すべての嬰児は母の腕に抱かれて


「うわあ、ちっちゃい!」
 ヴィレッタの腕に抱かれた新生児を見て、ロロは驚きの声を上げた。
「そうか?これでも3000gはあるからな。他の子と比べると目立って大きいんだが」
 我が子を愛しげに見つめてヴィレッタは言った。
「それに、こんな大きな物が自分の腹に入っていたと思うと、不思議な感じだな」
 ロロが大きな菫色の瞳をさらに大きくして、真っ赤な顔をした嬰児を覗き込んだ。人間というより、猿みたいに見える。
「かわいいだろう。目元なんか、要さんにそっくりなんだ」
「えっ?」
 小さな娘が可愛くて可愛くてしかたないという風のヴィレッタにそう言われて赤子の顔を見直してみるものの、彼女の旦那と目元が似ているのかどうなのか、ロロには全く判断ができなかった。
「ちょっと、抱いてみたらいい」
「遠慮します。慣れていないですし」
「いいから、可愛いぞ」
 半ば強引に渡された物体に、ロロはあわてふためいた。
「うわあ、軽い」
 首が座っておらず、ぐらぐらする頭がおっかない。落としたりしたら大変だ。妙にどぎまぎしてしまう。
「可愛いだろう」
 そう言って微笑むヴィレッタは砂糖をまぶしたように甘い顔で、ただただ娘に見入っている。小さな娘にすっかり夢中になっている様子を見て、ロロは少しだけ腕の中の子どもがうらやましくなった。
「恐いから返します」
 おっかなびっくり子どもを返すと、ロロほほっと息を吐いた。満腹なのかすやすやを眠っている嬰児を、ヴィレッタはベッドサイドのケースの中に寝かせると、自分は斜めになっているベッドに横になる。それでも、幸せそうな視線は我が子に注がれたまま。
 長居をするのも悪いので、ロロは挨拶をして立ち去ろうとした。
「じゃあ、僕はこれで・・・」
「ロロ」
 ふいにヴィレッタがロロを見て言った。
「お前も生まれた時は、この子のように母の腕に抱かれていたんだ」
「そんなこと」
 分かるわけが・・・
「分かるさ。なぜなら、お前は今生きているだろう?新生児は母に捨てられたら死んでしまう生き物なのさ」
 小さくて無力で。泣いて空腹を知らせ、腹を満たしてまた眠る。それしかできない嬰児にロロはもう一度眼を向けた。
「それに、妊娠するっていうのは結構大変なんだぞ。お前も見ていただろう」
 つわりでつらそうだったり、びっくりするほど大きなお腹を重そうにかかえて歩いていたヴィレッタをロロは思い出した。
「つまり、お前は生まれる前には40週近くも、母の腹の中で大事に育ててもらっていたんだ。大体、産むときはそりゃあたまらなく痛いんだ。今まで経験したことがないほど痛いんだ。それでも」
 ヴィレッタはすやすや眠る我が子を見て微笑んだ。
「そんな痛みは吹き飛ぶくらい、嬉しいのさ。自分の子どもに会えるということは」
 ヴィレッタがロロを見て手を伸ばす。
「ロロ」
 呼ばれて近づくと、優しく頭を撫でられた。
「母に大事に産んでもらったその命、ちゃんと大切にしろよ」
 今まで数えきれない命を終わらせてきた自分を思い、ロロは心が軋むのを感じた。
「・・・でも、僕は・・・」
「そんな顔するな。お前がしてきたことを責めたい訳じゃないんだ。しょうがないじゃないか。だって、そうしなければ生きてこられなかったんだろう、お前は」
 ヴィレッタはロロの頭を引き寄せると、自分の額を彼の額に押しあてた。
「ただ、今少しでも心が痛むなら、これからはちゃんと自分の命も、他人の命も大事にしなさい」
 そんな風に思うことが、自分に可能なんだろうか。ロロは少し疑問を感じずにはいられない。
「返事は?」
「はい、先生」
「よろしい」
 ロロを解放して、ヴィレッタは優しく笑う。ロロは照れくさく、少しくすぐったかった。
 と、急にベッドの周りのカーテンが引かれ、彼女の旦那が現れた。
「なんだ、ロロ。来てたのか」
「お邪魔しています、扇さん」
「うちの娘、可愛いだろう。きっと千草に似て美人になるぞ。見ろ、そっくりだ」
「要さんたら」
 扇の方も嬰児を覗き込み、目尻を下げている。今からメロメロなようでは先が思いやられるなと、どこぞのシスコンを思い出してロロは苦笑した。
「じゃあ、僕は失礼します」
「おう、ありがとな、ロロ」
「退院したら、赤ちゃんの世話を手伝いに来なさい」
「気が向いたら行きますよ。では」

 振り向くと、嬰児を囲んで幸せそうな父母の姿。2人の間に生まれた彼女はなんと幸せなことだろう。ロロは幸せとはああいう形のものなのかと実感し、そして。
 かつて自分を産み、抱いてくれたであろう母の姿を、少し想像してみた。

(END 2008.05.28)



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