静鉄電車 七夕豪雨 復旧の記録
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七夕(たなばた)豪雨について
昭和49年(1974)の7月7日の夜から東海地方を襲った豪雨は、静岡、清水に508ミリという記録的な大雨をもたらしました。
のちに「七夕豪雨」と呼ばれるこの大雨により、各地で河川の氾濫や土砂崩れが発生し、静岡県内だけでも死傷者285名、浸水家屋8万戸以上の被害が発生しました。
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7日夜の決死の輸送
7日の夜、大雨警報、洪水注意報を受けた静鉄では、職員の方による要注意箇所の監視が続いていました。
午後9時半頃、追分踏切から狐ヶ崎ヤングランド前駅構内が浸水したため、全列車の運転を中止し 最寄駅に停車するよう列車無線による指示が行われました。
緊急でバスが手配され、すでに各所で浸水が始まった悪路の中、新静岡〜新清水間の折り返し「代替輸送」が行われました。
豪雨の中の決死の輸送は 約3時間続き、ついに輸送できずに残ってしまった乗客12名は、当時、運動場前駅の近くにあった国吉田のバス営業所に避難していただいたそうです。
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静鉄電車の被害状況
静岡清水線では各地で線路の浸水、路床の侵食等の被害が発生しました。
狐ヶ崎ヤングランド前駅の東を流れる谷津沢川の氾濫では、約8,000立方メートルもの多量の土砂が駅と線路を被い尽くしました。
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復旧への道のり
静岡清水線の復旧は、災害翌日から全線で精力的にすすめられ、7/9の朝から新静岡〜運動場前 間の運転が再開されました。
運動場に到着した電車は、乗客を降ろし駅東側の非常用渡り線で上り線に移り、新静岡へ折り返しました。
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7/9の夕方には運動場前〜草薙 間の運転も再開されました。
ただし運動場前駅の渡り線を利用するため、運動場前〜草薙の間は、下り線だけを利用した単線運転が行われました。
そのためこの区間では踏切が上り電車を検知できないため、職員の方が全踏切の安全確保をおこなっていました。
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まさに全社員総出動による必死の復旧作業と輸送が続けられました。
被災から4日目の7/11には、草薙〜御門台 間の運転も再開されましたが、運動場前〜御門台 間は下り線のみを利用した単線運転でした。
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最も被害が深刻だった狐ヶ崎ヤングランド前駅では、まず堤防が壊れた谷津沢川の流れを 3日掛りの突貫工事によりコルゲート管に導入することにより止水し、ようやく土砂の取り除き作業が開始されました。
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昼夜を問わず続けられた復旧作業により、全線運休からわずか1週間後の7/15、全面復旧し、新静岡〜新清水 間の複線運転が再開されました。
ただし、同じく七夕豪雨により被害を受けた静鉄 清水市内線、浅間山リフトは、廃止を余儀なくされてしまいました。
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