28歳の時、初めて屋台の車輪を手懸けてから、車輪及びブレーキの製作一筋に生きて現在に至る。その間手懸けた台数は70輌以上にのぼり、現在でも氏の管理下に置かれている屋台は60輌以上だという。浜松市内で45輌のブレーキ付き屋台の車輪を製作した氏だが、磐田市内では玉匣社が初めてである。
玉匣社の後輪は外輪形式となっているが、氏の巧みな技により欅本体に違和感なく美しく装着されている。心配したハンドルの切れ味も予想を遙かに超え、「足廻りの匠」としての技が遺憾なく発揮されている。
入魂式後の町内披露、前夜祭、祭典当日2日間及び翌日の片付けと氏が山車の足廻りを心配して曳き廻しに立ち会ってくれたことは、仕事に対する情熱と責任感が伺い知れ町民を驚かせた。
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