わらべはみたり
「どこ行ったんや、あいつは」
イライラと貧乏ゆすりをしながら勝呂はつぶやいた。もうすぐ昼休みも終わろうというのに、まだ志摩の姿が見えないのだ。
「そもそも逃げよってからに、胸くそ悪い」
ちらと子猫丸の方に視線を送る。親しくない者からはいつもどうりの涼しい顔をに見えるだろうが、相変わらず硬い表情でわずかに眉間にしわが寄っているのが勝呂には分かった。実は現在冷戦中で、志摩が何故逃げたかといえば、2人の間の微妙な空気に耐えられなかったからである。ケンカの原因はおそらく些細なことで、今となってはおぼろげにしか思い出せないのであるが、お互いに意固地になったままでまだ打ち解けるには遠い雰囲気である。
イライラする勝呂の視野をふとピンクの頭が横切った。何だかいつにも増してふわふわと雲のように落ち着きなく、席に着くなり上を向いて脱力しぽかんと口を開けている。
「おい、志摩!」
何事かと呼んでも返事はなく、心ここにあらずという風情である。
「志摩!」
目の前の机にバンッと両手をついて名前を呼ぶと、やっと志摩の目がこちらを向いた。
「あ、坊。どないしはりました?」
「どないしはりました?はお前の方や!」
「あー、あれですわ。天使ってホンマにおるんやなあ、思て」
志摩の瞳はまるで白昼夢でも見ているかのようだった。
「は?」
「坊。俺、天使に会いましたわ。さっき庭にいててん」
「はあ???」
その日、志摩は昼休みを知らせるチャイムが聞こえるが早いか、急いであらかじめ用意してあった昼食のコンビニ袋を掴み、いそいそと教室を抜け出した。
「全く、勘弁して欲しいわあ」
ここ数日勝呂と子猫丸が冷戦中で、おかげで空気が悪いことこの上ない。それでも何となく付かず離れずいつも3人で行動していることに変わりはなく、志摩は毎度毎度2人の間に入って元々ない神経をさらにすり減らしていた。
そこで「昼休みくらいは」と逃げ出してきたのである。2人きりにすれば話が進展するかもしれない・・・というのは希望的観測に過ぎないのだが。
「ん?」
2人が予想できない場所に行こうと見慣れない方へ脚を向けているうちに、ふと気付くと周りに人影はほとんどなくなっていた。人が隠れるほどの低木が規則的に並び、まるで迷路のようだ。
(ここ、どこやろ?教会の裏の方かいな)
虫の気配に怯えつつ、誰かに道を聞こうかと人影を探すが不思議なほど見当たらない。しばらく歩くうちに志摩は視界が開けた場所に出た。そこは小振りな広場ほど大きさで、眩しいほどの温かい陽だまりに包まれていた。足元には何種類もの草が種類ごとにまとまって生えていて、庭というよりはハーブか何かの畑のようだった。
中央に大きな木が生えている。眼をこらすと、木漏れ日の下、木のうろにもたれかかって誰かが眠っているのが見て取れた。制服からするとどうやら高等部の男子学生らしい。ずいぶん大柄である。
「あの〜」
寝ているところを起こしてしまうのも気が引けて、遠慮がちに声をかけるが目覚める気配はない。
近寄るにつれ、彼の整った容姿が目に留まる。白い肌に長いまつげ、柔らかそうな黒髪。
(わあ、なんて綺麗なお人や・・・)
男女問わず美人に弱い志摩である。ふいに心臓が高鳴った。
一瞬が永遠にも思われた間の後、ふと、彼のまつげが揺れ、澄んだ瞳が姿を見せた。黒目がちな潤んだ瞳がこちらに向く。が、どこか焦点が合わない様が、よりいっそう幻想的に志摩には思われた。
彼はしばらく不思議そうにそのままこちらの方へ視線を向けていたが、身体を起こし、何か探す仕草をして見つけた眼鏡をおもむろにかけた。
「志摩くん?」
ふいに名前を呼ばれドキッとする。驚いて相手を見返すと、そこには見慣れた祓魔塾の若年教師がいた。
「せ、せんせ。お疲れですね」
息が詰まるほどの動揺を隠すように志摩はひくついた作り笑いをして言った。
雪男は何か考えるように眉間にシワを寄せ、その大きな楢の木の幹に手を当ててちらとその木を見上げた。
「お昼、まだですやろか。ご一緒してもええですか?」
「どうぞ」
微笑みながら雪男は楢の木に寄りかかると、自分の隣のスペースを示した。
志摩は雪男の不意の微笑に頬が紅潮し、耳まで赤くなった。胸の奥はざわざわと落ち着かず、背筋にぞわっとした感覚が降りるのを感じる。慌てて隣に座り込み、相手に悟られたのではと隣を伺うが、雪男はさっそくとばかりに弁当を広げていて志摩は少しがっかりした。
雪男の弁当を覗き込むと、何種類ものおかずが色とりどりに詰めてあるのが見てとれた。ご飯の方はこれまた立派なのり弁だ。
「いつもながらに見事な愛妻弁当ですな。俺のコンビニ弁当とはえらい差や」
『愛妻弁当』の言葉にふっと笑み、雪男はおかずの入った弁当を志摩の方へ向けた。
「ちょっと食べてみる?」
「え、ええんですか?なら、お言葉に甘えて」
卵焼きをひとつ取って口に入れた。
「ん、んんっ」
出汁の効いた玉子焼きは甘すぎず塩辛すぎずなんとも絶妙な味わいで、志摩は思わずオーバーアクションで雪男を振り向いて叫んだ。
「こ、これはまさに味のシンフォニーや!」
派手なアクションに一瞬驚いた後、雪男は眼鏡の奥の瞳を嬉しそうに細め、どこか得意げにうなづいた。
「ええなあ。毎日こないなお弁当食べれるやなんて。そういえばお昼、お兄さんと一緒には食べはらへんのですか?」
冗談でしょう、というように雪男が肩をすくめる。
「おそろいの弁当を男兄弟並んで?変な目で見られるよ」
「そうですやろか」
「そういえば、今日は1人なんて珍しいね」
いつも3人一緒に行動をしている印象が強いのだろう。
「あー、何か坊と子猫さんがケンカしてはりまして。空気が気まずいんですわ」
だから逃げてきました、と志摩は言う。
「ふーん。兄弟ゲンカみたいなものかな」
「そうですねえ・・・」
ホンマはどっちかというと痴話ゲンカやね、と志摩は内心突っ込んだ。
「奥村先生んとこも兄弟ゲンカしなさるん?」
「よくするよ」
「よく、ですか」
意外に思い、志摩は雪男の顔を見た。
「僕は融通が効かないし、兄さんは我慢ができない性質だから」
雪男は小さくため息をついた。
「あー、なんか分かりますわ」
会話が途切れ、辺りを静寂が包み込んだ。小鳥の声が遠くから聞こえる。初夏の風がざわざわと木々をなでて行った。学校の喧騒もここまでは届かないようだ。
「ここ、静かでええですね」
(こんな場所があったんやなあ、しかも美人と2人きりなんて、なんてパラダイスや)
浸っている志摩に雪男の現実的な声が聞こえた。
「あんまり人が来ないから、仮眠を取るにはいいね」
「せんせ、寝に来なはったん?」
「昨夜任務が深夜までかかったから寝不足で」
「授業中に寝たらよろしいのに」
「それは駄目だよ。先生に失礼だ」
雪男の顔がふとこちらを向き、視線があった。思わずどきりとする。
「そういえば志摩くん、この前の授業うとうとしてたよね」
「あ、バレてました?もうしませんて」
「そう?」
「絶対にしませんわ。これだけは自信ありますて」
なぜなら先生を愛でるのに忙しいからだが、当人にはとりあえず内緒である。
「そうしてくれると嬉しいな」
雪男は腕時計で時間を確認すると手早く弁当を片付け始めた。
「そろそろ戻ろうか」
「あ、そういうたら」
「帰り道が分からない?」
言葉の続きを奪われて唖然とし、志摩は立ち上がって優しく微笑む雪男を見上げた。
「だと思った。案内するよ」
志摩が立ちあがるのを待って歩き出した雪男に、志摩はそっと肩を並べた。
子猫丸の席の前まで移動し、勝呂は話しかけた。
「おい、子猫丸」
ふっと視線をはずし眉間のしわを濃くした子猫丸に、緊急事態とばかりに勝呂はたたみかけた。
「休戦や。志摩のこと見てみい」
言われて志摩に視線を向け、子猫丸は眼を丸くした。
「また、いつものアレですか・・・」
「せや。いつものアレや」
「で、相手は?」
「分からん。昼休みに逢うたとか言うてたけど」
「今日初めて逢うた人やと見当がつきませんねえ」
「ああ、難儀やな」
志摩は思いついたように何か紙を探し出すと食い入るように見つめ、何かにショックを受けたようで机の上に紙を投げ出しその上に突っ伏した。
「何の紙やろ?」
「ちと、見てくるわ」
勝呂は探りを入れてから、子猫丸の所に戻ってきた。
「祓魔塾の時間割やった」
「塾関係の人ですやろか」
祓魔塾のクラスメイトかと候補を挙げてみる。
「でも時間割見て凹むて・・・?」
子猫丸も時間割を取り出し、2人で覗き込みうーんと考え込む。
「多分、今日の時間割ですよね」
「そうやな」
「時間割に関係するとすれば、教師かでなければ他の学年とか」
教科ごとに担当する教師を思い浮かべてみる。
「・・・そういえば、今日は悪魔薬学がありませんね」
子猫丸のつぶやきを聞いて勝呂は眉間にシワを寄せた。
「はは、いやそれはまさか、やろ」
「まさか、ですけど」
さっきまでのケンカなぞどこ吹く風の2人の視線の先で、志摩はまたにやけた顔でぼーっと空間を見つめていた。
(END 2011.06.09)
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