平成16年度祭典






夢、それは叶えるもの !

思い続ければ、いつか叶うもの !

祭に掛ける思いは、それぞれ様々、
熱い思いがぶつかり合う。

中泉のお祭りも例外ではない。

“地元のお祭りが一番!”
そう思っているし、思いたい。

本当にそう思える祭を・・・!

いつの日か ・・・!

夢が叶えられたら・・・ !?


【初 日】


 祭典初日、全町の山車が午後一時までに八幡宮境内に勢揃いする。それぞれ午前中に自町内の挨拶廻りを済ませ、早々にお宮に集まってきて、多くの見学者にお披露目される。

 祭典は、全ての山車が宮に集まり『出立祭』を行うことで始まりとなる。


 毎年、『出立祭』は恒例祭事として決まっているので、それを知っている多くの観光客が昼頃になると境内に集まってくる。山車の周りは彫物や幕を見学したり、お囃子に聴き入っている人々で賑わう。
 到着した町から順に全員揃って拝殿前に行き、お参りをする。
 
 17台の各山車が拝殿に向かって、境内南側の広場に宮抽選順に横一列に参列し、各町思い思いの奉納囃子・奉納舞の競演が始まる。それに伴い各所で感嘆の声と共に拍手が沸き上がる。

 出立祭が始まるまでの間に行なわれる子供達、若者による奉納舞・奉納囃子は、今では中泉の祭の名物のひとつになっているので、遠方からも多くの見学者が集まってくる。

 明るい時間帯にじっくりと山車の彫刻や水引幕・見送り幕を眺める人や祭関係者とおもいおもいの話に花を咲かせている人、奉納舞を楽しむ人、八幡様の境内は溢れんばかりの人々でごった返し、府八幡宮祭典の始まりである。

 午後1時半から『出立祭』が始まる。年番による開式を告げる挨拶に続き、宮司が祭壇前に進み出て、お祓いの「祝詞奏上」に続き「お祓い」が始まる。まず、全山車を祓い、次に祭典委員長はじめ祭典関係者を祓い、市長、警察署長他、来賓を祓う。

 続いて年番が各町の山車と世話係総務を紹介した後、各町祭典委員長、世話係総務が次々に祭壇に「玉串奉奠」を行なう。次に宮司から各町外交に各山車に備え付けて、祭の無事を祈願するための御幣をいただく「御幣拝受の儀」を行なう。

 その後、年番が代表して「奉納舞」の披露を行なう。観客が静かに見守るなか、会場に設置された特設舞台の上では、その中ほどに舞いの衣装を付けて正座し、お辞儀の姿勢で待っている子供達がいる。そして、いよいよ拍子木が打ち鳴らされ、子供達の演奏による奉納囃子「昇殿」が始まる。 

 「大間」が始まる。舞台の奥には、世話係、中老、大老が揃い、掛声と共にお囃子に合わせて体が動く。
「シチャ、シチャ・・・、・・・」 「シチャ、シチャ・・・、・・・」

 そしていよいよ年番祭典委員長による挨拶の後、年番外交の合図により祭の開始を告げる「宮出し」が始まる。




<出立祭> 式次第
開式あいさつ(年番総務) 午後1:30
祝詞奏上<のりと そうじょう>(宮司)
お祓い<おはらい>(式典参加者全員並びに山車)
玉串奉奠<たまぐし ほうてん> 
        (各町・祭典委員長、世話係総務)
御幣拝受<ごへい はいじゅ>(各町外交)
       (山車に供え祭典中の安全を祈願する)
奉納舞・奉納囃子<ほうのうまい・ほうのうばやし>
                (
年番町による手子舞の奉納)
閉式あいさつ(祭典委員長)
宮出し<みやだし>(大鳥居から) 午後2:30〜

   


年番による各山車紹介と共に順次宮抽選順に宮を出発する。これが「宮出し」である。山車曳廻しは、各地域の特徴を活かし各所に別れて行なわれる。

 西地区・五台(玉匣社、志組、心誠社、石溪社、盛友社、新栄社)の山車は伝統に則り、相互訪問による各町廻りをしている。地割を越えて自町に入ると、その町の山車はそれぞれの個性を発揮した披露をする。

 例えば、  玉匣社は湯川荘交差点(岡田線)変則六差路を利用して、4台の山車が順番に岡田線以外の各路地に入り停車待機したところで、残り2台の山車を岡田線に停車すると同時に一時交通止めにして交差点中央にて“白狐の舞”の競演を行ないます。

 志組はライスランド交差点において六台の山車が向かい合わせになって、その真ん中で子供達による「子供・手古舞披露」に続いて世話係による「烏天狗の舞」の披露をする。「烏天狗の舞」は、中泉では志組の専売特許のようなもので、大変珍しい舞です。手古舞に力を入れている町ならではのものです。

 心誠社は何といっても豪華な二層山車とアセチレン・ガスの照明、山車前の雰囲気は最高である。自町に入ると全員が持つ練り提灯と山車が一緒に左右に揺れダルマ小路に入る頃には、練りの中に“ひょっとこ”も一緒に何人も練りの中で踊ってる。盛り上がりは最高潮に達する。

 石溪社は自町の地割を越えると、“本曳き”を始める。ピシッと統率の取れた本曳きは流石である。時間通り一秒も狂わず停車し、停車後の子供達による手古舞の披露も日頃の練習の成果が出ていて素晴らしい。そして、出発はもちろん、“四丁目”から始まる。

 盛友社は川の上に特設ステージを設け、日頃から練習を重ねてきた“般若の舞”やその他の舞を見せてくれます。これを見たい人達が早くから場所取りに苦心しています。そして見逃せないのが、改修され鯉が沢山泳いでいる川沿いの道を通る山車の灯が川面に揺れて素晴らしい情緒を醸し出してくれます。

 新栄社は道幅が広いオレンジ・ロードを活かして、子供達と世話係他全員で踊る手古舞が売り物です。山車停車後、道幅一杯に使って、思い思いのスタイルで“ひょっとこ”“おかめ”の踊りが繰り広げられます。華やかさはバツグンである。

 それぞれの町で特色ある披露が行なわれるので、それらを見逃さないためには、山車に伴って行く事をお薦めします。


 国府台地区・五台(鴛鴦社、泉湧社、旭祥社、本町、高栄社)の山車が旧磐田病院跡地の広場に集まり、多くの地元町民が集う“お祭広場”になります。この会場では子供達のお囃子と手古舞の披露に続き、若者による「大練り」が始まる。これはかつての「一中練り」と似ています。時間をたっぷりと取りますから、ゆったりと楽しむことができます。もちろん、手古舞の披露も人気があります。


 東地区・九台(鑾留閣、東組、鳴鶴軒、騰龍社、宮本、御殿、大泉、み組、北よう社) この地区の特徴は、祭典初日に駅前周辺をそれぞれ曳廻していた山車が、あらかじめ時間を決めておいて一斉に駅前通に集まります。一瞬のうちに揃った山車が一斉に「手古舞」の披露を行なう“手古舞の競演”これが人気を博し、多くの観光客を集めて、感動の一瞬です。


【二日目】

 しかし、何といっても祭最大の見せ場は二日目、宮入りのまえに駅前通りに中泉地区全山車二十台が揃う千秋楽です。

 駅前から宮前までの間に二十台の山車が勢揃いし、一斉に手古舞「般若の舞」「白狐の舞」「烏天狗の舞」「ひょっとこ踊り」が披露される様は圧巻である。溢れんばかりの観光客に見守られながら演じる子供や世話係のための見せ場、最高潮に達した祭は参加者も見学者もなく感動に包まれる瞬間です。

 次はいよいよ『宮入り』である。大鳥居の所まで先に来て待っていた観客も大勢いる。各山車が大鳥居を潜り抜ける度に歓声が上がる。それぞれ思い思いの演出で宮入りします。最後の見所、もう後はありません。追いかけてきた観客も集まりだし、境内はもう寿司詰状態、このまま祭が終わらないで欲しいと思う!

 境内に全山車が揃うと、年番外交の指示で各町外交が拝殿前に集まり観衆が見守る中で年番総務の「お礼の挨拶」に引き続き、『御幣返しの儀』が始まる。安全で楽しい祭ができたことに対して、感謝を込めて「拝礼」、宮司による「祝詞奏上」の後、「各町・御幣返し」、「祭典委員長の挨拶」があり、今年の祭に対する感謝を込めて神社境内に「万歳三唱」の声が響き渡り、その後、静寂が訪れる。これで本年度祭典は無事終了となる。

 解散後の玉匣社は、騒ぐこともなく祭の余韻を楽しむように「ノーエ節」を歌いながら、干渉にしたりながら自町に帰っていく。何となく心に浸みる節回しに目頭が熱くなる。
 自町に戻り、今年の祭も静かに終わる。       《夢》


<宮入れ>全山車(大鳥居より)

<終了式> 式次第
あいさつ(年番総務) 午後8:30〜
祝詞奏上<のりと そうじょう>(宮司)
御幣返し<ごへい がえし>(各町外交)
閉式あいさつ(祭典委員長)万歳三唱
解散 午後9:00


ここに書かれている内容は、実町名等を使って描かれていますが、すべてフィクションですので、あくまで“夢”を語ったものであり、現状とは異なります。


<私の夢>

 上記の内容はあくまでも個人的に描いている夢にすぎません。
 しかし、夢というより、すごく現実味のある内容だと思います。特に宮に於ける「出立祭」「御幣返しの儀」等の式典は、実現することを切に望むものであります。元々、中泉の祭には多くの素晴らしい要素(由緒ある神社、立派な山車、手古舞、お囃子、etc.)が揃っています。それを祭の原点に立ち返り、祭典に於ける神事を重んじて全体の体系を整え、今までの伝統を大切にして、ほんの少しだけ頑張って工夫してみれば、実現できることです。ここに書かれている曳廻しに関する内容は、あくまで空想的な発想で描いたものですので、各町が実際に行なうときには全く別なものになるでしょう。出来ることなら、16台が揃って曳き廻される事が望ましいことですが、始まりと終わりを宮に集まり、一緒になれば、これは「16台の祭」と言えると思います。話合いの決裂による団体行動の分裂ではなく、話合いによる理解の上での盛り上げのための多様性の追求、ではないでしょうか。
 いつの日か・・・この夢が現実になることを祈っています。
 そして我が郷土の祭が多くの人々に感動を与え、自分たちも感動することのできる祭にして、子供達に残してあげたいものです。 

<祭の原点>

 祭は、お宮を中心とした神事を行なうことが目的です。
 祭は、「宮から始まり、宮で終わる」当然のことであって議論の余地はありません。

 しかし、だからといって余興である山車曳廻しは、付け足しだから、どうでもよいものではありません。

 京都の祇園祭は、町中に疫病が流行して困っていた町民が疫病退治を八坂様(神社)にお願いしたことが、お祭りの始まりです。

 疫病神(事件事故などで殺されたり、不慮の死を遂げて成仏できずに、苦し紛れに世間を惑わす霊のことをいう。)をおびき寄せる為に山車を繰り出し、お囃子や舞を踊ることで町民を楽しませ、それにつられて一緒に出てきた疫病神を稚児の体を借りて降りてこられた神様のお力でそれらの疫病神を霊界に封じたとされています。それ以来、恒例行事となり、全国に広まりました。

 年に一度、神様がお乗りになった御神輿が本宮を出て御旅所に行き、氏子の町を廻って願いを叶えくださる。このお祭りに、みんなで何を願うのか・・・!?
山車は、その御神輿のお供をして町を廻り、日頃の苦労を忘れて、皆で楽しい一時を過ごす。より多くの人々に楽しんで貰うには、どうすれば良いのか!?私たちの課題です。

 全国の祭は、祇園祭の影響を受けて行なわれています。中泉の祭も例外ではないでしょう。ですから、そうした意味合いを踏まえて、本来の祭の在り方を考えていかなければ、祭も空しいものになってしまいます。もちろん、時代にあった内容に合わせていくことも重要ですが、あくまで基本線は外さないようにしたいものです。

 より多くの人達が祭を通して、仲良く楽しむ、そのためにはどうしたらよいのか、先人の思い、知恵とは・・・?私たちに問われているものは・・・?

 遠州中泉 府八幡宮祭典においても昔は当然のことながら、祭典当日(二日間)に全山車がお宮に集まり、神事に参列してから曳廻しを始め、最後は必ず八幡宮に集まって解散式行って修了していました。

 私たちが考えている“祭の常識” は、本当に正しいでしょうか?
 伝統的な“仕来り”の中にいつの間にか、
       “悪習感”が間違って入り込んでいなでしょうか?

  これからの祭を、あなたならどうしますか? どの様にしたいですか? 
 今の祭で誰が一番楽しんでいると思いますか?
 本来、祭は誰のためのものでしょうか?

  祭の目的は・・・?
  一人ひとりが、もう一度すべてを白紙に戻して考えてみましょう。
 それが祭を預かっている我々の責任ではないでしょうか。
 







 磐田市外三町一村は、平成17年4月1日に合併することが決定。人口17万5千人の新磐田市が誕生します。
 合併に伴って各地の伝統的な祭典への影響はあるのか?
あるいは新しい祭は生まれるのか?
このあたりの事情について特集します。

 
 行政自治体が合併したからといって、基本的に伝統的な氏子の祭典やその余興であるお祭りに直接的な影響はありません。

 これからも独自性を守り地域コミュニティーの発展のために地域の祭典が益々盛んになることが望ましいと考えられます。ただ、合併が実現し新しい行政区が誕生すれば、そこに新たなアイデンティティーが生まれるのも事実です。そこで、新磐田市にふさわしい新磐田市民が参加できる祭が必要になります。

 合併協議会の議論の中でもこの問題は取り上げられ、新たなフェスティバルを模索しています。みんなでアイデアを出して素晴らしい新たな祭りが創造されるようにしたいものです。

 
 合併により大きな自治体になると、地域の伝統や文化がないがしろにされるという心配があります。例えば今まで竜洋町という自治体の中での「掛塚屋台祭り」だったのが、新磐田市になった場合にどのような位置づけを行政はしてくれるのかという心配です。

 地域の屋台づくりに対して町が補助金を出していたが、新磐田市でもそれを継続するのかしないのかというのは大きな問題です。祭典ポスター一枚をとっても、製作方法は市町村によって色々ですからこれをどうするのかも重要です。

 合併協議会では、将来の事業の中に、「屋台会館」の建設を挙げています。これは竜洋町から提案されたもので「掛塚屋台」を地域財産として生かしていきたいとするものです。掛塚屋台祭りを中心としながらも新磐田市全体の祭礼も案内・展示ができるものとなればより良いものとなるでしょう。ですから名称は「お祭り会館」とすべきだと思います。

 
 合併に向かって「祭り」という観点から見た場合に次の三点を課題だと考えます。

 まず
@新しい祭りの創造、キーワードは「山車・屋台」。季節は春。

A各地伝統的な祭典の継続と発展。ポスターなどは「秋の連続的な磐田全域の代表的な祭り」を網羅したものとし、行政の支援が必要。観光政策と文化伝統行事の育成。

B伝統的な祭典の改革。新たな時代の新たな地域コミュニティーにあったエリアでの再編成。このうち@Aは市民と行政が力を合わせることにより解決する問題です。
Bは、市民、氏子、お祭り組織、神社関係者などが行政の力を借りず(そもそも借りることはできない問題)改革しなければならない問題だと思われます。

 具体的には、わが中泉の祭りの在り方を、二之宮、京見塚を含めた一神社を超えた(超えられない部分は部分として残し)中泉地区全体の祭典余興に、合併という吉事をチャンスとして改革実現すべきです。おそらく、氏子エリアと行政エリアのアンバランスのある祭は中泉だけではないと思われます。合併というこの時にこそ、それぞれの地域で再考すべき重要な課題だと考えます。







▼大正十一年九月二之宮青年より当番栄町に対し、祭典余興への参加申し入れがなされた。前年まで祭典日は府八幡宮祭典が九月十四、十五日、二之宮鹿苑神社は別の日取りだった。しかし、中泉側が十月一日、二日に変更したことに合わせ、二之宮も同じ日とした。同日になった以上、ぜひ一緒にやりたいという申し出は当然だったろうが、早速開催された各町集会は、全町一致でこの申し出を拒否する。理由は、「同村は氏子でもなく従って御神輿のお渡りもないことなので」というそっけないものであった。

▼これ以降幾度か二之宮側が同じ希望を出した。昭和二十五年十一月には二之宮区総代山下貢名で「御願ひ」が提出され「…多年の当区懸案の中泉と一心一体不即不離の関係になり二之宮だけが取り残されている様な気分がなくなり老若男女共に祭典を満喫…」と懇願した。年番石溪社は集会を開催し二之宮踏切以南は山車訪問しないことを条件に各町賛成した。しかし、翌年これは実現していない。

▼これが繰り返されれば二之宮側は「いいかげんにしてほしい」という気持になる。
▼最早、府八幡宮祭典委員会側から二之宮と京見塚に「具体的提案」をするべきではないか。でなきゃあ、真の祭り人ではないぞ!     (七屋狐狸也)




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