動機付けには、欲望があれば必要十分です。競馬を生活の糧にしているわけではありませんが、予想を的中させることは、 男のロマンです。ロマンという言葉をもう少し日常的な言葉に置き換えると、「結果と予想が一致した満足感」と 「口座のお金がちょっぴり増えること」になります。
パソコンを持っていて、競馬や競輪が趣味の一つという方なら、 一度は予想プログラムに類する物を考えたことがあるのではないでしょうか。
重ねて言いますが、確実な未来予測など絶対に存在しません。
しかし、擬似的に、起こりうる可能性の内、確率的に多いものを選び出すことはできます。
単純に”馬の能力値の計算結果の最大値の組み合わせ”で結果が固定されるなら、本命馬にみんな賭けるわけです。 しかし、実際はそうではありません。状況によって変化する「可能性」があるわけです。 その可能性の計算をどうするかの部分が、本当の予想になるわけです。 それは、正しいデータを与えて、正しい試行することです。天気予報もこの分類に入ります。 ただし、この「正しいデータ」も「正しい試行」もまた、あくまで擬似的なことで、完全な物はありません。 (だから天気予報は外れるのです。)
天気予報の場合は、唯一気象庁が行ってそれが日本中の人の生活に関わっているわけですから、責任重大でしょうが、 競馬予想程度のことなら、要は、他の人よりも正しいらしい(=当たりやすい)プログラムでありさえすればいいわけです。
現在、すでに私は、発走馬の能力分析用EXCELファイルを持っていて、競馬予想に利用しています。
当然、予想の範囲を広げれば当たりやすくなる(=可能性の幅を広げる)わけですが、それに伴って投資額も増えます。 試合に勝って勝負に負けるということです。
全くデータ上に現れていないとんでもない馬が勝ってしまった、というなら仕方ありません。 しかし、自分としてはあり得ないと考え削った予想が、結果として出現した場合、本当に悔しいですよね。 自分であり得ないと考えるのは、あくまでも主観です。見落としや、思い入れによって、冷静な判断ができなかったわけす。
特に現在のように「3連複」や「3連単」のような結果が多岐に渡る(=可能性が広いもの)については、 削られる予想や見落としが増えます。