@揖斐車山(やま)前景
A揖斐車山後景
B方向転換
歌舞伎舞台の前に梶棒が横についていて、その梶棒を6.7人で担ぎ上げて辻廻しをします。
C神社境内にて全車山
神社境内に並んだ5輌の車山(やま)、真中にその年の当番町が並びます。
D見送り幕 後ろから見ると屋根が神社のように作られています。

岐阜県揖斐まつり

志組の斎藤です。

5月の連休に行って来ました。
岐阜県揖斐川町へ行って来ました。
大垣市の北西にあたり大垣市から車で20分くらいです。
5月4日「試楽」5日「本楽」に行われます。
5月4日の試楽を見てきました。
ここは長浜型の子供歌舞伎を上演する車山(やま)と言われる山車が曳き廻しされます。
5輌のやまが引き廻されます。
そのうちの1台が交代で子供歌舞伎を上演します。
子供たちが長い台詞を暗記して長時間かけて、素晴らしい歌舞伎を演じます。
毎年記念誌も発行され歌舞伎の台詞が乗っていますので、それを見ながら歌舞伎を見ると台本の通り台詞を言っていますので、その長さに良く練習をして覚えたなーと感心します。
車山(やま)の建造も古く200年はゆうに使用しています。
見送り幕もすばらしいものでした。

*車山(やま)・・・本来は、クルマヘンにヤマを書いて「やま」と読んでいます。

揖斐まつり
参加やま


住吉山(中町)、高砂山(上町)、鳳凰山(下新町)、竜宮山(上新町)
市山
(横町)

揖斐まつり
揖斐の初代の殿様岡田善同は、農民が洪水にあう度毎に田畑が荒れ、それにともなって人心も荒れ、農から離れるのを嘆き、何とか心の安らぎをと、第一に領下の祭礼を改善し、人々の楽しみをはかりたいと願いました。そして最初に花御輿、花山をつくり町を練り歩かせた後、神に奉納する祭りにきりかえられました。これが今に伝わる祭りの最初といわれます。 記録によりますと、享保五年上町組がシヤギリ坊主を拵え、町を練ったと記されていますが、年々作りかえ改造して手を加えて現在の山ができました。
*祭礼は毎年5月1日から5日まで子供歌舞伎が上演されます。

       
打囃し
山の打囃しは揖斐独特のにぎやかな「囃し方」によつて山の後部で奏せられ、楽器は、太鼓、小太鼓、鉦、笛で、笛は六つの穴の「しのぶえ」これが数本にて編成されています。打囃しは、各町内祭礼会所前と山を三輪神社の鳥居前にすえ、神社に挨拶する意味で奏でる曲で、各町内によつてちがいます。”道ゆき”は山が町を練って神社へ行く時の曲で、山の行進曲とでも言うのでしょう。にぎやかな音曲は、人々の心をうきうきさせます。 ”かえりやま”は夜歌舞伎もすんで、それぞれの町内へ帰る時の曲で、哀愁にみちたこの曲を聞くと山も人もあのにぎやかな祭り気分も静かに消え、家路につく名残りおしさに涙ぐむ程です。そして、又来年の祭りにと願いをこめるのです。こうして祭り毎に古老から若連へと山と共に受け継いでいきます。



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