戦争という不幸な時間(とき)があったもういちど祭りがしたい、山車を曳きたいと思いながら散華した若者たちがいた。
十台の山車は久保町で祭り二日目の夜を明かし、八幡様へ向かったものだ。
昭和30年代、中部小の東門には、初日の昼頃、玉匣社は必ず子供たちを迎えにきた。
久保で育った人々には、この山車に尽きぬ思い出がある歳月はまたたくまに流れ、昨日まで世話係だった若者がもう大老、旧山車も歳をとった。
6回の「年番」を経験し、7回目の「年番」を前に新しい玉匣社が誕生した。
旧山車の思い出や諸先輩への感謝をしっかりと胸に刻んで町民みんなが協力し精根込めて作りあげた我が町の新しい象徴だ。
この新しい山車には何が載っているのだろう?
100年以上前から続く久保町町民の祭りにかける「意気込み」が載っている100年以上の未来に向かって、みんなが幸せであるようにという「祈り」が載っている。
子供たちには夢と希望、若者には健康な心身と素敵な恋人、大人たちには住みやすい故郷と家庭、お年寄りには安心と長寿そして地域と国と世界の繁栄と平和これらの夢と希望を彫刻に、刺繍に、人形に、そして山車の形に植え付け、託してある。
この山車をあなたもあなたも一緒になって曳くことによって声をそろえ力を合わせることによって彫刻の「仙人」が不可思議な力を発揮する。
「唐子たち」が笑いだし「宝づくし」は輝きを放ち幕の「鶴亀」は長寿を叶え「虎」は逞しく吠え「舞車の京女」が艶やかに舞い始める。
笛と太鼓に合わせて体を揺すろう輪になって練ろう 魂を吹き込もうさあ、ご一緒にシチャシチャコリャコリャ ・・・ ・・・。
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