注・この文章はPG-12指定です。


刻印


 縋りつく瞳を突き放すことができなかった。

 自分が弱っているという自覚はある。恥ずかしい場面を全て見られていたという羞恥もある。絡め取られるような、飲み込まれるような恐ろしさもある。それなのに。

 繋がれた手を振り払うことができなかった。

 彼はただ其処にいた。何を主張する訳でもなく。
 彼はただ其処にいた。何を要求する訳でもなく。
 ただ、俺のことを見つめていた。

 思えば彼は元々そういう存在だった。「弟」として側にいた監視者。



「お腹、空かない?」
 ロロの問いに、ルルーシュは下に視線を落としたまま首を振った。
「食べなくても良いけど、何か飲んだ方が良いよ。兄さん、昨夜からずっと飲まず食わずでしょ?」
 そう言うとロロは、コンビニで適当に買った飲み物や菓子パンをサイドテーブルに広げた。
 その横には狭い部屋に不釣合いな程大きなベッド。白を基調とした内装は普通のビジネスホテルの様にも見えたが、しかし。
「・・・何でここに連れてきたんだ、お前は」
 膝立ちで食料を整理していたロロは悪気のない顔でルルーシュを見上げて言った。
「兄さん、休みたいかなと思って」
「こういう所に男同士で入れるとは思わなかったな」
 ため息まじりにルルーシュは言い、他に座るところもないのでベッドに腰を下ろした。
「それは、場所によるよ。昔、この辺りはメッカだったみたいだから、その名残じゃない?」
「何の」
「ゲイの」
「・・・しかも、制服だろ」
「それも、場所によるよ」
「何でそんなこと知ってるんだ」
「仕事柄、かな?」
 片方の肩を上げ、上目遣いでごまかすようにロロは少し微笑んだ。
「それに、他の服を着ていたって、僕は18歳以上には見えないよ」
 ロロは立ち上がると制服の上着を脱ぎ、壁にあったハンガーにかけた。
「兄さんも上着脱いだら?空調が暑いでしょ」
 言われた通りに上着を脱いで渡したものの、ロロの慣れた様子にルルーシュはいらだち、不機嫌そうな顔で言った。
「よく来るのか?こういう所に」
「よくは来ないよ・・・でも、気になるの?」
 振り向いて見ると、視線をわざとそらすルルーシュに可笑しくなって、ロロはくすりと笑いルルーシュの横に腰をかけた。
「心配しないで。ただ、ターゲットに近づくのに有効な場合もあるから、使える場所を把握してあるだけだよ」
 視線を床に落として、ロロはつぶやいた。
「気になるんなら、試してみればいいのに」
 カチンときたルルーシュは勢いでロロをベッドの上に押し倒した。
「カレンの代わりにお前が慰めてくれるのか?」
 見下ろしてくるアメジストの瞳を真っ直ぐ見つめて、ロロは口を開いた。
「兄さんがそうしたいのなら、僕はかまわないよ」
 ロロにためらいはなかった。
「でも、そんな風に何かでごまかしてしまわない方が良い気がするけど」
「・・・お前に何が分かる」
「うん。僕には他人の気持ちは分からないけど、分かることもあるよ」
 ロロの大きな瞳が少し伏せられ、長いまつげが影を落とす。
「僕もつい最近、兄を失ったから。大切な兄を」
「・・・失ってないだろう」
「分かってるくせに」
 視線を戻すとロロは言った。
「でも、兄さん」
「何だ?」
「女の子は駄目だよ。だって、可哀想じゃない。子どもができたりしたら。どうせ兄さん、何にも準備してなかったんだろうし」
 げんなりして、ルルーシュはロロの胸に額を打ちつけた。
「僕なんか、変なこと言った?」
「それで止めたのか」
「そういう訳でもないけど」
 ロロはルルーシュの黒髪をかき抱くと、そっと口付けた。
「でも、僕は何人も知ってるんだ。慰み者にされて、孕んで、産んで、結局育てられなくて・・・そうやってボロボロに傷ついていく女の子たちを」
 もしかしたら彼自身がそういう生まれなのかもしれないと、ロロ自身がそう感じているのかもしれないのだと、ルルーシュは察し、同時に心の奥がチリと痛むのを感じた。
 ルルーシュは一度身体を起こし、ロロの横に寝転がると、彼の柔らかい髪と頬に手を伸ばした。身体をこちらに向けたロロと瞳が合わさる。
「お前が知っている世界は、俺よりずっと広いのかもしれないな」
 1年側に居たはずなのに、本当のロロの姿を何も知らなかったことに改めて思い至り、ルルーシュは少し衝撃を受けていた。
「そりゃあ、皇子さまとは住む世界が違うよ」
「俺が皇族だったと知っても、お前は気にならないのか?」
「うん。だって、兄さんは兄さんでしょ」
 ロロは花がほころぶように優しく微笑んだ。
「元皇族でも、ゼロの仮面を被っていても、兄さんは兄さんだよ」
「・・・そうか」
「元々皇族にそんなに興味もないしね」
 ロロがブリタニアに忠誠心がないのは分かっていたとはいえ、あっさりと返された答えがルルーシュには少し意外に思えた。
 自分は深く考えすぎていたのだろうか。皇族だと知られたら、皆は自分とは距離を置くものと勝手に思っていた。だから心に壁を作って区別していたのだ。生まれを知るナナリーとスザクを、その他の皆と。
「ねえ、どうしてナナリーなの?なんで彼女でなきゃいけないの?」
 唐突にロロは問うた。
「僕でなくても、兄さんには他にもたくさんいるでしょ。兄さんを好きな人も、兄さんを必要としている人も」
 『他の』と口では言いつつ、ロロの瞳は「どうして自分ではいけないのか」と訴えていた。「僕が側にいるよ。僕のものになって」と。
「・・・僕は、兄さんしか知らないけど」
 伏目がちにぼそりとロロは付け加えた。



「・・・休みたいのは自分の方だったんじゃないのか?」
 いつの間にか規則的な寝息を立ててベットの上に丸くなるロロを見て、ルルーシュは息を吐いた。昨夜もうなされる自分を見守っていたようだったし、俺よりも寝ていなかったのかもしれない。おそらく「飲まず食わず」はロロも同じだったのだろう。ロロが買ってきた物に眼をやる。おそらく、俺の好きなものを選んで買ってきたそれ。
 それでも、自分が寝てしまうと逃げられるとでも思ったのか、必死で眠気をこらえていた様子を思い出し、ルルーシュは少し可笑しくなった。 ルルーシュ自身は横になっていても一向に眠たくはならず、思考が堂々巡りをするだけだったのだが。
「こんなところに置いて行ったりはしないよ」
 身体を起こし、ロロを愛しげな瞳で見下ろしてルルーシュはそっと言った。

 ロロに「何故ナナリーでなければ駄目なのか」と問われ、気付いてしまったことがある。
 偽りの記憶に支配されていた1年の間、自分が不足を感じていなかったことに。ナナリーがいない心の隙間を、他の者が埋めることが可能であるという事実。

 彼はただ其処にいた。何を主張する訳でもなく。
 彼はただ其処にいた。何を要求する訳でもなく。
 ただ、俺のことを見つめていた。

 思えば彼は元々そういう存在だった。

 先に手を伸ばしたのは俺の方。愛して、欲して、世話をして、見返りを求めたのも俺の方。

 思い返せば、ブラックリベリオンの直後は違和感があった。テロの影響ではないかと勝手に辻つまを合わせて考えていたが、ロロはあのとき戸惑っていたのだ。伸ばされる手に。与えられる愛に。何を返すべきかも知らず、どう受け取るべきかも分からず。
 ナナリーの代役を任されたのがロロで良かった。ギアス以外に何も持たず、寂しい、無垢な魂を抱えた彼で。他の誰であっても、隙間を埋めることはできていなかったようにも思う。
 逆に、ロロでなければ良かったとも思う。他に大切な者を持ち、演技に長けているだけの者であれば、もっと簡単に切り捨てられるのに。愛憎の狭間で苦悩することもなかったのに。

 馬鹿な奴だ。俺を殺してしまえば良かったものを。それをできるだけの力を持っているにも関わらず。
 不安定で孤独な魂は、絡めとるとあっさりこの手に落ちてきた。その日を思い返して、ルルーシュは口元に意地悪い笑みを浮かべた。
 俺はお前のものになってやったりはしない。お前が俺のものなのさ。髪の毛の先から足のつま先まで。切なげに揺れる瞳も、繊細な硝子細工のような心も全て。俺のロロ。俺だけのロロ。

 まるで奴隷だな。 ・・・奴隷には刻印を。
 ルルーシュはロロの柔らかい髪を優しく撫でて額に口付けた。



 はっとしたように飛び起きると、眠ってしまったことに後悔しながらロロは周りを見回しルルーシュの姿を探した。ベットの上に彼がいない。絶望で一瞬目の前が暗くなる。
「起きたか?」
 声のする方を振り向くと、ルルーシュはベッドと壁の隙間に座り込み、ロロが買ってきた食料を飲み食いしているようだった。その姿を認めて、ロロは安堵した。
「・・・兄さん」
「どうせお前も食べてないんだろう?一緒に食べよう」
 食事ができるほど回復したことを喜びつつ、ロロはルルーシュが眠ってしまった自分を置いていかなかったことに少し疑問を感じていた。
 とりあえず、ルルーシュの隣に身体を滑り込ませる。
「ほら」
 ルルーシュはロロに菓子パンとペットボトルを渡した。
「なんだ?」
 物言いたげなロロの様子にルルーシュが問う。
「あの・・・」
 言葉が続かないロロに手を伸ばし、頭をくしゃりと撫でるとルルーシュは言った。
「大事な弟を、こんなところにひとりで置いて行ったりしないよ」
 『大事な弟』という言葉に嘘の匂いを感じてロロは表情を少し曇らせる。それでも優しくそう言ってくれることが嬉しくて、くすぐったかった。
「食べ終わったら、うちに帰ろう」
「え?」
「一緒に」
 胸が詰まるほどに嬉しくなって、ロロは熱くなった瞼を閉じた。

 貴方の側に居られれば、それだけで僕は幸せだから。

(END  2008.05.25)



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