長浜曳山まつり




長浜曳山祭
長浜曳山祭は、毎年4月9日から17日にかけて行われる長浜八幡宮の春の例大祭です。
6〜12歳くらいの男子によって行われる可憐な子供狂言(歌舞伎)と、絢爛豪華な曳山、そして多彩な行事が特色で、日本三大山車祭として、広く知られています。
昭和54年、国の重要無形民俗文化財に指定されました。
長浜曳山祭は、16世紀の末に長浜城主だった羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)によって形作られました。
秀吉が男児出生を喜んで長浜の町民に砂金を与え、それをもとにして町民が曳山をつくり、曳きまわったのが始まりといわれます。
子供狂言はいつ頃から始まったのか、はっきりとはわかりませんが、寛保2年(1742)の狂言の台本が残っていることから、この頃にはすでにおこなわれていたと考えられます。
長浜の祭と人び
曳山祭を執り行う13の「山組」。
このつながりは、自治会や、商店街連盟、学区などのつながりと同等かそれ以上の密接さで、中心市街地の人びとを結びつけています。
一方で日々の生活を営みながら、もう一方では常に祭のことを考えている。
行事の長さもさることながら、準備も含めれば、一年中、祭をしているといわれるほどです。

線香番
「線香番」は4月9日に、総当番が各町家に出向いて上演時間を計ってまわるものです。
各狂言の上演時間は出笛を含めて40分以内とされていますが、超過した場合は本番までに時間短縮を求められます。
時計のなかった頃に線香の燃える時間によって計時したことからこの名がついたと思われますが、現在では時計が用いられます。

裸参り
4月9日から12日にかけて毎晩、出番山組の若衆が八幡宮と豊国神社に参拝するのが「裸参り」です。
赤鉢巻をしめた「くじ取り人」を先頭に「ヨイサ、ヨイサ」のかけ声で八幡宮から豊国神社へと練り歩き、良いくじ順と祭の無事、そして役者の健康を祈願します。
途中、他の山組と行き違う際に衝突が起こることもありますが、それも若衆の楽しみのひとつとなっています。
また、雨が激しい時などは、「羽織参り」になります。

起こし太鼓
「起こし太鼓」は12日深夜と14日深夜に、囃子屋台を曳いて自町内の祭礼関係者の自宅を起してまわる行事です。
13日の「御幣迎え(ごへいむかえ)」と15日の「朝渡り(あさわたり)」が早朝の行事のため、早く起きなさいよという意味があります。
このとき演奏する『起し太鼓』というシャギリは、他の曲よりも軽快なリズムと速いテンポの曲です。
途中で他の山組の町家へ寄ると、中から出迎え、酒などが振る舞われます

御幣迎え
4月13日の午前7時より、長浜八幡宮の分神が宿った「御幣」を全13山組それぞれの町内へ迎えるため、金冠に狩衣姿の「御幣持(ごへいもち)」を中心に行列をつくって八幡宮へ向かいます。
長刀組は「くじ取らず」で、常に最初とし、唯一の「金幣」を持ち帰ります。残りの12山は、
まず八幡宮到着順に玉くじをひき、そのくじ順で「白幣」を受けて自町に帰ります。
このくじ順は次の御幣迎えまでの1年間、広報活動などの際の12の曳山の序列にもなります。

神輿渡御
4月13日午前10時半より、長浜八幡宮から御旅所神輿堂に向けて神輿が担ぎ出されます。
これが「神輿渡御」の儀で、八幡宮の分神が神輿堂に遷されます。
この神輿を担ぐのは、蛇の目模様の法被に鉢巻姿の「七郷(しちごう)」の人々。
神輿は、15日の夜まで御旅所の神輿堂に安置されます

くじ取り式
4月13日の午後、子供狂言を行う順番を決める「くじ取り式」が長浜八幡宮で行われます。
このくじには3段階あって、まず幣殿に入る順を決める「玉くじ」を到着順に引き、続いて本番のくじを取る順番を決める「花くじ」を引きます。
その上で、いよいよ子供狂言の順番を決める「本くじ」をのせた三方を花くじ順に取っていきます。
狂言の最後を締めくくる四番山も好まれますが、やはり一番山を引くことが何よりの栄誉とされます。

登り山
4月14日の午前中に各山組の町内で狂言を行ったあと、午後から曳山に子供役者たちを乗せて長浜八幡宮へ曳行していく行事を「登り山」といいます。
境内に入る「神前入り」の順はくじ順とは逆で、四番山から所定の位置に据え付けていきます。
また、神前入りの際は、「すじかい橋」の手前で正装として面幕を左右2対とも懸け、間に御簾を吊り、幟を立てます。
そして据え付けが終わると、総当番事務所と次に入る山へ挨拶をしなければなりません。

夕渡り
「夕渡り」は4月14日夜に、子供役者が長浜八幡宮から自町へ歩いて帰る行事です。
このときの役者は狂言を奉納し終わった後の姿とし、その役にあった足取りで進みます。
隊列も決まっていて、総当番より先導が1名つき、人行事・陣提灯・提灯・負担人・(榊持)・御幣奉持・挟み箱・舞台方・役者・見送り箱の順で並び、御幣奉持や役者には紋付羽織姿の付き添いや、名札をもった者が側について行列します。

朝渡り
「朝渡り」は、4月15日午前7時頃から、各山組の子供役者たちが列をなして長浜八幡宮へ向かう行事です。
このときの役者は、これから神前において狂言奉納を始めようとする姿で渡ります。
なお、猩々丸の舟町組だけは、この行列に「奴振り(やっこぶり)」が加わります。

太刀渡り
4月15日の朝、長刀山の行列を特に「太刀渡り」といいます。
2メートル近い太刀をおびた鎧姿の男子10名が、力士に扮した若衆30名の先導で八幡宮へ渡ります。
力士の姿は「尻まくり」といわれ、紋付の着物を尻からげして、前には化粧まわしを着け、腰に小刀をさし、右手に金棒を引きます。
この行列は八幡宮創立にも関係する古いしきたりで、曳山狂言が行われない時でも太刀渡りだけは行われてきました。

後宴
4月16日は「後宴」として自町の人びとのために数回、子供狂言を上演します。
そのうち1回は市民会館での上演です。
夜に行う最後の1回は「千穐楽(せんしゅうらく)」と称して、山蔵の前で行われます。
終了後、曳山を山蔵に曳き入れます。

子供歌舞伎観劇会
4月16日の「後宴(ごえん)」の一環として、長浜市民会館で「子供歌舞伎観劇会」が行われます。
市民会館では、ステージ上に曳山と同様の仮設舞台を組んで狂言を行いますが、花道部分がステージ全体へと広がるため、曳山上とはまた異なった演出が可能です。

御幣返し
4月17日午前7時頃に、祭を締めくくる「御幣返し」があります。
祭の間、各町内に迎え入れていた神に八幡宮へと帰ってもらう儀式です。
各山組とも「御幣迎え」と同様の隊列で、八幡宮へ御幣を返納しに行きます。

*上記の内容は、曳山博物館、青海山北町組、長浜市商工観光課等の資料を基に編集しました。