新山車の形は「大唐破風前一層(向拝)高欄付四輪」の上に上山を取り付けた形になっています。
「屋台」の重厚さに、これまで中泉地区ではなかったデザインが加わり、「山車」の華麗さも合わせ持ち、両方の良さが見事に調和された豪華な形となりました。
形の良さだけではなく、本来の山車の持つ意味を考え、あらゆる事を考え抜いた結果がここに結集しています。
その中でも注目すべきは、上山に神様が祀られていることです。
そもそも玉匣社とは、神社の御玉(御魂)が祀られた乗り物<匣山車(はこだし)>を意味します。
上山を祠(神を祀る小さな社)として、社名どおりの山車(移動神座)に形づけられたわけです。
この上山は上下可動式になっており、上がった時には5m40cmの凛々しい姿となり、下がった時には4m80cmの堂々とした姿で異なった趣があり、見る人の目を楽しませます。
横幅は2m40cmと少々スリムになっていますが、これは「今まで旧山車で通った所には、どうしても行きたい!」というみんなの思いからです。
前輪を小さくし内側に納めることで駆動性を高め、後輪を大きめに外へ出し装飾をすることで二輪山車の趣を残し、欄干を付け、人形(前後約1mスライド可能)を乗せることで忘れ難い旧山車の名残を留めました。
幕も旧山車の時と同じ絵柄とし、伝統の継承をしています。
一方、車輪には特殊ベアリングを、ブレーキはドラム式にと最新の技術も駆使しています。そして、山車の動きに合わせて揺れる山車丸提灯が、風情を醸しだします。
こうして新しく生まれ変わった玉匣社を、よ〜く眺めて感じた事は、前から見た時の絢爛豪華さに加えて、後から見た時の見送り幕と重厚かつ繊細な彫刻に彩られ聳(そび)え立った姿は、威風堂々とした風格があり「一見の価値あり!」だと思います。
念願であった総欅造り、見事な彫刻、どこから見ても調和のとれた姿は、久保町町民の栄光と繁栄の象徹として21世紀へ、そして22世紀へと受け継がれて行くに相応しいものであると思います。
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