放課後はいつもの祓魔塾


「おっくむらくーん」
 教室へ向かう廊下で燐は志摩に呼び止められた。勢い良く走ってきた志摩はとても上機嫌でスキップでもしそうな勢いだ。
「ん、何か用か?」
「あんな、奥村くんにちょっと聞きたいことがあんねん」
「?」
「あーでもちょっと恥ずかしなー」
 志摩はにやにやと締りのない笑いを顔に浮かべながら身体をくねらせている。
「なんだ?何かお前今日気持ち悪いぞ」
 怪訝な顔で燐は志摩を見た。勝呂は2人の間にさっと割り込むと志摩の脇を抱え上げ、無言で教室へ引きずっていった。
「???」
 当惑する燐に子猫丸が声をかける。
「すんませんなあ、お手数おかけしますわ」

「つか、あれ何?どうしちゃったの志摩」
 隣に座った勝呂に睨まれている志摩に視線を向けつつ、燐は子猫丸に尋ねた。
「ああ、志摩さんの悪い病気なんですわ。発作みたいなもんやけ、気にせんといて下さい」
「病気って大丈夫なのか」
 勝呂がちらとこちらに視線を向けつつ言う。
「ま、いわゆる、恋の病ってやつや」
 志摩は勝呂と燐とを交互に見つつ、勝呂に文句を言った。
「何で俺奥村くんに話しかけたらあかんの」
「お前は落ち着くまで私語禁止や!」
「そんな、殺生な」
 志摩はへなへなと机に崩れ落ちた。
「文句言うなら俺らに面倒かけさせんようにし」
「面倒なんてかけさせてへんやん」
「あんなあ」
 勝呂は志摩の胸倉を掴むと志摩を睨みつけた。
「毎度、毎度お前の尻拭いしてんの俺らやぞ」
「尻拭いなんて。ねえ、子猫はん」
「・・・・・・」
 無言で子猫丸はため息をついた。
「どゆこと?」
 きょとんと燐が尋ねる。
「志摩さん、特定のお人に熱を上げはると相手にしつこくしすぎるん。そいで嫌われるんがオチなんやけど」
「ストーカーか」
「ストーカーはひどいわあ、お兄さん」
「お兄さん?」
「お前んは、完全にストーカーや!」
 勝呂が何故かあせったように怒鳴る。
「せやから、俺らが道外さんよう見張ってるんやないかい。中学ん時、何遍女の子の後着けて家まで押しかけてん、言うてみい」
「家まではよう行ってへんよ」
「それは俺らが途中で止めたったからやないか!」
「はは、せやったかなあ。でも、今日はおとなししてますよ。今日は」
「今日は、ってなんや」
「あー、思い出してもた」
 志摩は机の上に突っ伏した。
「あ、落ち込んだ。浮き沈み激しいな」
「そうやねえ」
 教室の扉が開き、それと共にコツコツと規則正しい足音が聞こた。耳聡くそれを聞きつけた志摩がびくっと身体を起こす。
「兄さん」
「おお、雪男」
 燐が振り返ると、祓魔師の制服をいつものようにきっちりと着こなした雪男が布の袋を差し出していた。
「ジャージ、部屋に忘れてあったから。今日、体育実技あるよね」
「あ、サンキュ」
 雪男がため息混じりに言う。
「小学生じゃないんだから、支度ぐらいひとりでできるようになってよ」
「分かってますって」
「あ、あの、せ、先生!」
 がばっと立ち上がった志摩が言った。顔を赤くし、眼を輝かせている。
「はい、何ですか志摩君」
 先生モードの一見優しそうな微笑を顔に貼り付け、雪男が答えた。
「えと、質問があるんで後でお時間頂いてもええですか」
 緊張しすぎて声が上ずり、イントネーションも平板になってしまっている。
「ごめんね、今日は他の仕事が入ってて無理なんだ。また今度にしてくれるかな」
 にこやかに志摩に答えた後、雪男は燐に向かって言った。
「兄さんも、遅くなるかもしれないから先に寝てていいよ」
「お前、また任務かよ。昨日朝帰りだったじゃんか」
「よく気付いたね。いつもぐっすり寝たまま何があっても起きないのに」
「夜中に目が覚めたとき、まだいなかったからさ」
「今日は昨日の事後処理だから、昨日ほど遅くならないとは思うけど」
「お前、飯ぐらいちゃんと食えよ。残すとウコバクが怒んぞ」
「大抵、帰ってから食べてるよ」
「それって深夜だろ。身体に悪いぞ。途中抜けて食べにこれないのかよ」
「うん、まあ努力はするけど」
 雪男は腕時計で時間を確認すると、軽く別れを告げて出て行こうとした。
「じゃあ」
「おう」
「せ、せんせ、さようなら!」
 上ずった志摩の声にふと雪男は振り返り、微笑して答えた。
「はい、さようなら」
 またコツコツと規則正しい靴音を響かせながら去っていく雪男の背中を、志摩はキラキラオーラ全開で見送ると、はあ、と悦に入ったため息をつきながら椅子に腰掛けた。
「また今度、やて」
「・・・いや、志摩さん、今のは完全に相手にされてへんかったよ」
「逢えんはずの日に偶然2度も逢えるやなんて、これは運命や・・・」
「聞こえてへんな」
 状況を掴みきれない燐がまたたきした。
「え、何?どゆこと?」
「まさかと思たけど、奥村せんせか・・・」
「そうですねえ」
「雪男がどうかした?」
「せやから、志摩さんが熱をあげてはる相手が、奥村せんせやて話ですわ」
「え、雪男?」
 燐が驚いて叫んだ。
「だって、男だぞ」
「志摩さん、惚ったはれたんときはどっちもありなんですわ」
「節操ないねん、こいつ」
 驚いて固まってる燐を尻目に、勝呂と子猫丸はふと肩の力を抜いた。
「でもまあ、あの先生なら大丈夫やろ。むしろ良かったかもしれへん」
「そうですねえ、安心ですわ」
「ちょ、ちょっと待てよ。全然良くねえよ。何が安心だよ!」
 慌てる燐に子猫丸は詫びた。
「えろうすんまへんなあ、お身内には失礼やったね。けどせんせなら、お嫌ならご自分で撃退できますやろ、いうことですねん」
「せや。これが気弱で押しに弱いタイプだと苦労するん」
 うちらの出る幕はなさそうで良かったですわ、と笑い合う2人を見て、燐は内心愕然とし、雪男の外面の良さを呪った。
(違う。あいつは、本当は・・・)
 まさに『気弱で押しに弱かった』子ども時代が思い出される。内気で臆病で泣き虫で、いじめられても泣き寝入り。何がしたいのかどう思っているのか、こっちが一生懸命察してやらないとなかなか表現してくれなかった。
 恋愛感情には極度に疎くて・・・そういえば、さっきの志摩のうわついた様子にも、雪男は全く気付いていなかったのではないだろうか。
 肩の荷を降ろした風の勝呂と子猫丸とは対照的に、燐は徐々に不安が大きくなっていくのを感じていた。



「雪男のやつ、まだかよ」
 あれこれ気になって寝るに寝れず、パジャマ姿で燐は部屋をうろうろしていた。
「くそっ」
 ときどき頭をかきむしる。
 あいつは仕事が恋人なのか、だとしたら大した熱愛ぶりだ。
 いつもは全く気にせず先に寝てしまっているのに、起きて待っているとなると途端に自分が放って置かれている気分になるから不思議である。
「ん?やっと帰ってきたか」
 悪魔になってから過敏になった五感が、雪男の帰宅を知らせていた。マンガでも読んでいたことにしよう、と雪男のSQを適当にあさりベッドにもぐりこんだ。
 がちゃり、と部屋の戸が開く音がする。
「ただいま」
「おう、おかえり」
 ほっとしたような顔で雪男は部屋に入ると、荷物を置き上着を脱ぐと壁にかけてあるハンガーに掛けた。
「兄さんがこんな時間に起きてるなんて珍しいね」
 声が幾分嬉しそうだ。
「もう寝るけどな」
「そう」
 雪男は部屋着に着替えると書棚から本を数冊取り机に置くと、座ってノートを開いた。
「お前、今から勉強かよ。つか、飯は?風呂は?」
 驚いた燐が身体を起こす。
「明日の授業の準備だよ。やっておかなきゃいけないことだし、兄さんが起きてるんならこっちを先にしようかと思って」
「はー。よくやんな、お前」
「兄さんも起きてるんなら勉強でもしたらいいのに」
「もう寝るって言ってんだろ」
「はいはい」
 本とノートに集中し始めた雪男を確認してから立ち上がると、燐は視線をうろつかせ身体を掻きながら自分の席に向かった。椅子を雪男に寄せてから逆向きにして腰かけ、背もたれに顎を乗せて雪男を眺めた。
 ぶすっとしているだけの燐をちらと見て視線を戻し、雪男は言った。
「何?言いたいことがあるんなら早く言えば?」
「あー、えと、あのさ」
 燐は視線を外し言いにくそうに口を開いた。
「お前、志摩のことどう思ってる?」
(あ、やばっ)
 思わず前置きをすっとばし、ずっと脳内をぐるぐるしていた問いを唐突に発してしまい、燐はあせった。
「どうって・・・まあ、もう少し頑張って欲しいなとは思ってるけど」
「頑張るって、何を」
「何をって・・・具体的に何がって、今すぐに言うのは難しいよ」
 結局何が聞きたいのか、と雪男は燐の方を向いた。
「急にどうしたの?志摩くんがどうかした?」
「あ、いや、その」
 燐は視線を泳がせた。
「昼間、俺の知らないとこで何かあったみたいだったから」
「ああ、お昼休みにたまたま会ったから一緒にご飯食べたけど?」
「それだけ」
「うん」
 それだけで志摩があんな状態になったのは何故だろう、と燐は首をひねった。
「そういえばお前、あんまり同年代の友だちとか恋人とかいないよな」
「そうだね。でも、それほど必要と感じたことはないし、それに」
 雪男は机上に視線を戻し、作業に戻った。
「たとえ作ったとしても遊んでる暇もないし、話も合わないよ」
 燐はふと思い当たることがあり、心が少し重くなった。
「なあ」
「ん?」
「お前って、7歳のときからそんな感じだったのか?勉強に忙しくて、友だちも作れなくてって」
 最年少祓魔師。そうなるためにどれだけの犠牲を強いられてきたのだろう、この弟は。やらなくてはならないものは学校の宿題ぐらいしか無かった自分の日常と、どれほどの差があるのだろう。
「それって、やっぱ俺が・・・」
「兄さんのせいじゃないよ」
 雪男は燐の言葉をさえぎって、きっぱりと否定した。
「僕が選んだ道だから。後悔はしてない」
 雪男は燐の方を向いて微笑んだ。
「だから兄さんもそんな顔しないで」
「そっか。お前は強いな」
「別に強いからではないと思うけど」
「いや、強いよ」
 思い定めてからそれを貫く強さ。燐はそれを少し眩しく感じた。
「兄さんも」
「ん?」
「祓魔師になるって決めたんなら、もっと頑張らないとね」
「・・・そうだな」
 雪男は机の上の本とノートを片付けると、風呂道具を用意し始めた。
「でも、今日はもう遅いから寝たら?でないと、兄さんは朝起きないでしょ」
「お前はいつもそんなに寝ないでよく平気だよな。寝るの遅いくせに朝は早く起きるし」
「兄さんこそ、あれだけ寝てまだ寝れるんだってことに毎朝僕は感心してるけどね」
 荷物を持つと雪男は部屋の入口へ足を向けた。
「電気消すよ?おやすみ、兄さん」
「おやすみ、雪男」
 パチと明かりが消え、雪男は風呂へ入り食事を取るために部屋を出て行った。

END(2011.6.12)



子猫丸の「お嫌ならご自分で撃退できますやろ」は、無理矢理押し倒されても反撃できるよね、って意味です。




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