|
徳川家康(三河出身)が、天正18年(1590)、時の関白・豊臣秀吉の命により江戸に国替えとなり、後に「冬の陣」「夏の陣」を経て家康が政権を取り、江戸幕府が開かれます。家康は赴任後、積極的に近隣の神社に寄進を行い、祭祀を支援しました。
特に、日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭が将軍によって保護され「天下祭」となりました。
この天下祭という名称は、「神輿行列が江戸城を訪れ、天下の将軍が「上覧」する。」習わしから、そう呼ばれるようになったと言われています。普通なら町人が「将軍様」にお会いできることなど叶わぬこと、さぞかし名誉なことであり、喜びに満ちていたことでしょう。天下祭では、神輿行列の後に続いて、屋台、山車、練り物、曳き物とお囃子で町中を練り歩き、舞や歌物を演じて町中を賑やかしました。 |
しかし、現在ではこれら天下祭の屋台等、数台の山車を除いて曳き物は殆ど存在していません。町の近代化に伴う電線の敷設、区画整理事業(道路拡幅等)、天災(関東大震災)、戦争等による町の変転により、明治22年を境に祭の衰退が進み・・・、現在、東京の祭は神輿が主役となっていますが、神御は神幸祭の折に使用されるべきもので、町を練り歩く物では・・・、残念ですね!
(神輿は神様がお乗りになって氏子町内を清めて廻る神聖なもの)
ところが現在でも近隣の町(横須賀、青梅、川越、飯能や栃木等々)には、当時の天下祭を彷彿させる山車等が残っています。
今回の400年祭では、里帰りのような形で天下祭の再現と銘打って行なわれました。本来の「天下祭」ではありませんが、ものすごく沢山の人々が楽しんでおられたので本当に良かったと思いました。
東京の町に「天下祭」が再興することを切に願っています。 |
<山車> |
@山王祭・九段三丁目「牛若丸」 A山王祭・三番町「東郷元帥」 B山王祭・九段四丁目「弁慶と牛若丸」 C神田祭・神田松枝町「羽衣」 D青梅市森下町「武内宿禰」 E遠州横須賀・川原町「川中島」 F遠州横須賀・東田町「五条大橋」 G熊谷市本三四「戸隠」 H鴨川市・「恵比寿」 I川越市志多町「弁慶」 |
<神輿>千代田区内の神輿9基
<行列>山口県萩市の大名行列、
民謡の流し踊り
これらが、江戸に「里帰り」しました。
|