神父さんと僕 その2

   ぼくは とうさんが だいすきです。
  とうさんは やさしくて つよくて かっこよくて
  こわいものから いつも ぼくを まもってくれる ぼくの ヒーローです。
  ぼくも いつか とうさんみたいな おとなに なりたいです。



「・・・くん、奥村雪男くん」
「あ、は、はい」
 先生が呼ぶ声にあわてて答える。呼ばれたことに気付かなかったなんて。
「大丈夫?身体の具合でも悪いの?」
 普段と様子の違う雪男に先生も心配そうだ。
「だ、大丈夫です」
「じゃあ、続きを読んでください」
 『続き』がどこだか分からず、雪男はあせった。
「あの、すみません、聞いていなかったのでどこからだか教えてください・・・」
 恥ずかしくて声が消え入りそうになる。
 燐は教室の後ろの方の席から、そんな雪男の様子を心配そうに見ていた。

「雪男、大丈夫か。無理しなくていいんだぞ。具合悪かったら早退しろよ」
 休み時間に入ると、心配した燐は雪男の席まで来て顔をのぞき込んだ。
「大丈夫だよ、ちょっと寝不足なだけ。心配しないで」
「でも、なんかずっとぼーっとしてるし。それに何か顔も赤いぞ」
 燐が雪男と自分の額に手を当てて熱を比べ、それでは分かりにくかったのか、次に自分の額を雪男の額にくっつけた。
「だ、大丈夫だって」
 燐は雪男の様子をうかがいながら口を開いた。
「あ、あのさ。今朝のやつ、あれが原因なんだろ?だから、その」
「やめて」
「ちょっとくらい、教えてくれてもいいじゃん」
「訊かないでって、言ったでしょ」
 朝から何度となく繰り返された会話。燐がふくれる。
「なんだよ、心配してるんだろ」
 下を向いて黙り込んだ意固地な雪男を見て、燐はため息をつきあきらめて席に戻って行った。


 何をしていても、何処にいても、とうさんの事ばかり考えてしまう。

 頭は熱に浮かされたようにぼーっとして、とうさんの面影を思い浮かべるたびに心臓が早鐘のように打つ。
 ふと、昨夜の感触を思い起こして、雪男は唇に手を当てた。あれはキスだ。それも決して親子がするようなキスではない。恋人同士がするようなキス。
 そのくらいのことは分かっている。ただ、なぜとうさんは僕にそのキスをしたのだろう。誰かと間違えたというのは本当なのだろうか。
 間違えられたのだとしたら、悲しいな、とふと思う。なぜだろう。分からないけど、何だか悲しい。
 とうさんは兄さんにもああいうことをしたいのだろうか。それもなんか嫌だ。
 今朝はそのことを聞こうと思ったのに、はぐらかされてしまった気がする。大人は嘘つきだ。嘘つきでずるい。子どもには、嘘をつくのは悪いことだ、嘘をついてはいけないと言うくせに。



 夕食が済んだのでエプロンをつけ食器を洗おうとお湯を出した。そこへ食事の終わった双子が、自分の食器を下げにくる。
「長友さん、とうさんは?」
 雪男が尋ねた。
「神父は仕事で今日は帰りが遅くなるそうだよ」
「そうなんだ・・・」
 それを聞いた雪男が見るからにしょぼんとする。
「雪男は寝不足だろう?今日は早く寝なさい」
「はい」
 肩を落とし、うつむいてとぼとぼと雪男が食堂を出て行く。心配そうに燐がそれを見送った。
「なんだ。今朝のこと問い詰めてやろうと思ってたのに、とうさん遅いのか」
「神父に聞いても無駄だぞ、燐。何にも覚えてないらしいからな」
「ちぇ」
 燐が頭を掻く。
「雪男からは何か聞いたか?」
 燐は首を振った。
「何度も訊いたけど、何にも教えてくんない」
「そうか」
 燐が聞き出せないのでは、実際に何があったのかは憶測の域から出ないなと長友は思った。
「学校でもずーっとぼーっとしてるしさ、大丈夫かなあ雪男」
「まあ、今日は寝不足なんだろう」
「それだけ?」
 燐の問いにさあ?と肩をすくめながら、それだけなら良いのにと長友はこっそりため息をついた。



 次の日、いつもと同じ朝。
 前の日に眠れなかったせいで昨夜はさすがに一晩ぐっすり眠れた雪男は、いつものようにタオルを持って台所へ向かった。入口から新聞を広げている獅郎が見え、雪男はどきっとして立ち止まった。
「おはよう、雪男」
 獅郎がこっちを見て、微笑みながらそう言った。その声、向けられた優しい瞳に釘付けになる。
「お、おはよう、とうさん」
 なんとか朝の挨拶はしたものの、顔がかあっと熱くなるのを感じて戸惑い、雪男は回れ右をして廊下に出ると戸口の横の壁に隠れた。壁を背にして持っていたタオルで眼鏡の下から顔を隠す。どきどきする。息が上がる。どうにか落ち着こうと思い、何度か深呼吸した。
「何してんだ?雪男」
 通りがかった燐が不思議そうに首をひねった。

 その後も獅郎の姿が見えるたびにどぎまぎしてしまうので、極力獅郎の方を見ないように、間違っても眼が合わないように気をつけて雪男は朝食を取った。
 食事を終え、食器を持って流しへ向かう途中で獅郎の横を通ろうとしたとき、獅郎が急に腕に触れた。
「雪男」
 驚いて食器を落としそうになる。ちらと見ると獅郎の少し悲しそうな困った顔が眼に入った。触れられた腕が熱い。
 たまらなくなって雪男は逃げ出した。
「おい、雪男」
 獅郎の視線が追いかけてくる。
  「ごちそうさま」
 流しにいた長友にそう言い食器を置くと、雪男は急いで台所から走り出た。



「雪男、まだ、怒ってるのかな」
 双子が学校へ行くのを見送ってから、獅郎はそう言ってため息をついた。明らかに避けられていたし、眼も合わせてくれない。『行ってきます』の挨拶も下を向いたままぼそっとだった。
「明日訓練室取ってあるんだけど、どうすっかな」
 ふたりきりで出かけるのは嫌がるだろうか。かと言って雪男の訓練を他の誰かに頼む気にはならず、獅郎はため息をついた。
 視線に気付いてちらと振り返ると、長友が苦虫を噛み潰したような表情でこちらを見ていた。
「なんだー長友ー。言いたいことがあったら言えー」
「なら、言いますが。雪男はまだ7歳ですよ。手を出したことが児相や学校にバレたら双子の親権を剥奪されますからね。自重してください」
「おま、脅すなよ」
 双子と一緒に暮らせなくなるなんて、考えただけでも恐ろしい。
「脅しじゃありません、事実です。それに、近所の噂にでもなったらそれだけじゃすみませんよ」
 立っている長友に上から睨まれる。
「あと11年、我慢して下さい」
 獅郎は遠い眼をした。
「11年か、長げーなあ。俺、待ってられっかな・・・」
「大体、普段から邪な眼で見ているから酔ったときに手が出てしまうんですよ」
 長友が非難げな眼で言った。
「あんな可愛らしい子を前にして何も思うなって?そりゃ、無理だろ。不可抗力だよ」
 長友の顔が引き攣り、片眉がぴくぴくと震える。
「とにかく、神父が手を出さなければ進展しませんから。分かりましたか」
「・・・分かったよ」
 不機嫌そうに低さを増した声に不承不承そう返事をして、獅郎は深くため息をついた。



 7歳の誕生日にとうさんに貰った銃。手に持つと冷たく、存在感のある重みを感じた。そして、とても恐ろしかった。
 人を殺す道具だって。扱いを間違えたら自分も傷ついて死んでしまうかもしれないって。身を守るために必要だと言われても、怖くてたまらなかった。
 だからどうしても構える手が震える。引き金を引く度に動揺する。
 そんな状態では一発も的をかすることすらできなくて。
 『あせらなくていいぞ。ゆっくり一つずつ覚えていけばいいんだ』毎回そんな風にとうさんはなぐさめてくれたけど、瞳の奥でいつもとうさんは少しがっかりしてるみたいだった。なかなか上達しない僕はとうさんを失望させているんじゃないかって、ずっと思っていた。

 とうさんの期待に応えたい。今はより強く、そう思う。

 両手で銃を正中に構える。ゆっくり息を整える。銃身がぶれないように気をつけて照準器の狙いを定め、引き金を引いた。

 何度も姿勢を確認して、空撃ちを繰り返した後の実弾発射。
「お、今のは当たったぞ」
 獅郎は嬉しそうにそう言い、的をこちらに引き寄せて見せてくれた。的の端に小さな穴が開いている。
「この調子だ。頑張れよ」
 骨ばった大きな手が両肩に置かれた。その熱を感じながら、雪男はもう一度銃を構えた。

「お疲れ。上達したなあ、雪男」
 とうさんが嬉しそうに僕の頭に手を当て、くしゃくしゃと髪をかき混ぜた。なんだか胸の中がざわざわする。笑い出したいような、くすぐったいような変な気持ちだ。
「じゃあ、帰るか」
 頷いて手を差し出すととうさんが手を繋いでくれた。とうさんの手が暖かくて、思わずぎゅっと握り返す。自分の心臓の音がとくんとくんと鳴っているのが聞こえる。触れた肌から何かが染み込んでくるみたい。すごく嬉しくて気持ちいい。

 とうさんが喜んでくれるのが嬉しい。
 とうさんが褒めてくれるのが嬉しい。
 とうさんとふたりきりで一緒に居られるのが嬉しい。
 兄さんが知らないとうさんを知っているのが嬉しい。

 秘密も訓練も勉強も。
 なぜだろう、この間まで辛かったのが嘘のようだ。
 まるで灰色だった世界が急に色鮮やかに華やいでいくよう。

 とうさんの横顔を見上げる。とうさんが好き、大好きだとしみじみ思った。前から好きだったけど、今までとは何かが違う感じ。
 僕の視線に気付いたとうさんがこちらを見て、どうかしたかと瞳で問いかけた。
「とうさん。僕、頑張るね」
「そうか」
 安心したように微笑み、とうさんは大きな手で僕の頭をなでてくれた。

END (2011.07.25)



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