注 釈
【注:1】
*漢字「」という文字は「
spirit(精神)の意味である。辞書にある訳では God=神、上帝、天主、等と訳されている。しかし、日本の歴史から考えると神道でいうところの神とは、創造主、救世主などとは違う、もっと幅広い要素・意味を持っている人格神であり、普通の人間に比べて、遙かに優れた上(かみ)の方(かた)という意味に訳すべきでしょう。
*守(かみ)=官僚職の最上の位。

【日本
神道における神の概念】
神=悟ったもの、賢い指導者、尊いもの、畏怖するもの、秀でたもの、希なもの。

陽神、月神、風神、雷神、地神、山神、水神、火神、
道祖神、鎮守神、疫病神、死神、軍神、氏神、神木、等々。

【本来の神の概念】

 <神=創造神、創造主、救世主>


多神教の良いところは、大らかで寛容なところです。一神教ですと「我のみ唯一神である。」というために諍いが絶えません。 しかし、一神教の方が宗教心は強くなります。
多神教の場合は、神の存在を認識させるためにいろいろな神を現したのかも知れませんが、 かえって分かりにくかったり、誤解を生じることがあります。
実際は神を見ることも、確認することもできません。
神は、確認できるものではなく、信じることしかできません。

   【注:2】

 * 神道では、私たちは神「創造主」より創られ、また、神と同じ性質を持っている「神の子」である。人間は遙かなる昔に神の巨大な意識が分かれてできた霊体であり、神の光の散乱した個性の一部である。神の自己表現の一端を担っている存在である。神は森羅万象を生かしている存在であり、人間も神によって活かされている存在である。
   
 * 仏教では、人は皆、仏の魂を宿して、仏の子として生まれた存在であるが故に、自己確立を成し遂げるための心の修行を積み、それぞれの個性を活かし、邪心・煩悩を払い、執着のない清らかな心で、世のために働き、人々と共に幸福な社会を創ることを使命として生まれてくると教えています。
   
  菩薩とは、一応、自己確立という「小乗」(しょうじょう)の悟りの段階を通過して、「大乗」(だいじょう)すなわち、衆生済度(しゅじょうさいど)に立ち上がり、人々を救おうという気持ちになっている魂の段階です。見返りを求めない利他行(りたぎょう)の実践者のことを「菩薩」と呼びます。
 
  【注:3】 
  仏教とは、インドの釈迦が仏陀として仏の悟りを開きその仏陀の説いた教えに帰依し、仏の悟りを求めて禅定の実践修行を行い、煩悩を除き、輪廻の苦行から解脱して涅槃の境地に入った存在を目指す教えである。 
   
  輪廻とは、何度も生まれ変わり魂修行をすること。
仏教では「輪廻転生」といって、この世
(三次元世界)に生まれた魂は肉体に宿り、人間として生きた後に肉体は滅び、魂はあの世(天上界)に戻り、永遠の生命を有し、暫く後に再度生まれてくることを繰り返し行っている存在であると説いています。

この世に生まれた個々の存在には能力、容姿、個性、時代環境、等々、それぞれ違った個性を与えられ、生まれながらに格差があり、1度だけの誕生では平等ではないので様々な個性、環境を変えて、何度も生まれ変わることで、すべての人間が平等の条件を有することになる。

この世では魂が肉体に宿った状態で不自由な生活をすることで「生老病死」「愛別離苦」の四苦八苦の苦行を体験することで魂修行を行い、仏の悟りを求めて繰り返し輪廻することで涅槃の境地を得るための修行を行っている。

前世のカルマが今世の修行に影響を及ぼし、今世のカルマが来世に影響を与えるという連綿と続く心
(魂)の傾向性を修正するための仏道修行。
 

 
[悟りの境地]

【菩薩】
(ぼさつ)→【梵天】(ぼんてん)→【如来】(にょらい)→【仏陀】(ぶっだ)

*釈迦=釈尊/ゴータマ・シッタールタ
  (紀元前6世紀頃
*仏陀<buddha >=悟りの極致、真理に目覚めた人
*輪廻=何度も生まれ変わり魂修行をすること
*涅槃=仏道に入り、煩悩を払い、仏の悟りを得ること
*カルマ=生まれながらに有する心の傾向性
  
(思考、言動、行動)

一部には、この輪廻を否定する解説もあるが、古代インドで仏教が布教されていく過程に於いて周辺の土着文化や他宗教からの影響もあり、各地の民族宗教と一体化しながら展開していった経緯もあり、原始仏教とも呼ばれるヒンドゥー教、ジャイナ教の教えと混同されて誤解されたものと思われる。本来、ヒンドゥー教、ジャイナ教を原始仏教と呼ぶことには疑問がある。釈迦の生まれた当時のインドでは、衆生は五趣<天、人、餓鬼、畜生、地獄>を輪廻すると信じられていたので、人間として生まれてくることは難しく、虫や動物に生まれ変わることが多いとされていた。この考え方と現在説かれている輪廻とは一線を画す考え方が必要である。
釈尊の説いた本来の仏教では、転生輪廻が説かれ、人間の霊魂の生まれ変わりが説かれています。また、一部の仏教学者の中には、『釈尊は「無我説」を説いたから、仏教は、魂の存在を否定している。』という穿った考え方を論じるものがあるが、仏教が説いている「無我」とは、『我執を去る』という意味での無我であり、自我我欲(欲望・煩悩)を去ることを説いているのである。
明治政府が神仏分離令を発布するまでは仏教と日本神道は神仏習合で共存関係にあった。