注・この文章はPG-12指定です。


神父さんと僕 その1


「おぅー、帰ったぞー」
 玄関先ですっかり酔っぱらって千鳥足の獅郎が叫ぶ。隣で身体を支えていた長友があきれてため息をついた。
「飲み過ぎですよ、神父(せんせい)」
 数人の修道士が獅郎を迎えに出てきた。丸田と経堂が獅郎を引き取り、部屋へ運んでいった。長友がこった肩を回してほぐしているところに、和泉が話しかけた。
「お疲れ様です。また迎えに行ってきたんですね」
「ああ。いい加減にして欲しいよな、毎度毎度」
「はは」
 愚痴を言い合いながら二人は去って行った。その様子を、物陰から雪男がこっそりとうかがっていた。

 出された課題に質問があったので、義父の帰りを待っていたのだ。ふらふらした獅郎の様子が心配になり、雪男は台所でコップに水を汲むと獅郎の部屋へ持って行った。
 ドアが見えるところまで来たとき、獅郎を運んできた丸太と経堂が部屋から出てきたのが見え、雪男はこそこそと物陰に隠れた。本当であればもう寝ていなければいけない時間だったから、見つかれば部屋へ戻されてしまう。
 二人が見えなくなってから獅郎の部屋の扉の前に雪男は立ち、一度深呼吸すると、ためらいがちにノックをした。・・・返事が無い。もう一度さっきよりは強めに叩いてみた。すると、あーだかうーだか何か返事のようなうめき声が聞こえたので、雪男は薄く扉を開くと、そっと中をのぞき込んだ。
「あ゛ー、だれだー?」
 安楽椅子にぐったりと寄りかかった獅郎が低い声でけだるげに言った。普段自分には見せないぞんざいな態度に雪男は怯えてびくっとした。
「ん?何だ、雪男か?どうした。こっち来いよ」
 獅郎は雪男に気付くと身体を起こし、手招きをした。それを見て雪男は獅郎の傍へ小走りで走り寄った。
「とうさん、お水持ってきた」
「おお、気が利くな雪男は」
 獅郎は眼を細めると雪男の頭をなでた。眼鏡を外した義父を間近に見るのは初めてで、少し胸がどきどきする。
 獅郎は渡された水を飲むとこれを机に置き、自分の左ひざを叩いて雪男を呼んだ。
「雪男、おいで」
 もうひざに乗るほど小さくはない、と思う。少し気恥ずかしかったが、嬉しくもあったので呼ばれるままに獅郎のひざの上へちょこんと腰掛けた。
「でかくなったなあ、雪男」
 獅郎は左腕で雪男の腰を抱くと、右手でまた頭をよしよしとなでた。
「生まれた時はこんなちっちゃかったんだぞ」
 こんなだ、と両手の中指を突き合わせる。
「よくぞここまで大きくなってくれたなあ。ありがとな、雪男」
 両腕でぎゅっと抱きしめられる。顔が近付いて獅郎の吐息が顔にかかる。
(お、お酒臭い・・・)
「かわいいなあ、雪男は」
 かわいいかわいいと服の上から雪男の身体をなでていた獅郎の手が片方、パジャマのすそから侵入し素肌をなで回し始めた。嫌ではないが何か変な気持ちだ。照れくさくなって顔が赤くなるのが分かった。心臓がどきどきする。
「と、とうさん?」
 逆の手が雪男の頬に触れ、そこから耳と髪をなでた。
 とろけるようにとろんとした眼のふちが赤い、微笑みをたたえた口元がふとほころぶ。
「雪男」
 名前を囁かれただけなのに何故か鳥肌がたつ。
 顔がさらに近付いて、唇で唇を塞がれた。
(・・・?!)
 生温かいものが口腔に侵入してきたので、雪男はびっくりして離れようとした。が、獅郎の手に頭をしっかりと押さえられ逃げられない。そのまま口の中のあちこちを舐めまわる舌にされるがままになる。唾液が混ざり合い、口の端からあふれ出た。
(く、苦しいよ・・・)
 息の継ぎ方が分からず、解放されると雪男は真っ赤な顔で大きく肩で息をした。
 義父と眼が合う。何か恐ろしくなって、腕の隙間から必死で雪男は逃げ出した。

 急いで獅郎の部屋を出ると雪男ははあはあと息をしながら扉を背にして立ちすくんだ。今のは何だったんだろうと考えるが、混乱していて考えがまとまらない。
「雪男?」
 通りがかった長友に声を掛けられ、雪男はビクッと身体を跳ねた。
「まだ、起きてたのか?」
「お、おやすみなさい!」
 逃げるようにその場を去ると、雪男は自分の部屋に戻って二段ベッドの下の段へもぐりこんだ。
 壁の方を向いて丸くなる。ぎゅっと眼をつぶって眠ろうとするが、一向に動悸がおさまらない。胸が苦しくて痛い。
(明日になったらとうさんにあれが何だったのか訊いてみよう。そうしたらきっと分かるから)
 初めて感じる得体の知れない感情にたじろぎながら、雪男はそう自分に何度も言い聞かせた。



「あー、頭痛てー」
 翌朝、獅郎は食卓で新聞を広げながら頭を抱えていた。
「明らかに二日酔いですね」
 珈琲を差し出しながら、長友があきれた顔で言った。
「ゆうべはいつ家に帰ったのかも覚えてねえよ」
「・・・覚えてないんですか?」
 長友が眼を丸くする。獅郎はそれを見て、何だよいつもと台詞がちがうじゃねえか、と少し不思議に思った。ふと眼を上げると、戸口に雪男が立ちこちらを見ている。
「おう、雪男。おはよう」
 いつもと同じ『おはよう、とうさん』という明るい返事が返ってこず、獅郎はいぶかしんだ。
「とうさん、昨日の夜のこと、覚えてないの?」
「ん?あ、ああ」
 雪男はふくれた顔でずしずしと獅郎に近付くと、持っていたタオルを獅郎に投げつけた。
「ゆ、雪男?」
「とうさんの馬鹿!とうさんなんか、大っ嫌い!!」
 真っ赤な顔でそう叫ぶと雪男は走って台所を出て行ってしまった。すれ違った燐は驚いた顔で雪男を見送り、獅郎の方を向くと眉をしかめた。
「とうさん何したんだ?雪男泣いてたぞ!」
 ぽかんとして獅郎がつぶやく。
「・・・俺、何かしたか?」
 長友が非難げに獅郎を見た。
「そうでしょうね。雪男、ゆうべ様子がおかしかったですよ」
 獅郎は深くため息をつき、ゆっくり立ち上がると雪男の後を追いかけた。

 双子の部屋の前に立ち、獅郎はドアをためらいがちにノックした。・・・返事が無い。
「入るぞ」
 そう宣言してから部屋に入る。案の定雪男は自分のベッドの中で布団をかぶって丸くなっていた。
「雪男」
 ベッドサイドに立ち声をかけると、丸くなった布団が動き雪男が頑なに身を縮めたのが分かった。
 とにかく謝るしかないと思い、獅郎は膝立ちになり一度深く息を吸い込むとベッドの頭側の端に手をつき頭を下げてこすりつけた。
「雪男、すまん。とうさんが悪かった」
 覚えていなくとも理性を失った自分がやりそうなことは分かっている。雪男の様子からしておそらく間違っていないだろう。
「もう二度としないから赦してくれ」
 しばらくその体勢のまま固まっていると、ごそごそと雪男が布団の中から顔を出した。
「・・・覚えてないんじゃないの?」
「え、いや、なんつーか、その少しは覚えてるよ・・・」
 泣くのに邪魔だったのだろう。雪男は眼鏡を外し、泣きはらした赤い眼に涙を溜めていた。今さら後悔しても遅いものの、泣かせてしまった事実に心が軋むように痛んだ。と同時に、否応なく身体の奥から湧き上がる別の情に、我ながら反吐が出る。無理矢理そこから意識を引き離すと、獅郎は内心ため息をついた。
「雪男、ひとつ訊いていいか」
「なに?」
「どっか痛いとこはあるか」
「ううん、ないよ」
「そうか」
 取りあえず取り返しのつかないことはしていないらしい、と獅郎は胸をなでおろした。
「ねえ、とうさん」
「なんだ?」
「なんであんなことしたの?誰か女の人と間違えちゃった?」
「ま、まあそうかな。とうさん、お酒飲み過ぎていろいろ分かんなくなっちゃってたんだよ・・・ごめんな」
「ぼくじゃなくて、兄さんでも同じことするの?」
 返答に詰まる。まさか、おまえだけだと言うわけにもいかない。
「する・・・かもな。でも、もうしないぞ。しないから大丈夫だ、安心しろ」
 雪男は眉間にシワを寄せた難しい顔のまま、獅郎をじっと見ていた。
 慰めようと思い手を伸ばすと、雪男はまた布団の中へ亀のように引っ込んでしまった。胸がずきりと痛む。
「そうだ、とうさんしばらくお酒は飲まないようにするよ」
「しばらくってどのくらい?」
 布団の中からくぐもった声が聞こえる。
「一年くらい?」
「一年は長いなあ。付き合いもあるしなあ・・・一週間ぐらいか」
「じゃあ、一ヶ月」
 頭の上半分を布団からのぞかせて雪男が言った。
「分かった。一ヶ月な」
 雪男がかわいらしい手をにょきと突き出した。
「指きりげんまん」
 触れさせてくれることに少し安堵して、獅郎は自分の小指を雪男の小指に絡ませた。指きりの歌を優しく歌ってやる。
「指きりげんまん、嘘ついたら針千本飲−ます。指切った♪」
 まるで名残を惜しむかのように歌い終わった後も指を離せず、ようやく少し落ち着いたらしい雪男と静かに見つめあう。また拒否されるだろうかとためらいがちに手を伸ばすと、今度は頭をなでさせてくれた。雪男がくすぐったそうに眼を細める。
 後ろでガチャと扉が開く音がして、ドアの隙間から燐が顔を出した。
「ゆきおー、そろそろ支度しねえと時間ないぞ」
「あ、うん。兄さん」
 雪男は指を離すと眼鏡をかけ、起き上がって布団から出た。
 燐はすれ違うときにタオルを渡し、雪男に身支度を済ませるよう言うと、自分は部屋に入って2人分の帽子とランドセル、横断バックを手に持った。
「ありがとうな、燐」
 弟を気遣う燐に礼を言うと、燐は獅郎をジロリと睨んだ。
「雪男のこと、次泣かしたら、とうさんでも赦さないからなっ」
 それだけ言って燐が部屋を去る。なんとなく背筋が冷えるのを感じながら、獅郎は燐の背中を眼で追った。

「行ってきまーす」
「行ってきます」
「おう、行ってこい」
 まだ赤い眼をしていたがそれでもなんとか気を取り直し、いつも通り挨拶を輪唱して学校へ向かう双子を見送り、獅郎はひと息ついて食卓へ座りなおした。朝食を並べる長友の物問いたげな顔が眼に入る。
「これからは俺が酔っ払ってるときは子どもたちを近づけないようにしてくれ」
「言われなくてもそうしますよ」
 ため息と共に長友が返した。
「あー、それから一ヶ月は酒飲まないって約束したからな。晩酌もやめだ。頼んだぞ」
 ふーっと息をつくと、獅郎はわざと明るい調子にして言った。
「まあ、大丈夫だろ。一線は越えてないみたいだしな」
 長友がじろと睨み、辛辣な声を出した。
「それはどこに線を引くかによりますね」
 越えてしまった線はどこだろう。考えただけで冷や汗が出る。
「一ヶ月と言わず、一生禁酒なさったらいかがですか」
 言い捨てて立ち去る長友の背中を見ながら、獅郎はまた深くため息をつき頭を抱えた。

END (2011.07.19)



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