注・この文章はPG-12指定です。


「エデンの園から追放された天使が、天国の門を開けてもらうのに必要だった贈り物って何だったと思う?」
 歩きながら唐突にスザクからそんなおとぎばなしをされ、ロロは戸惑った。
「さあ?」
「祖国の自由のために戦って命を落とした英雄の血のしずくでも駄目で、ペストで死んだ男に無私の愛を捧げた娘の別れのため息でもなくて」
 スザクの翡翠色の瞳が振り返ってロロを見た。
「それはね、罪人が悔い改めて流したひとつぶの涙なんだよ」
 警戒したように、ロロがスザクを睨む。
「それって、僕に悔い改めろってことですか?」
「あのね、ロロ」
 安心させるようにスザクは柔らかくロロに笑いかけた。
「その涙はさ。君が癒されて、救われるためのものなんだよ」



   この悔恨の涙の落下が、
   おお罪人よ、お前を癒えさせないだろうか?
   胸中の傷がどんなに燃えるようであっても、
   天の一滴のしずくはそれをみんな癒してしまう!

   大空じゅうに賛歌がただよう、
   なぜなら、ひとつの魂が赦されたのだから!
            (オラトリオ 「楽園とペリ」より 訳・西野茂雄)



告白


 その部屋ははちみつ色の髪をした少女であふれていた。棚の上の写真立て。壁の額に引き伸ばした写真。肖像。子どもの頃書いた絵。愛用していた筆記具に日記。彼女が失われてからもう1年を過ぎようとしているのに、まだこの部屋に彼女が存在しているような錯覚すら抱かされる。
「娘とは同じ生徒会に居たんですって?」
 部屋の中央に位置するソファに腰かけたシャーリー・フェネットの母は、向かいに座った小柄な少年に話しかけた。大きな菫色の瞳に柔らかいアッシュブラウンの髪。少女に見紛うような愛らしい容姿だ。
「はい。でも、今日はそのお話をしに来たのではないんです。実は、その・・・」
 ロロは隣に付き添うように座った枢木スザクをそっと伺った。鋭い視線ながら、勇気付けるようにスザクがうなずく。
「シャーリーさんは自殺したのではありません。僕が殺したんです」
 突然の告白にシャーリーの母は凍りついた。
「・・・今、何と」
「シャーリーさんを殺したのは僕です」
 彼女は持っていたカップを取り落とした。カップが当たったソーサーが割れ、こぼれた珈琲が白いテーブルクロスに染みを広げる。
「謝って済む話ではありませんが、その、申し訳ありませんでした」
 ロロは深く頭を下げた。
「い、今さらそんな・・・」
 動揺に顔を歪めて、母はこらえきれずに涙を流し、手で顔を覆った。沈黙に支配された部屋に、ただすすり泣く声が響く。
 しばらくして、多少落ち着きを取り戻した彼女は、スザクを見上げて口を開いた。
「でも、鑑識の結果自殺というお話だったはずですが・・・」
「はい。捜査の不備は認めます」
「ほ、本当なのですか?彼が・・・その、シャーリーをというのは」
「本当、だと思います。彼から聞いた当時の状況に矛盾はありませんし」
「でも、どうして娘が・・・」
 彼女がロロの方を伺った。人懐こくも見えた彼の表情が、今は冷たく恐ろしく見え、彼女は背筋が寒くなるのを感じた。
「理由はお答えできません」
 抑揚なくロロが言う。スザクが続けて付け足した。
「すみませんが、理由については軍事機密の内容も含むので今ここでお話しすることはできないのですが、フェネットさん」
 スザクが居住まいを正す。
「あなたが訴訟をお望みなら、僕はできる限り協力します。どうしますか?彼を殺人犯として訴えますか?」
「証拠は・・・あるのですか?」
「本人の自白と証言が取れるかどうかというところです」
「それだけでは・・・」
「そうですね。難しいことは確かです。公式には自殺ということになっていますし。でも、真実はひとつですから」
 彼女は目の前に座るふたりを交互に伺ってから視線を落とすと、諦めるように深くため息をついた。
「訴訟を起こすつもりはありません。損害賠償も要りません。かといって、あなたを許したわけではないのですが」
 彼女の握った両手の拳が震えている。
「そんなことをしても、あの娘は帰ってこないのですもの」
 涙が、はらはらと流れ落ちた。
「でも、そうね」
 ふと彼女が顔を上げる。
「自殺、ではなかったのね。シャーリーは」
「はい」
 スザクが力強く肯定した。
「あの子は、幸せだったのね」
「そうです」
「・・・良かった」
 微笑んで彼女は涙を手で拭う。ふと、彼女はロロに眼を向けて言った。
「初めから気になっていたのだけれど、その顔のあざ」
「ああ」
 苦笑して、ロロが答えた。
「シャーリーさんのことを話したら、枢木卿に思い切り殴られました」
「そう」
「もう一発殴っておきましょうか」
「いいえ、いいわ」
 彼女は首を振って立ち上がると、扉の方へ行き、ドアを開けた。
「今日は来てくれてありがとう。でも、もう私のことは構わないで下さいな」





「ねえ、やっぱり教えない方が良かったんじゃないですか?」
 ひと休みしようと公園に向かって歩きながら、ロロはスザク話しかけた。
「そんなことないよ。自殺じゃなくて良かったって言ってただろ」
「でも」
「僕は彼女のためじゃなくて、君のために彼女に謝って欲しかったんだよ」
 ため息混じりにスザクはそう言って立ち止まり、ロロを振り向いた。
「どうして?」
「赦してもらうために。謝罪は赦しを請う言葉だよ。結局、罰も謝罪も罪人を赦すためのものさ。だって何をしてもらったって受けた被害がなくなる訳じゃない。そうは思わないかい?」
「・・・赦して、くれたのかな?」
「完全にではないけどね」
「ふぅん」
 ロロは腑に落ちない顔だ。
「で、貴方は僕のことを赦してくれたんですか?」
「彼女が赦してくれたのに僕が赦さないわけにはいかないだろ」
「そうなんだ」
「そうだよ」
 スザクは僕を赦したかったのかな?とロロは思った。
「でも、流石はシャーリーのお母さんだな」
 何?とロロが見上げてくる視線を感じながらスザクが言った。
「シャーリーがさ、亡くなった日に言ってたんだ。赦せないことはないって。あるとすれば、それは僕が赦したくないだけなんだってね」
 ロロは前方に視線を戻すと、しばらく何も話さなかった。



 公園の噴水前のベンチに腰かけてぼうっとしていると、スザクがどこからか飲み物を買ってきて渡してくれた。
「はい」
「ありがとう」
 開けて少し口をつける。
「シャーリーのお母さんに会ってみて、どう思ったか訊いてもいいかい?」
「うん。でも、正直に答えていいですか」
「いいよ」
 ロロは蓋をしたペットボトルを唇の下にあて、上目遣いにスザクを見ながら言った。
「・・・うらやましかった」
 1年経っても忘れられていない彼女が。ルルーシュと公式カップルになり、親と家と友達、僕には手の届かない輝かしいものを全て持っていて、ただの学生として生を終えることのできた幸せな子ども。
「シャーリーがかい?」
「そう。・・・母親ってみんなあんな風に泣くのかな?」
「人にもよると思うけど。でも、子どもの死を悼まない親はいないよ」
「僕に親はいない」
 ロロは前を向いて遠い眼をした。
「それに、僕が死んで泣いてくれる人は誰もいないよ」
 スザクはロロの頭にぽんと手を置いた。
「僕が泣いてあげるよ」
 ロロは鼻で笑って眼を逸らした。
「本当だよ。それに、あのアッシュフォード学園の生徒会に居た頃君が死んだら、きっと生徒会の皆は君のために心から泣いてくれていたと思うよ。ミレイさんも、リヴァルも、それからシャーリーもね」
「どうして?」
「同じ環境に居た人が亡くなったら泣くのが普通の反応だよ。知り合いが死んだってだけで、心を痛めるものさ」
「へえ」
「平気で殺せる君が異常なんだ。・・・可哀想に」
「可哀想?誰が?」
「君がさ、ロロ」
 きょとんとした顔でロロはスザクを見た。
「何で?」
「人の大切さが自覚できない、人の心に共感できない君が。そういう風に育てられてしまった君が」
 スザクは切なげに眼を細めた。
「本当に可哀想だよ」
 ふうん?と憂鬱そうに小首をかしげ、ロロは前方に視線を戻して空を見つめていたが、ふと、何かに気付いたように口を開いた。
「兄さんは」
「?」
「兄さんは本当は泣いたのかな。シャーリーが死んで」
「そう・・・だと思うよ。僕はそう思いたい」
 今さらながらルルーシュの大きな嘘に気付いて、ロロは苦笑ぎみに息を吐いた。
「あの人は本当に嘘吐きだね」
「ああ、そうだな」
 風が吹きぬけていく。
「ロロ」
 呼びかけに顔を向けると、真剣な翡翠の瞳に出会った。
「家族も友達も、欲しいなら新しく作ればいいんだよ。今からでも遅くはない」
 ロロが顔をしかめる。
「簡単に言わないで下さい」
「そりゃあ、僕も作るのが得意な方ではないから、気持ちが分からないではないけど」
 スザクは小さくため息をついた。
「逃げてばかりでは、何も手に入らないよ」

 子ども達のはしゃぐ声が聞こえてくる。それに続いて母親が子どもを呼ぶ声。のどかな風景だが、ロロには直視するのが少し辛い。かつて自分が得られなかったものを体現する風景。いつも、薄皮ひとつ隔てた向こう側にある現実味の薄い景色。平和な空気がねっとりと自分を取り囲んで、窒息しそうになる。ロロはポケットの中の冷たいナイフをそっと握り締め、そこに心の拠り所を求めようとした。
「今はどうやって生活しているの?」
「騎士団時代のつてで時々仕事を」
「仕事って何?」
「僕にできることなんてひとつしかないでしょう?」
 剣呑な表情にスザクは呆れた。
「・・・依頼殺人か」
「だって、食い扶持は自分で稼がなきゃならないし」
「他に方法はないの?普通にバイトしたりとか」
「めんどくさいじゃないですか。人間関係も煩わしいし。他に稼ぐ方法っていったら、思いつくのはスリか、あとはパトロンでも探すか」
「・・・全部非合法じゃないか。本当に、君は一度更生施設にでも入って再教育してもらった方が良いのかもね」
「入ってみてもかまわないですよ。だって、そういう所なら食うには困らないし。やることが無くて困ることもない。むしろ僕には楽そうだから」
「ナイトメアが使えるなら軍隊とか」
「集団行動は苦手。それに、戸籍がないと入隊できません」
「何なら口を利いてあげてもいいよ」
 何とかして足を洗わせたいらしいスザクを、小馬鹿にしたようにロロは見た。
「遠慮しておきます。大体、軍の特殊組織とかに入ったってやることは今と同じでしょう?むしろ回数が増えますよ。能力のことを知られてモルモットにされるのも勘弁したいですし」
 眼をそらし、悲しそうに微笑んでロロは言った。
「今の状況で満足しているんです。だから、僕のことは放って置いて下さい」
 別れを告げようと立ち上がったロロの腕をスザクは掴んだ。
「放って置かないよ」
 跡がつきそうなほど強く握られて、ロロは眉を寄せてスザクを見つめ返した。
「放って置いてなんかやらない。だって、君を」
 スザクの瞳は痛いほど真剣だった。
「ずっと探していたんだ。あれからずっと。やっと見つけたんだ」
「うわ」
 腕を引かれまた隣に座り込んだロロを、スザクは抱きすくめた。
「だから、もう離さないよ」
「・・・やめてください」
 大人しく抱きしめられ、それに胸が一杯になりながらも、ロロはつぶやいた。
「僕なんかに関わると、貴方の経歴に疵がつきます」
「そうやって、君はいつも逃げようとする」
 顔を間近で覗きこんで、スザクは囁いた。
「そんな傷ついた瞳をして、放って置ける訳ないじゃないか。相変わらず素直じゃないな」
 スザクはそっとついばむように一度キスをして顔を離した。自分からはそれ以上求めようとせずに、ロロの反応を待つ。
「・・・ずるい。ずるいよ」
 ロロは顔を赤らめてそう言うと、自分からスザクに抱きつくとキスを返した。舌を絡ませ、深く、強く求め合う。まるで会えなかった時間を埋めるかのように。
 ロロの瞳から涙がこぼれる。後から後から。止め処なく。それを見てスザクはロロの頭を自分の胸に押し当て、強く抱きしめた。嗚咽が聞こえる。
「大丈夫、もう二度と君を離さないから」
 耳元でスザクが囁く。
「今までひとりにしてごめんね。でも、もう安心してくれていいよ、ロロ。君は僕が守ってあげる」

 落ち着いたのを見計らって、ロロの柔らかい髪を撫でながらスザクは言った。
「学校に行く気はない?君の歳ならそれが自然だろ」
「でも・・・」
「お金なら僕が出してあげるよ。気になるなら後から返してくれればいい」
「奨学金?」
「そうだね」
「・・・学校は苦手」
「それでもさ。真っ当に生活できる手段がないようじゃ駄目だよ。ちゃんと勉強しないと」
 困ったような顔で見上げてくるロロを見て、スザクは微笑んだ。
「今から、何にでもなれるよ。ロロなら。大丈夫」
 力づけるように言う。
「君は本当は良い子だって、僕は知ってる」
 スザクはくしゃくしゃとロロの頭を撫でた。
「ねえ、ロロ。これは本当はずっと前から考えていたことなんだけど・・・僕の子どもにならないか?」
「はあ?」
 突然のスザクの言葉に、ロロは疑問に顔を歪ませた。
「ロロはたぶん孤児扱いだろ。だから、僕の養い子にならないかってこと」
「もうすぐ18歳、過ぎるんだけど・・・」
「今のうちにさ。でも、君本当はもっと歳下なんじゃないの?そう思えてならないんだけど」
「童顔なだけです」
 それにしても、とロロは思い、素直に思ったことを口に乗せてみた。
「ねえ、何だかプロポーズされてるみたいに聞こえたんだけど・・・」
「うん。プロポーズしてるんだよ」
「!」
 驚いてロロが押し黙る。
「言っただろ。家族も友達も新しく作ればいいって。僕も家族が居ないんだ、だから」
 真剣な翡翠の瞳に魅入られる。
「一緒に暮らそう。僕の家族になってよ」
 ロロが眼を見開いた。
「・・・アーサーがいるじゃない」
「猫だろ。話し相手もしてくれないよ」
「使用人とかもいるんでしょ」
「それは居るけど。なかなか打ち解けて話をしてはくれないし」
「・・・寂しいの?」
「そうだよ。寂しいさ。広い屋敷にひとりだと、とてもね」
 スザクはそっとロロの髪を撫でた。
「ロロは寂しくないの?ひとりで」
 抱きしめる腕に力がこもる。
「平気だとは言わせないよ。そんな寂しそうな顔をして」
 切なげに微笑みながら、念を押すようにスザクは言った。
「僕と一緒に暮らしてくれるよね?」
「・・・何か、反論が許されていない気がするんだけど」
 ぶすっとして上目遣いで軽く睨みながら、ロロはスザクの腕に沈み込んだ。
「だって、嫌じゃないだろ?」
「・・・・・・」
「・・・嫌なの?」
 沈黙に不安を覚えたのか、スザクがわずかに表情を曇らせる。
「嫌じゃ、ないよ」
 ロロは顔を伏せて首を振り、ぼそぼそとつぶやいた。
「ロロ」
 スザクが優しく名前を呼び、顔を上げさせると、ロロは頬を紅潮させ菫色の大きな瞳を潤ませていた。
「嬉しい。ありがとう、スザク」
 ロロの瞳から一筋の涙がこぼれた。それを指で拭い取り、スザクは両手でロロの頬を包んでそっと唇に口付けを落とした。



   そう、地上の世界にひとつの捧げ物があるとすれば、
   天国にとって貴重に思える贈り物があるとすれば、
   お前が持ってきたあの涙がそれだ、
   罪人の眼から流れ出た涙、
   それがお前のために天国の門を開いたのだ。
            (オラトリオ 「楽園とペリ」より 訳・西野茂雄)

(END 2008.07.31)



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