注・この文章はPG-12指定です。
所有者のしるし
廊下の向こうから歩いてくる想い人と一足早く出会えたことに胸を躍らせた志摩だったが、近づくにつれいつもと同じ黒のロングコートをいつもと違う着こなしをしているのが眼に入り、そのあまりの色気に開いた口が塞がらなくなった。
「こんにちは、志摩くん」
雪男は呆然として赤い顔で立ちすくんでいる志摩を不思議そうに見て、小首をかしげた。
「どうかした?」
胸元を凝視していた顔を黒目がちの大きな瞳で覗き込まれ、志摩ははっと我に返った。
「せ、先生、ちょっと!」
雪男の腕を取り、近くの教室のドアを開けた。
「うわ、な、何?」
「ええから」
半ば強引に教室の中へと押し込む。そして志摩は急いで扉を閉めた。
「先生、何ですのん?その格好。下に何も着てはらへんの」
そう言いながら志摩は鎖骨があらわになっている雪男の胸元の服を引っ張り、上から覗き込んだ。
「まさか、ちゃんとTシャツ着てるよ」
とっさに志摩から距離を取り、胸元を押さえて雪男は答えた。
「せやかて、着てへんように見えますよ!なんて、はしたない」
「はしたない?」
「アカン、アカン。そんな格好してたら、誘っとるようにしか見えませんて」
首を左右に振りながら、志摩は自分のYシャツを脱いで雪男の方へ差し出した。
「後生ですから、俺の服下に着たって下さい」
「え、何で志摩くんの汗臭いシャツを着なくちゃならないんですか」
「たのんますわ。一生のお願いや」
「嫌です」
雪男は志摩をきっと睨んだ。
「大体、そんな変な目で僕を見るのは君くらいでしょう」
「先生、無自覚過ぎますわ。危険や」
ため息をつきながら志摩は雪男との距離を詰めた。
「あんまり見せびらかすもんと違います。もう少し奥ゆかしくしとった方がええですよ」
志摩は雪男の胸元がもう少し隠せないかと、コートの両襟を手に取った。その手を払いのけると雪男は言った。
「別に僕がどんな格好してたって、僕の勝手でしょ」
志摩の表情がふっと暗くなり、目がすわった。
「聞き分けのない、お人やね」
志摩は突然両腕を雪男の体に回し腕を上から押さえると、首筋に顔を埋め鎖骨の辺りを強く唇で吸った。
「ちょ、なっ」
雪男が必死で抵抗するが、とにかく跡をつけてしまおうと、志摩は必死に一箇所に歯を当てて吸う。
「何すんだっ!」
雪男は志摩を払いのけ、右手をグーにして志摩の左頬を殴った。吹き飛ばされた志摩が頬を押さえる。雪男は怒りに顔を赤くしながら息を荒くして膝をついていた。
志摩は立ち上がってほこりをはらうと、落ちていた自分のYシャツを拾い雪男の肩にかけた。
「キスマーク見られたなかったら、ちゃんと着てくださいよ」
歯ぎしりして睨みつける雪男を静かに見下して、志摩は教室を後にした。
クラスメイトが待つ教室へ入ると、志摩はゆううつそうに無言で勝呂と子猫丸の近くに腰を下ろした。
「志摩さん、ケンカですか?」
Tシャツのみの姿と赤い頬が目に留まったのだろう、子猫丸が心配そうに訊いてきた。
「こいつの場合はケンカいうより痴情のもつれやろ」
あきれたように勝呂が言った。
「また先生になんぞ悪戯しようとして殴られたんちゃうん?」
図星をつかれて志摩はふてくされ、そっぽを向いた。
授業の開始を知らせるチャイムが鳴り、ほどなくして講義をするため雪男が教室に入ってきた。志摩のYシャツを着、ボタンは第一ボタンまできっちり閉めてある。
机にひじをついた志摩は、それを確認してふっと息を吐いた。
いつも通りにこやかに授業を進める雪男をそれとなく眺めていた志摩だが、時折こちらに向く雪男の視線が殺気を帯びていることに気付く。
(まだ、怒ってはる)
少し意外に思うと共に、その視線を浴びることがだんだん快感になっていくのを志摩は感じた。
(なんや、ゾクゾクするわ)
良く考えてみると、雪男がきっちり閉めたえりの下には自分がつけたキスマークがあるのである。それを思うと無性に嬉しくなり、志摩の表情がつい緩んだ。すると雪男の殺気がさらに増す。
ああ、こんなんもええなあと悦に入る志摩と密かに怒り狂っている雪男とを、そのことに唯一気付いた燐が何事かと2人の様子をうかがっていた。
「雪男、首んとこ何か赤くなってるぞ。虫かなんかに刺されたのか?」
寝支度をしているとき不意に燐にそう言われ、雪男は首をとっさに手で隠した。頭に血が上り、耳まで赤くなるのを感じる。
「な、何でもないよ。気にしないで」
雪男の反応を不審に思ったのか、燐が立ち上がって近付いてきた。
「ちょっと見せてみろよ」
無理矢理に首を見ようとする燐に、抵抗を試みるもののあっけなく隠していた手をどかされてしまう。
「これってキスマーク?だよな」
「い、いや虫か何かじゃないかな・・・うん」
ずいぶん大きい虫だけど、と雪男は思った。
「つか、志摩だろ?授業中すげー睨んでたもんな、雪男」
「え、あ、そうだったかな」
取り繕っていたつもりだが燐にはバレていたらしい。
「けど、これはその何かあったわけじゃなくて、あの・・・胸元が開いてるとはしたないとかなんとか志摩君が」
「あー、あの格好エロかったもんな」
「エ、エロかったって・・・」
燐はムッとして眼を細めている。怒っているだろうかと、雪男は様子をうかがった。
「何か、ずるいぞ」
「は?」
「志摩ばっかずりーよ。俺にもつけさせろ!」
「うわ」
雪男は勢い良くベッドの上に押し倒された。馬鹿力の燐に腕力で敵うわけもなく、あっさり組み敷かれて首筋に唇を寄せられる。
(く、くすぐったい)
キスマークの付け方が良く分からないらしい燐のキスは軽いもので、雪男は思わず肩をすくめた。
やがてうまく跡がつかないのことにじれた燐は、雪男の首筋に噛み付いた。
「痛い!」
尖った犬歯が肌に食い込んで、雪男は悲鳴をあげた。
「何で、噛むの!」
「だって、全然跡がつかねーんだもん」
少し身体を起こし、困ったような顔で見つめてくる燐を見上げ、雪男はため息をつくと燐の二の腕の柔らかそうなところを選んで強く唇で吸った。
「ほら、こうすれば跡がつくでしょ」
「でも、すぐ消えちゃったぞ」
「それは兄さんだからだよ」
「そっか。・・・けど、やり方教えてくれるってことは、つけてもいいってことだよな」
嬉しそうな燐にうんざりした顔で雪男が返した。
「噛まれるよりはましだからね」
燐はふたたび雪男の首元に顔を埋め、何を思ったのか今度は血がにじんでいた噛み傷を吸い始めた。
「痛っ・・・ちょっと兄さん、傷口はやめてよ。開いちゃうでしょ」
聞こえているのか、いないのか、燐はやめようとしない。
「兄さん、聞いてるの?」
様子が変わったようにも思える兄に不安を覚えつつ、雪男はなるようになれと眼を閉じた。
翌日。前方に廊下を歩く雪男を見つけた志摩は、機嫌良く走り寄ると後ろから抱きついた。雪男が驚いてびくっとする。
「せんせー、こんにちわあ」
「わっ、な、何?」
早速昨日のキスマークをチェックしようと、今日はきっちりネクタイまで締めてある胸元を開けて覗き込む。
「ん?あれ?」
雪男は胸元を押さえて距離を取り、がばっと志摩の方へ向き直った。
「何や?増えとる???・・・ちょっと、良く見せてみい」
「嫌です」
「見せろ、言うとんのじゃ!」
怒った志摩に抵抗むなしく胸元をさらされ、雪男は赤面して眼をそらした。
「何で、増えとるの」
「あ、いや、だから」
戸惑う雪男に物騒な顔で志摩がたたみかける。
「ははーん。さては燐くんやね。つけ方が下手くそや」
志摩は半眼のまま口元だけでニヤと笑った。
「ええわ。また新しくつけ直したる」
「ちょっと、もう駄目だよ!駄目だって!」
マーキング合戦がさらにエスカレートしそうな予感に逃げ出そうとする雪男を背後から捕まえ、志摩は雪男の首筋を吸い上げた。
「あっ、ちょっ、やめっ」
その後、雪男が首元を大きく開けた服を着ているのを見た者はいなかったそうである。
END (2011.06.23)
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