府八幡宮の御神体を乗せた御神輿は祭典2日目、地区内を巡行する。

 本年は出発前の「発御祭」は午前11時50分執行され、正午に本殿を出発、御神輿と行列はいったん八幡宮の森を北東に降る。

 ここで「命魚奉納の儀」が見付三社崇敬会役員立合のもと執行される。この後、御神輿は再び社務所前を通り鳥居を抜け町へ出て行く。
 
 約6時間掛けて中泉各町を一巡し、午後6時頃宮へ還御となる。戦前の御神輿渡御も基本的には同じである。

 「年番綴込」資料の中に昭和14年祭典の各町に配布された「御神輿渡御のお知らせ」が残されている。

 これによれば、当時は午後5時に命魚奉納の儀を執行し、夜10時半過ぎに還御となる。

 大正時代は年番紀録によれば、もっと遅い時間だったようで、いずれにしても夜の「渡御」である。

     
御輿渡御の風景 宮・楼門前にて
   
昭和14年祭典 御神輿渡御
の順番は、次の通りだった。

      
 1. 先払金棒二人
 2. 稚児
 3. 金銀幣二人  (白丁)
 4. 大榊一人   (白丁)
 5. 猿田彦
 6. 太鼓      (白丁)
 7. 弓十人    (各町青年代表)
 8. 矢        (区長や代理組長)
 9. 小学校長
10. 軍人会長
11. 消防組頭   (正副)
12. 青年団長
13. 太刀      (町会議員)
14. 警察官
15. 町長助役
16. 若党二人   (祭衣)
17. 輿台二人
18. 賽銭箱四人
19. 伶人
20. 神職
21. 高張二人
22. 神輿
23. 高張二人
24. 神職
25. 警察官
26. 氏子総代
27. 唐櫃二人   (白丁)
28. 御幣
 
 (各町世話人氏子一同)


猿田彦の面

 
 現在と大きく違うのは、小学校校長や軍人会長、消防組頭、青年団長、警察官、町長、助役など町の有力者が殆ど勢揃いしていることだ。

 また、この資料には記述はないが、従前は御神輿の輿番は、旧久保村(久保町、田町、石原町)の人々が白丁を着て勤めていたことだ。

 江戸時代、久保村は府八幡宮領、中泉村は幕府直轄領とその所属が違った。そのことが後々まで三ヶ町が輿番を勤めたことに繋がってくるのであろう。

 服装は羽織袴、但し青年代表、軍人代表、消防組頭、青年団長は職服とするように注意事項がある。
行列は二列で提灯が両側に出るようにした。

 渡御の行列を横断したり、着帽、ハジマキ、羽織の儘の拝礼は許されなかった。また、渡御の煙火打ち上げ後は街頭に撒水することも不可だった。

 田中神社、西新町ではお供物の餅投げがあった。
そして祭典中は各戸に国旗の掲揚、献灯を奨励した。




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