上記の地図は、入手した工事計画書に記載されている路線を、現在の地図上に重ね合わせて描いています。
工事は約7割まで完了していたそうですが、戦況の悪化、さらに清水、静岡の大空襲により静岡清水線の大多数の車輌が戦災を受けてしまい、
運転開始の見込みも立たぬまま終戦を迎えたそうです。
現在は路線跡はもとより その名残を伺わせるものが全く見つかりません。軍事統制下に短期間存在していたためか写真も残っていないようです。
戦後、静鉄三保線の路線跡がどのような経緯を辿ったのか、もし覚えている方がいらっしゃいましたら、是非、お話を伺わせてください。
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