メフィ雪Webアンソロジー企画サイト「鍵のかかる庭」提出作品


約束

「こちらの部屋へどうぞ」
「ありがとうございます」
 案内してくれた執事に礼を言うと、彼は無言でお辞儀をして去って行った。
 メフィストに呼び出され渡されてある鍵で彼の邸宅を訪ねると、いつもの居室に彼の姿は無く、戸惑って部屋を出たところ待機していた執事に違う部屋へと案内されたのだった。一体何の部屋だろう。扉を開けるのに少し勇気が要り、雪男は彫刻の施された木製の扉をしばし凝視した。
 躊躇いがちにノックをすると中から「どうぞ」と返事があり、それを確認して扉を開けた。そして、目の前に立つ人の後姿を見て雪男は心臓が止まるほど驚き、息を飲んだ。
(と、神父さん・・・)
 長身に黒色のカソック、白のベルトを斜めに掛けている。白髪に飾り玉付きチェーンの丸眼鏡、腰から下げたロザリオ・・・。
「驚きました?」
 時間が止まったかのように思われた数瞬の後、振り向いたのはメフィストだった。白髪のカツラを外して手に持っている。
「丁度衣装があったので、ちょっとコスプレしてみたんですが、どうです?似ていたでしょう」
「悪い冗談はやめて下さい」
 動悸がおさまらないまま、雪男はむっとして答えた。メフィストが眼鏡を外しながら近付いてくる。
「藤本の遺品を修道院から引き取ったのですが、入用な物もあるかと思いまして。奥村先生に見てもらおうと思って呼んだのですよ」
 顔を見なければ義父が目の前に居るような錯覚を覚える。獅郎より高い身長も、自分が義父より背が低かった頃を思い出させ、雪男は動揺した。
「祓魔関係の書籍は悪魔薬学教室にすべて運んでしまってよろしいですか?部屋に置くには少々冊数が多いようですが」
 気を取り直して雪男は答えた。
「はい。準備室に運んで下さい。僕が要るものを選びます。残りは図書室に寄贈してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。こちらとしても助かりますよ。『藤本文庫』とでもしましょうかね」
 次にメフィストは書籍の山の隣に積んであるダンボールに手をかけて言った。
「これらは藤本のコレクションなのですが・・・」
「処分してください」
 雪男は間髪入れずに断言した。
「そうですか?一部には貴重なものもあるようにお見受けしますよ」
「処分してください!」
 義父のコレクションといえばいかがわしい本に決まっている。
「一度中を確認してみたらどうです?」
「興味ありません」
「あなたは興味がなくても、お兄さんは喜ぶのではないですか?他に欲しがるお友達もいらっしゃるのでは?」
「だとしても、結構です。捨ててください」
 あんなに大量のエロ本を寮に持ち込まれてはたまらない。エロ本に目がないピンク頭に寮へ出入りされても困る。
「そうですか、残念です。息子に自分の趣味を理解してもらえないとは、藤本も可哀想に」
 首をふりふり、メフィストは両手を広げて大仰にため息をついた。
「ああ、そういえばこんなものもありました」
 メフィストは二冊の分厚いファイル状のものを取り上げ、雪男の目の前まで近付いてきた。
「アルバムです。これはあなた達双子のものです」
 一冊を雪男に手渡しながらメフィストが言った。
 受け取って中を開くと、双子の写真が年代順に並んでいた。おそろいの衣装を着た赤ちゃんのときのもの。この頃は雪男の方が体格が小さく発達が遅れていて、燐がはいはいをしているのに雪男は寝転がっているだけだったり、とても双子には見えない。保育園の頃の写真、園での生活の様子を先生が撮ってくれたらしい写真や、七五三の写真、遊びに行った海でのもの。どれも幸せそうな双子が並んで写っている。小学校、中学校時代の写真はほとんど行事や式に撮ったものだ。保育園時代よりは堅苦しいが、それでも懐かしい写真には違いない。
 アルバムを作ってくれた義父の想いが溢れているのを感じ、雪男は心が温かくなると同時に、その存在の喪失を思って胸が痛んだ。
「そして、もう一冊。ちなみにこちらにはあなたしか写っていません」
 ほら、と目の前に開かれたアルバムを見て雪男は驚いた。体操着姿やら、ランドセル姿やら、銃を構えているものまで。寝顔もある。一体いつ撮ったのだろう。それに見事なまでに雪男の写真しか入っていない。
「残念ながらいかがわしい写真は見つけられませんでしたが・・・」
 ぱらぱらとめくりながらメフィストが言う。そんなものあってたまるか、と雪男は顔をひきつらせた。
「この写真などはどうです。素晴らしいでしょう。外して部屋に飾っておきたいくらいです」
 よほど義父が気に入っていたのだろう。大きく引き伸ばされた写真には中学時代の自分がはにかんだ笑顔をしてたたずんでいた。
「正に花も恥らうような笑顔ですよ。お可愛いらしい」
「や、やめて下さい!」
 恥ずかしくなって雪男がアルバムを閉じようと手を伸ばすと、メフィストは雪男の手の届かない位置まで高くアルバムを掲げた。
「しかし、これは明らかに男子中学生が父親に見せる顔ではありませんね」
 暗に義父と恋人同士だったことを指摘され、雪男は耳まで赤くなった。
『お前はすぐ顔に出るから気をつけろよ』
 何度も言われた義父の言葉が耳に帰る。
「このアルバムはさすがにお兄さんには見せられないでしょう。私が預かっておきます」
 冗談じゃない。燐に見せられないような代物をメフィストが持っているなど、弱みを握られているのと同じではないか。
「僕の写真です。僕に下さい」
「もらってどうするんです?」
「・・・大事にします」
「そうですか。なら、私があなたの倍大事にするので、私にくれませんか?」
「嫌です」
「強情な人ですね」
「とにかく、貸してください」
 雪男はメフィストが掲げ持つアルバムに手を伸ばした。すると不意にそのアルバムがふっと姿を消した。驚いて少しバランスを崩したところをメフィストに抱きすくめられる。
 着古したカソックから獅郎の匂いがして、雪男は息を飲んだ。
 腹の底の方からこみ上げるものがあり、思わず涙が零れそうになる。眉根を寄せ歯を噛み締めてこれを耐えた。
「藤本にもう一度逢いたくはありませんか?」
 不意に耳元で囁かれ、雪男は動揺した。
「私が逢わせてあげましょうか?」
「な、何を」
 顔を上げると真剣な表情のメフィストと眼が合った。
「藤本とは生前契約を交わした仲でしてね。彼の魂は今私の中にあるのですよ」
「まさか・・・」
「本当ですよ」
 不思議な色の瞳に吸い込まれそうになる。
「もう一度訊きます。藤本獅郎に今一度逢いたくはありませんか?」
 逢いたくないはずがない。だが、これは悪魔の囁きだ。決して耳を貸してはいけない。
 矛盾する思いに歯止めが効かなくなり、とうとう栓が壊れたように雪男の眼から涙がぼろぼろと溢れ出した。
「おやおや、泣かせてしまいましたか」
 メフィストは優しい顔で微笑むと、顔を寄せて涙を唇でぬぐい、そのまま雪男の唇にキスをした。
 甘い口付けに絡みとられて、意識が朦朧となる。
 再び耳元でメフィストの囁きが聞こえた。
「あなたが本当に私のものになったとき、藤本に逢わせてあげましょう。覚えておいて下さい。約束ですよ」
 メフィストは雪男の手を取り、自分の小指を雪男の小指に絡ませた。
「約束です」
 指きりした後、メフィストは身体をそっと離した。
「まあ、私は藤本と違って時間はたくさんありますから、そう急ぐこともありません。ゆっくり考えてください」
 半ば混乱したまま、雪男は部屋を後にした。どうやって寮まで戻ったのか、実はよく覚えていない。



 隠しておいたアルバムを取り出し、例の写真をもう一度眺める。
「これは本当に良い写真です。是非残しておかなくては」
 撮影者の被写体に対する愛情が、また被写体の撮影者に対する愛情が共に写り込んでいる貴重な一枚だ。愛し合うふたりの一瞬をそのまま切り取った写真。
「私にもこんな笑顔を向けてくれるようになると嬉しいのですが」
 写真の表面をなぞりながらメフィストは言った。しかし、ここまで無垢な表情はもうできないかもしれない。多くの傷を負った今となっては。
「本当に可愛らしい子ですね。藤本が夢中になるのも不思議は無い」
 上気した頬に赤く縁取りされた濡れた瞳を思い出し、メフィストはほくそ笑んだ。
「さっきから何を怒っているのです?私は泣いている子を慰めただけですが」
 自分の内に棲む魂に話しかける。
「それにあれは放っておいたらそのうち壊れてしまいますよ。まあ、私はそれでもかまいませんが」
 どうせ壊れるものならば、この手で壊してしまうのもまた一興。
 既に無数のヒビが入った魂はどのようにしたら粉々に砕けて私の手に落ちてくるだろう、とメフィストはあれこれと思案をめぐらせ始めた。

END (2011.07.15)



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