・この文章はR-15指定です。
グロテスクな表現もありますので、苦手な方はご遠慮ください。




 意識が拡散する。
 自分とそれ以外との境が曖昧になる。

 痛みを与えられれば自分にまだ肉体があったことを思い出しはするものの、その痛みに何がしかの反応を示す方法をすっかり忘れてしまった。

    ―――ロロ

 どこか遠くから、自分を呼ぶ声がする。
 優しい声。懐かしい声。

 あれは?

    ―――ロロ

 優しさをくれた人。
 愛とは何か教えてくれた人。
 命に代えても守りたい人。
 僕が生きる理由。

 それとも?

    ―――ロロ

 約束をくれた人。
 人肌のぬくもりと
 僕が僕であるための核をくれた人。

 ごめんなさい。

 やっぱり、僕は



 もう、あなたを待っていられそうにない―――






奈落の底の花


 部屋に入った途端のむせ返るような血の匂いに、さすがのスザクも一瞬たじろいだ。大きな血溜まりの中央にある白い塊がヒトであることに気付くのにしばらく時間がかかり、また、それが顔を知る人物であるのに驚いてスザクは眼を見開いた。
 一糸纏わぬ姿でうずくまったロロの昏い赤みを帯びた紫の瞳がこちらを向く。一瞬眼が合ったかと思う間もなく、ロロはのろのろと反対側を向いてしまった。
「・・・何をなさっているのですか?」
 服や長い髪が汚れるのにも構わず静かに立っているV.V.に問いかける。
「何って、お仕置き」
 ゆっくりV.V.がこちらを向く。口元は薄く笑みを帯び、紅の瞳は相変わらず冷たかった。
「でも、この出血量では・・・」
「大丈夫だよ、死なないから」
 V.V.が再び背中を向ける。
「彼はまだ死ぬことを許されていないのさ」
「・・・・・・」
「ねえ、スザク。許せないよね。ルルーシュはとっくの昔に記憶を取り戻して、ゼロとして復活しているんだ」
「え?」
「彼はずっと僕たちを騙していたんだよ。ルルーシュの記憶が戻っていない振りを、小細工までして。僕たちを裏切っていたんだ」
 ふと、ロロが瞳を覗かせてV.V.を睨んだ。それを見たV.V.はロロに近づいてかがむと、ロロの顎を持ち上げて顔を覗きこんだ。
「何を怒っているの?ロロ」
 V.V.の顔に酷薄な笑みが浮かぶ。
「シャルルに言わないって約束はしたけど、スザクに言わないって約束はしていないよね?」
 ロロの口元から暗紅色の血が流れ出る。無理に開けられた口の中は全体が血の色に染まっていて、その様にスザクは違和感を覚えた。
(舌が、ない?)
 スザクが顔をしかめる。ふいにV.V.がこちらを向いて言った。
「ああ、大丈夫だよ。じきに元に戻るから。ほら」
 V.V.がロロの顔の横の髪をかきあげる。
「ここはもう治ってきてるでしょ」
 見ると耳朶がない。が、血に染まったその部位に白い塊が生え始めているようにも見える。グロテスクな様に、スザクは胃液がせり上がるのを感じて後ずさりした。
「そういう生き物なんだ。これは」
 V.V.はロロの耳に指を這わせ、ふふと楽しそうな笑い声を上げて、歌うように言った。
「後でもう一度削いであげるね」



「何しに来たんですか?」
 仄暗い部屋の片隅で壁に寄りかかり、片膝を立てて座っていたロロは、ゆっくりとこちらに顔を向けるとつまらなそうに言った。身に着けているのは右足に金色の枷と鎖だけという姿で、枷がこすれたのか、白い足首に血がにじんでいるのが生々しい。
「ご挨拶だな。昨日の様子が心配だったから見に来てあげたのに」
 ロロは小さくため息をつき、頭を横の壁にもたれかけた。
「余計なお世話ですよ」
 スザクは近づいてかがむとロロの顔の横の髪をかきあげた。小振りできれいな耳朶には傷ひとつない。
「僕が切り刻んでも元に戻るのかな?」
 指でロロの耳朶をもてあそびながらスザクは言った。
「気になるのなら、試してみたらどうですか」
「そうだね」
 スザクは立ち上がると後ろを向いて少し距離を取り、服を脱ぎ始めた。ばさっとマントが落ちる。
「何を?!」
 それを見たロロは動揺して後ずさった。
「だって、気になるだろ。ルルーシュと君がどうゆう関係だったのか」
 とっさに逃げようとしたロロは、枷に繋がれた鎖を引かれて転んだ。その上にスザクが覆いかぶさり、肩口を手で、下肢を脚で押さえつける。
「逃げようとしても無駄だよ。君は繋がれているんだから」
 何とか抵抗を試みるものの、ロロは組み伏せられて身動きができない。
「素直じゃないなあ。君だって抱かれたいくせに」
 スザクの指が秘孔を刺激する。すんなり受け入れる様に、スザクはやはり、とため息をもらした。
「ほら。身体は素直だね」
 恥辱に歪む顔は紅潮して、スザクの征服欲に火を灯す。
 もう片方の手でロロの頭を鷲づかみにすると、スザクは乱暴にロロの唇を奪った。
「触るな!」
 口付けに溺れそうになった自分を叱咤して、上体を腕で何とか引き離し、ロロが叫ぶ。
「キスの仕方が似てるだろ?当然だよ。だって、俺が教えたんだからさ」
 ロロは傷ついたような顔ではっとする。
「SEXだってそうだよ。試してみる?」
 スザクはロロの首筋に顔を埋めた。
「優しく触られたら思い出すだろ、ルルーシュを」
 スザクの手がロロを煽る。
「溺れてしまえばいい」
 ロロは誘惑に耐えながら、声を絞り出した。
「・・・こんなことをして、あの人に叱られますよ」
「大丈夫。許可はもらってあるから」
 愕然として息を呑むロロにスザクはにっこりと笑いかけた。
「可哀想なロロ。僕が慰めてあげるよ」



「毎日来るなんて、暇なんですねラウンズ様は」
 いつも通り壁に寄りかかって、視線も合わせずつまらなそうにロロは言った。
「あなたなら他にも選り取り見取りでしょうに、どうしてこんな哀れな虜囚のところに通ってくるんですか?」
「・・・それが一番彼の、ルルーシュの怒りを買う行為だからだよ。当然だろ?」
「あなたは彼の怒りを買うためなら何でもするんですか?まさか、彼の聖域に手を出したりしないでしょうね」
 ロロが横目でスザクを睨む。
「さあ、どうしようかな」
「そんなことをしたら、もう許してはもらえませんよ」
「でも、それも魅力的だよね」
 スザクは近づいてロロを見下ろした。
「心配かい?ナナリーが」
「僕が心配なのは、彼女を失った後の兄さんですよ」
「そうだろうね」
 スザクはロロの横にかがむと、挨拶代わりに軽くキスをした。
「どうせなら、嘘でも『好きだから』とか『愛してるから』とか言ってみたらどうです?」
 吐息がかかりそうな位置でロロが言う。
「君こそ、『寂しかった』とか、『待ってた』とか言ってみたらどうだい?」
 ロロは切なげな顔で眼を伏せると、顔を逸らせた。
「まあ、僕は他にすることもないですから」
 スザクはロロの横に座り込み、壁にもたれる。
「でも、明日からはもう来ないよ。またエリア11に出張だから」
 それを聞くとロロは顔をこちらに向け、驚いたように僅かに眼を見開いた。
「うらやましいかい?連れて行ってあげようか」
「別にうらやましくなんかないですよ。・・・僕はもういいんです」
 ため息交じりにロロは答えた。
「ああ、そうだ。今日は服が汚れないように気をつけたほうがいいですよ。・・・血が止まらなくて」
 見ると、ロロの左手首に一筋切れ目が入り、そこから血が流れ出て細い川を作っている。
「自分で切ったの?」
「まさか。そんなことは許されていませんよ」
 ふうん、と覗き込んでスザクはその左手首を取ると自分の口元に近づけてロロの血を舐め取り、さらに血を吸い上げた。
「あんまり飲むと身体に悪いかもしれませんよ。元々いろいろドーピングされてるし。毒とか麻薬とかも効かないように耐性をつけられてるから」
 それで小柄な割に力が強いのか、とスザクは納得した。
「君の血を飲んだら不老不死になったりしないのかな?」
「僕は所詮しもべです」
 ロロは何を言い出すのやら、という顔でスザクを見た。
「なりたいんですか?なら、V.V.と契約したらいいのに。そうしたら、ルルーシュと同じになれますよ」
「しないよ、僕は。それは僕の主義に反するし、それに」
 スザクは空いている方の手でロロの頭を撫でた。
「君を見ていたらそんな気にはならないな」
「そうかもしれませんね」
 ロロが自嘲気味に笑った。
 スザクは白いハンカチを取り出すと、それを細く千切り、止血のためにロロの左手首に巻いて縛った。ロロは結ばれた布をめずらしいもののように眺めて、右手でいじっている。
 その様子を眼を細めて眺めながら、スザクはロロの肩に寄りかかった。茶色いくせ毛が顔に当たるのを感じて、ロロがスザクの方に眼を向ける。
「あなたも大概、可哀想な人ですね。地位も名誉もありながら、何が不足なんですか?」
 スザクは答えない。
「僕なんかに縋っていると、じきに後悔しますよ」
 ロロの声は何故か、とても悲しそうだった。





 出張を終えて戻ったスザクはその足でロロの居た部屋へ向かい、扉を開いた。ところが、そこにあったのは仄暗い闇だけで、どこを探してもロロの姿を見つけることはできなかった。慌ててV.V.を探して問いかける。
「ああ、あの子?あの子は壊れちゃったから」
 だからもうあの部屋には居ないよ、とV.V.は事も無げに言った。
「それでも君が居る間はよく保っていたんだけど、君が居なくなってからはあっけなかったな」
 胃が鉛を飲み込んだように重くなるのをスザクは感じた。
「シャルルに言って君の出張をやめにしてもらえば良かったね。そうすればもう少しは楽しめたのに」
 V.V.が冷たく笑う。
「でも、あの子は良くもった方だよ。もう10年だし。それに、彼はルルーシュの所へ送る前にもう限界に近かったんだ。ルルーシュのおかげで1年と少し延びたくらいで」
 スザクが拳を握り締める。
「本当に、ヒトというのは脆いね。すぐに壊れてしまう」
「・・・壊れたのではなくて、壊したのでしょう。あなたが」
 ふと、V.V.は振り返り、スザクを仰ぎ見た。
「相変わらず君は、恐れというものを知らないね」

 軽口を叩きながらもロロの精神は崖っぷちで、本当は毎日、僕が思う以上に僕が来るのを待ち焦がれていたのかもしれない。仄暗い部屋でたったひとり。虐待者が来るのを待つだけの日々。それを思い知った。
 壊れる前に連れて逃げれば良かったのだろうか。連れ出して返してやれば良かったのだろうか。彼が本来あるべき場所に。彼が心から愛した兄の元へ。
 しかし、そんなことは許されていなかった。そして、全てを捨ててまで彼を救おうとするほどの勇気を、持ち合わせてはいなかった。
 どうしようもなかったのだ、と自分に言い聞かせても、どうしてあの時わかってやれなかったのかという気持ちが捨てきれない。重石を置かれたように、心が圧迫される。
 別れ際の様子が思い出された。



「出張って、長いんですか?」
「長くても、1ヶ月くらいかな」
 そう、とロロは寂しげな顔をした。
「また来るよ」
「もう来なくていいですよ」
 スザクはロロに近づくと別れのキスをした。
「そんなことを言わずに、また来るから、待っていて」
「多分、もう来る必要はないですよ」
 ロロは悲しそうに微笑み、そう言った。

 『来る必要がない』とロロは言った。それは、『そんなに長く保っている自信がない』という意味だったのだろうか。



「ロロは今、何処にいるのですか?」
 V.V.に問う。死なないのであればまだどこかに居るのかもしれない、と僅かな望みを託して。
「気になるの?・・・ああ、そうか。君はあの器に執着があるんだね」
 V.V.がスザクの方へ向き直る。
「欲しいのなら、あげるよ」
 スザクははっとして、顔を上げた。
「・・・よろしいのですか?」
「いいよ。でも、退行が酷くて言葉も話せないし、ギアスの使い方も忘れてしまっていて、何の役にも立たないよ」
「ありがとうございます」
 彼が彼である限り、そんなことは瑣末な問題としか、スザクには思えなかった。





 嚮団施設を隅々まで探し回って、やっと倉庫のような場所で人形のように座り込んでいるロロを発見し、スザクは走り寄った。手術着のようなものを見につけている。
「ロロ」
 呼びかけてみるが、何も反応がない。
「ロロ?」
 かがんで顔を覗きこむ。大きな菫色の瞳は開いているもののまるでガラスのよう。茫洋として焦点が合わず、無表情な顔と合わせると本当に人形のようだった。それでも彼を見つけたことに安堵して、スザクは息を吐いた。
 痛ましい様子に胸が痛む。ふと、左手に何かを握り締めているのに気付いた。見ると、左手首にはまだ薄汚れたあの布が緩く巻かれていて、その布の端をロロは握り締めていた。
「ロロ、約束通り会いに来たよ。僕が誰だか分かる?」
 反応はない。
「ねえ、ロロ。ルルーシュは、君がいなくなって本当に心を痛めていたよ。本当にね」
 気のせいか、『ルルーシュ』、という言葉にロロの瞳が微かに揺れたような気がした。
 スザクは手を伸ばしてロロの髪を撫でてから、そっと、ロロの唇に口付けた。舌を口腔に無理に挿しこんでみたものの全く反応は返ってこず、唾液がロロの口端から流れ落ちた。落胆し、唇を離してため息をついたとき、ふとロロの瞳が動いてこちらを見た。戸惑うように口が開く。
「ル、ルーシュ?」
(そうか、君は、こんなになっても彼のことだけは覚えているんだね・・・)
 嫉妬の黒い霧が心を覆う。
「そうだよ。僕がルルーシュだよ」
 ロロは、蕾がほころぶように小さく笑った。


 そのまま愛でるもよし。ルルーシュに見せて反応を見るもよし。
 思いがけず手に入った切り札を抱きしめて、スザクはそっと微笑んだ。

(END 2008.06.22)



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