大正2年(1913)建造された盛友社(田町)の山車は掛塚に影響を受け、中泉地区初の四輪大唐破風一層で、その当時は人々の注目を浴びた。

 折しも新道(現在の栄町)が西町より独立をした頃で、不用となった田町の二輪山車を譲り受けている。

 現在の四輪山車の中にあって盛友社の山車の特徴は、人形はないものの二輪山車の名残を止める前方の「手木」にあり、また右に楫を倒すと車輪は左に向く「逆楫」にある。

 山車の曳き廻しには極めて技術を要するものである。今では16台中13台が四輪に変わり、四輪の台頭が続く中、二輪はわずか3台になってしまった。

 大正から昭和初期に掛けて二輪も造られているが、盛友社の山車は四輪の新造ブームを巻き起こした火付け役になっている。

 江戸末期から明治期の二輪文化からすれば、今日の四輪の台頭は、予想も付かぬ様変わりであり、時代の変遷をしみじみと感じる次第である。

 さて、そんな華々しくデビューを飾った盛友社の山車も長年の活躍、そして風雨に耐えて、87年を経過し、老朽化が進んでいる。
(但し20年ほど前に柱を替えたとのこと)
 
 現在は、土台の損傷が激しく、このほど改修の運びと
なった。

 豊田町一言の「遠州木材センター」作業所に於いて、(株)天峰建設の手による改修工事が始まった。

 まず、解体作業として各部の彫刻が外され、次に屋根部分が、そして柱、床部分がばらされて、土台と車輪のみとなった。

 一方、真新しい欅の土台が木取られ、完成を見る。そして、徐々に組み立てられ、最後に車輪が取り付けられ、改修工事は完了した。

 平成13年9月16日(日)には、完成を目出度く祝い、町内で賑々しくお披露目が行われた。

 この改修工事を取材中、注目すべきいくつかの新たな発見があった。(田町の皆さんはご存知でしょうが・・?)

 まず最初に目にした物は、棟札(神社仏閣や民家の竣工時に天井に納められる棟梁直筆の木札である)とも言える天井下中央の梁である。

 
   その梁には、次のように刻まれていた。

           



 
 


  












 


  

   
(梁に彫り込まれていた制作関係者)


盛友社山車・土台部分 掛川住・早瀬利三作

盛友社は87年ぶりに土台を改修した。




* 木鼻(篭彫りの獅子)の裏には、 
 「大正六年九月 渡邊重晴」 と墨書きされていた。

* 一方の木鼻(振り向き獅子)の裏には

 「昭和四初秋 早瀬利
作」

* 同じく太平鰭の布袋と唐子には、
 「掛川住・早瀬利三作」と墨書きされている。

 これは大正2年に棟梁・山本菊五郎(大菊)の親子と彫師・渡邊重晴(現・静岡県三島市)によって建造されたが、その後、別の彫師の彫刻を付け足していることが判明した。

 確かに落成当時の写真を見ると幕も「無地」で彫刻も少ない。

 すなわち、大正12年の幕「虎の子渡」の名作の完成を待って終了したのである。

 その後に於ける先人の祭に対する弛まぬ情熱と意気込みには頭の下がる。

 さて今年の祭の話題として、歴史的にも一見の価値あり!

 どうぞ盛友社の山車にご注目あれ!




トップ・ページへ戻る
お祭新聞