顔を見せるようにもなり、正直、私はそれを見て嬉しかったし、ほっと胸をなでおろしたのだった。機情局の中には監視対象に馴れ合うのを問題視する向きもあったが、もともとロロの役割は「仲の良い兄弟」を演じてルルーシュに妹の不在を感じさせないことだったから、問題はないと感じていた。監視当初のようなぎこちなさではいつバレるか不安だったし、いちいちロロをフォローするのも面倒だったからだ。
 それに、硬く心を閉ざして不幸そうにしていた少年が暖かく微笑み、それまで縁のなかった学園生活を曲がりなりにも送っている。それはとても喜ばしいことのように、私には思えたのだった。

 しかし。その過程がこんな結果を連れてくるとは。
 ロロが眉をしかめてヴィレッタに銃を突きつけている。とうに記憶を取り戻していたらしいルルーシュはロロをいつの間にか篭絡していたらしい。
「兄さん、後は僕が」
「ああ、頼んだぞ」
 ルルーシュが部屋を出て行き、ヴィレッタとロロの2人きりになった。
 ロロが銃を下ろす。ヴィレッタは気が抜けて椅子に座り込み、頭を抱え込んだ。
「・・・いつから記憶が戻っていた」
「バベルタワーの事件から。」
「お前はいつ知ったんだ」
「ショッピングモールの爆破騒ぎのとき」
「・・・そうか」
「処刑騒ぎのときヴィンセントに乗っていたのは僕です」
「なるほど」
 ヴィレッタはため息をつき、自嘲気味に笑った。
「まんまとあのペテン師にしてやられたな。それに、我々はお前の監視を頼り過ぎていた」
 ロロの表情が少し曇る。
「気にするな。指揮官として自分がなさけないだけだ。で、奴は我々にどうしろと」
「枢木の件もありますし、しばらくは今のままルルーシュの監視を」
「・・・しているふり、か」
「それと、現在残りの監視は皆ルルーシュのギアスの影響下にあります」
「妙だな。奴は何故私にもギアスを使わない?」
 ロロに視線を移す。無表情のままロロは咎めるような口調で言った。
「知りたいですか?」
「いや・・・そうか。」

 それで合点がいった。理由は分からないが、奴のギアスは私には無効なのかもしれない。だとすれば、私はルルーシュに対する切り札になり得るのだ。だからこそ、今まで生かされてきたのだろう。

「C.C.は総領事館に居ます。先日確認しました。今ならまだ引き返せますよ。ルルーシュを殺してC.C.を捕獲すれば良い」
「・・・そして、その後私はお前に殺される」
「気付いていたんですか?」
「薄々とな。お前がゼロについた場合、私を殺さなくて良いのか」
「彼がそれを望まない限り」
「・・・ということは、この展開は私にとっては福音なのかもしれないな」
「あなたは他にも黒の騎士団に知り合いがいるようですし、彼もあなたを殺すようなことはないでしょう」
「どうかな。もう一人の知り合いからは恨まれている可能性もある」
「それにブリタニアと違って彼らには有効な駒を切り捨てる余裕があるとは思えません。今は機情の身分に利用価値がありますし」
「役に立つようなら切り捨てられる可能性は低い、か」
「はい」
 諦めたように遠くを見た後、ヴィレッタはロロに向き直った。
「私のことはいい。しかし、お前はいいのか?組織を裏切るようなことをして」
「・・・どうなんでしょう」
 ロロは視線を下に落とし、不安そうな表情をした。
「何が起こるかは分かりません」
「恐いか?」
「はい、少し。でも」
 ロロは言い淀み、か細い声で続けた。
「今のままでは何も変わらないと・・・また1年前に戻るだけだと、分かったから」
「お前はこの1年で大分変わったからな」
「分かりますか?」
「あたりまえだ。毎日見続けて来たんだぞ」
 ヴィレッタは立ち上がってロロに近づくと、俯いているロロの頭を優しくなでた。
「ずいぶんかわいらしくなった」
「かわいらしく・・・ですか?」
「ああ。それに、触れられても平気になったのだな」
 ヴィレッタはロロの頭を抱き寄せた。
 ロロが少し居心地悪そうに身体をよじる。
「・・・あの、先生」
「何だ?」
「胸が・・・当たるんですけど」
 特に照れるでもなく言われた言葉に、ヴィレッタは思わずふきだした。
「何で笑うんですか」
「いや、お前らしくないなと思って」
「こういうことは気にしないといけないのかと・・・」
「かわいい奴め」
 ぐりぐりとロロの頭をこねくりまわした後、ヴィレッタはロロを優しく抱きしめた。
「1年前に戻りたくないのだな」
「戻りたい気がすることもありますよ。あの頃は楽でした。あの頃の僕には何も無くて、嬉しいことも楽しいことも知らなかったけど、その代わり辛いことも苦しいことも寂しいことも知らなかったから。知ってしまったら、もう、戻れないのかもしれないけれど」
「知るのは恐いか?まだお前は優しさが恐いのか?」
 ロロはヴィレッタの腕の中で首を振った。
「でも人の痛みが分かるようになれば、人を殺せなくなるんじゃないかと思って」
「それが人というものだ、ロロ。人の痛みを感じながらも人殺しを続ける、国家のため誇りのためいろいろな理由をつけてな。そういう浅ましい生き物だ。人間と言うものは」
「・・・人を殺せない僕に存在意義なんかあるんだろうか」
「少なくとも私は、あの男の弟だったり、学園の生徒だったりするお前の方が好きだぞ」
 戸惑い気味に見上げてくる大きな紫の瞳に微笑みかける。
「お前はお前のままそこに在れば良い。それだけで充分だ」
「・・・そんなことを言ってくれるのは、あなたと、記憶が戻る前の兄さんだけですよ」
「他にも必要なのか?」
「いいえ」

 しばらく腕を伝わってくる子どもの熱を感じながら、ヴィレッタは思いついたように言った。
「そうか、お前はこの1年でやっと人として生まれたようなものだな。ちょうど1歳か。そうだ、私の子どもにならないか?」
「何を言うんですか、いきなり」
「良い考えだと思うんだが」

 お前が私の子どもになったなら。もう一度初めからやり直してやれるのに。
 (End) 




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