挙本お祭り人形工芸 吉浜座 

(愛知県高浜市)



  
設計      神谷留次氏(同社取締役会長) 
   製作
(胴体)  平岩 剛氏 ( 〃 代表取締役) 
      
(頭部)  天野恵子氏 ( 〃 製作部長) 

・・・そして、ひとりの女が現代に舞う。
多くの実績をもつ吉浜座だからこそ可能であった仕事といえる。
スライド式に加えて可倒式という人形に大きな負荷を掛ける形態は、強度的にも、その所作にも大きな制約を課すことになる。
壊れないこと、着崩れしないことという基本を踏まえながら、基本設計を会長自らが担当され、胴体部を平岩氏が、頭部を天野氏がそれぞれ製作担当された。設計にあたり、国立能楽堂調査資料係の片桐勉氏の助言と資料を基礎に、独自の調査を実施し原理原則にあった形を決定された。

一方、制作にあたっては通常より肉厚のプラスチック系グラスウール
(正確な材質は企業秘密になっている)を使用して十分な強度をもたせたという。「体の一部でも省略したら形は出来ない」と平岩氏は自然体作りを強調され、天野氏は「魂を込め生きているように」と現実感に気配りされている。
製作の過程は、この世にひとりの人間を誕生させる為の努力といった感がある。
それは同時に、往古のロマンを色褪せることなく再び現代に甦らせることでもあった。









小田泰巳

(小田刺繍代表)

 
大須賀町在住

刺繍職人であった実父の政治氏を師として、昭和58年頃から刺繍の仕事を始める。
父親の他界後はその作品を手本として後を継ぐ。

玉匣社の幕で爪の部分に銀細工を施してみたり、見送り幕の額縁や房飾透かし金具の選定等、氏にとって初めて挑戦する部分があったという。
しかし、時間をかけ丹精こめて造られたその作品は、山車を飾る華となって見事に全体に馴染んでいる。





(上山可動装置・人形スライド式土台
 
 
 大塚 武 氏
おお つか  たけし
  
(故人)

拒蜥ヒ鉄工代表取締役 

磐田市下岡田在住  昭和15年6月12生
                             
実父の後継者として農機具製作から始め、その後実弟の正也氏と共に鉄骨建築にまで事業を拡げる。
生まれ育った磐田市御殿で祭りを経験した氏が、20年前に下岡田に移り住んでから、当時屋台のなかったその地に、鉄骨で屋台(鶴岡社)を造った逸話は有名である。以後、足廻り工事を中心に携わった屋台は25台以上にのぼるという。

この地で初めての試みである上山可動装置の製作にあたっては、実寸大の模型を造り、幾度となく試作と実験を繰り返し、完璧なまでの装置を作り上げた。
上山の上がる様は荘厳で、氏の苦心の作である。       

    


(車輪・ブレーキ)

辻村勝三 氏
つじむらかつぞう    

辻村鉄工所代表

浜松市在住 昭和3年12月1日 
28歳の時、初めて屋台の車輪を手懸けてから、車輪及びブレーキの製作一筋に生きて現在に至る。その間手懸けた台数は70輌以上にのぼり、現在でも氏の管理下に置かれている屋台は60輌以上だという。浜松市内で45輌のブレーキ付き屋台の車輪を製作した氏だが、磐田市内では玉匣社が初めてである。

玉匣社の後輪は外輪形式となっているが、氏の巧みな技により欅本体に違和感なく美しく装着されている。心配したハンドルの切れ味も予想を遙かに超え、「足廻りの匠」としての技が遺憾なく発揮されている。
入魂式後の町内披露、前夜祭、祭典当日2日間及び翌日の片付けと氏が山車の足廻りを心配して曳き廻しに立ち会ってくれたことは、仕事に対する情熱と責任感が伺い知れ町民を驚かせた。                            
 


 永井逸男 氏
ながい いつお

カマダ電気工事店代表 

磐田市鎌田在住  昭和23年8月28日生
昭和50年カマダ電気工事店を設立。一般住宅の電気配線工事を業務の柱として現在に至る。今回の山車建設にあたっては、可動箇所の配線に苦心しつつも、蓄積された知識と技術を最大限に生かし、スポットライトに塗装を施す等、美観に配慮しつつ確実な施工をして戴いた。                     






 
 花崎厚夫氏
はなざきあつお

(株)真工務店代表取締役 
                                  
町内在住  昭和26年8月13日生
昭和55年に真工務店を設立し、住宅建設を主に事業展開をしている。センスの良さは折紙付きで、仕事の丁寧さもあって評価は高い。 今回の山車蔵建設にあっては、工期の短さ、金額的な困難さを各職人と折衝を繰り返してクリアした。なまこ壁の目地合わせに相当苦労されたようだ。完成した山車蔵は、屋根は日本瓦葺き、上部が白壁、腰回りが紺地に白のなまこ壁仕様となっており、周りの景色に馴染んで日本的な情緒を醸し出している。


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