集会だより

        注・・・主に祈祷会での学びをまとめてあります。
           出席していた方々の感想や教えられた事 感じた事を Yがまとめました。

      現在 祈祷会では 聖書を輪読しています。
      声に出して 読み その所の説明をしていただいたり、質問をしたりという
      時間を持っています。

      2017年3月30日 エステル記が終わりました。
      次回からは 小預言書に入ります。
      期待を持って 待ち望んでいます。
      
      エズラ紀が終わり 今日は ネヘミヤ記。
      通常の礼拝では あまり開かないエズラ紀・ネヘミヤ記 どこにあったか・・・
      創・出・レビ・民・・・と 頭の中で考えないと 開けませんでした。

      祭司であったエズラと王様の献酌官だったネヘミヤ 視点の違いを感じながら
      捕囚から戻ってきたイスラエル民族が、苦難の中 主に祈りながら 主を求めながら
      城壁を建てていくところを読みました。
       

      列王記T12・13章を読みました。
      ソロモン王の時代が終わり イスラエルが北と南に分かれていくところです。
      
      一回読んだだけでは ごちゃ ごちゃしていて なんか 良く解らないと思いました。
      誰が味方で 誰が敵なのか?
      読み終わって 人の思いと、主の御心と 随分 離れてしまっていると思いました。
     


         

       *使徒信条から 学びました。

    いつでも どこでも 変わる事なく 人を生かし そして 人を生かす言葉として教会の
     人々に世々語り継がれていく言葉 それが私たちに与えられている 使徒信条

    それぞれの心 生まれ育った環境 経験 理解 時代 価値観等に 左右されるものではなく、
     イエス・キリストを 主と受け入れた人々が 大胆に確信を持って 告白してきたもの 

    神を信じる・・・そこに 私の存在を賭ける。支えられて自分が生きる。
    (イエス・キリストの事 あまり良く知らないかも・・・復活 理解できないかも
     しかし イエス・キリストは 十字架にかかり 復活した。 それを 信じるか?
     と、神は問われている)
    
    創り主なる主と救い主なる主
     私たちは神の祝福のみ業の中で創られ それはとても良かったと 神は言って下さった
     欲の中に生き 罪の中に生きていた私は 恵みによってキリストと共に生きる者と
      変えていただいた  キリストによって もう一度作り直していただいた
     神を天の父と呼ぶ事ができる 神御自身の息そのものに他ならない御霊を注いで下さる
      御霊が 私と共に生きて 支え 導いて下さる
 
    なぜ?十字架 
     十字架は 私たちをめぐむと神が決めて下さったから
     十字架は 罪の呪いから 私たちを解放して下さる
    イエス・キリストは 死をも 経験してくださり、陰府(よみ)に下り 復活して下さった
     キリストは 死の時も 陰府にも 私たちと共に いて下さる

       十字架にかかり死んでイエス・キリストは 復活して下さった
     復活した主イエスが弟子に声をかけ 共に食事をし 共に生きて下さった 復活の信仰
     の中に自分をも 捉えて下さった
     
    主イエスは 天に昇られた 「私たちの本国は天に在ります」
     天国の門を開いて下さった

    教会で生活の中で 主イエスを受け入れる どんな時も 大勢の中に居る時も
     たった一人で 寂しい悲しいと思っている時も 目を上げる時 神の右に座しているキリスト
     が見える 私の為に 立ち上がって下さる主イエスを見る それを信じる 

    神の義・・間違えを全部抹殺するものではなく、正しいものとして 造り替える
          罪を 神の義によって 覆って下さる
          滅びから命へ 死から永遠の命へと 変えて下さる

    聖霊・・霊も風と同じように捉える事が難しい 信じて知ろうとしないとわからない
         主の御業 十字架の力 蘇りの命が 私たちの内に生きて働く その事を
         私たちの内に働く霊が覚らせてくださる
         神の救いの業の実りを信じる 救いの賜物を数えていく


 *イエス様のたとえ話から 学びました。


 ≪ 砂の上の家 ≫    マタイ7:24〜27

    岩の上に家を建てた 賢い人
    砂の上に家を建てた 愚かな人

    賢い人とは?・・・主イエス様の言葉を聞いて それをおこなう人
  
    おろかな人とは?・・・決して何もしなかった人ではない
                 おろかな人も 一生懸命家を建てた
                 では 何が おろかだったのか?
                 
    神様と自分との関係は きちんと真っ直ぐなものになっているか?
    いつの間にか 中心がずれてきてはいないか?
    自分の思い 感情 価値観が 神様より 優って来てはいないか?
    一生懸命生きていると 働いていると思っていたのに それが 自分の意志で確かさを
    確保しようとするなら 砂の上に家を建てる事になる

    自分では 正義を行っているつもりだったが 神様の御心とは全く違う方向を向いていないか

    このたとえ話は クリスチャンとなって 長い方にも もう一度語りかけて下さっている

    A・・・自分では良いと思っていた事でも 神様から見たら違っているという事もあるんですね
    
    牧師・・・聖書から 賛美から 祈りから 証しから 何からかはわからないが 真実は
         教えられている。
    
    B・・・自分の思いが先だって 一生懸命やっているつもりが 砂の上に建てては壊れ
       建てては壊れしていたところがあるのかもしれない
       主の御心が何かを求めながら 歩んで行きたい

 ≪ イチジクのたとえ ≫   ルカ13:6〜9

    ブドウ園の一角に植えてあるイチジクの木
    園の持ち主は・・3年待ったが実がならない・・切り倒してしまいなさい
    園の番人は・・・木の周りを掘って肥やしをやってみます。それでも実がならなければ
              切り倒してください。
    
    切り倒される木とは 罪を犯しながらも その罪に気が付かない
    悔い改めない かたくなな心

    園の番人とは・・・主イエス・キリスト
    私たちをかばう為  切り倒されない様に 肥やしをやって育てて下さる

    実をみのらす事の出来ない木が、主イエスを十字架に付けた

    自分の為に 主イエスが十字架で血を流して下さった 神の前に立ちはだかって
    実を実らす事の出来ない木 私を 守って下さった

    A・・・家族に対して自分がもっと実りのある者とならなければいけないと思った

    B・・・さらっと読んでしまっていたが、奥深い愛がそこにあったことが分かった。
       悔い改めが大切だと思う

    C・・・イエス様が神様と自分の間に立ちはだかって下さった。自分も誰かの為
        (家族・子供の為)に 立ちはだかって守る者となりたい。

    D・・・3年駄目でも 1年待って下さるやさしさと、1年たってダメなら切り倒してよしと
       いうのが ショッキング


 ≪ 不正な裁判官の話 ≫   ルカ18:1〜8

    失望しないで 熱心に求め続けなさい 祈り続けなさい

    不正な裁判官に熱心に求め続けるやもめの話

    決して 忍耐力を求めているのではない 主は生きて働いていて下さる。
    その主を信頼し 委ねて 信じて歩んでいきましょう


 ≪ パリサイ人と取税人 ≫   ルカ18:9〜14

   パリサイ人・・・自分は正しい人だと確信していた
    取税人・・・自分は罪人で 神様にどのような態度で望んで良いかわからない

    パリサイ人は 他人と自分を比べて 自分はただしい人なんだと 自分自身で評価
    していた。もうすでに 正しい生活をしている・・・今更 神様に義とされる必要はないのか?  
 
    取税人は、神様に憐れみを請う・・・神様が 恵みによって 義としてくださる
    
  
  ≪ 上席と末席 ≫   ルカ14:7〜11

    遠慮という言葉を用いる日本人には 理解し易いたとえ話
    
    祝宴に招かれた時 自分がどの席に座るか・・・相手が自分をどのようにもてなして
    くれるのか?どのように扱われるのか?・・・他の人との比較

    神ご自身が 喜びの席を備え 招いて下さる。主イエスは その招きの為に
    来られた。
 
    神の祝宴の上席に座ろうとする人・・・招かれて当然と思っている 御馳走が当たり前
                           自分が立派な人と思っている

    神の祝宴で末席に座ろうとする人・・・自分にはあまり多いと思っている
                           自分は罪人だと思っている

    A・・・わかり易いたとえ話で、さらっと読み進めていたが、神様が招いて下さっていた
       という事に気が付かないでいた。


    ≪ 愚かな金持ち ≫  ルカ12:13〜21
    
    豊作ー沢山の収穫ーお金持ちーますます豊かに−より大きな倉庫−沢山の食料
    −安心して長生き―その夜 死がー豊かな備えは誰ものに?

    主イエスの警告・・・どんな、貪欲にも注意して、良く警戒しなさいなぜならいくら豊かな
                人でも、その人の命は財産にあるのではないからです。

    死によって・・・すべてが無駄になってしまうのか?
             本当に豊かに生きる事とは?
    
    神の眼差しにおいて 値打ちのある生き方をし、豊かに生きる 生きがいのある生き方
    
    死に打ち勝つ生き方は・・・命を与えて下さり 命の根源である 神様とともに生きる
 

    ≪ 憐れみ深いサマリヤ人 2 ≫    ルカ10:25〜37

    イエス様を試そうとした律法の専門家・・・自分の方が正しい知識を持っているという確信
    自分の正しさを示そうとして・・・自分の立場を弁護する 正しさを説明しようとする。

    旧約時代
    ソロモン王の後 北王国イスラエルと南王国ユダに分裂する
    北はアッシリアに滅ぼされる (ユダヤ人と他の人種と血が混じってしまう)
    南はバビロン捕囚後 ペルシャ王クロスの時代にユダヤ人の血を保ちつつエルサレムに
    帰る事が出来る 
    新約時代 サマリヤ人はユダヤ人に憎まれ、差別されていた人達だった。

    イエス様の語る隣人愛は 誰が自分の隣人である値打ちがあるか?ではなく 自分が
    隣人を必要としている人の隣人となっているか

    祭司やレビ人は 見て見ぬふりをして 関わらないように去って行った
    サマリヤ人は 憐れに思った

    イエス様は質問をした律法の専門家に 憐れみの心を得てほしい と願った
    主の十字架によって表された 憐れみ その憐れみに生き続けるように

   
    A・・・憐れまれた者としてという事を忘れてはいけないと思う

    B・・・悲しいニュースを見ると心が痛む 憐れみの心が大切
 
    C・・・“自分の正しさを示そうとして・・”という御言葉が気になる
        自分にも思い当たる部分がある 
        “良き”サマリヤ人を意識しすぎて いつの間にか 自分が正しい者 
        良い人となろうと頑張っていたし、良い人になった気でいた。
        それでは 放蕩息子の兄と同じになってしまう。
        自分自身が憐れまれた者という自覚が大切だと教えられた。



   ≪ ルカ10:25〜37 憐れみ深いサマリヤ人  1 ≫  

    “良きサマリヤ人”というタイトルでよくこのたとえ話のお話しを聞くが、聖書の言葉
    をそのまま引用し、憐れみ深いサマリヤ人としました。

    律法の専門家がイエス様に質問するが、逆に質問で返される
    「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
    専門家の答えは イエス様に褒められる正しい答えだった。
    「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」・・・律法の基本
    ・神様への愛 ・自分への愛 ・隣人への愛
    神様との正しい関わり・・・神様を愛し、神様に愛される
    自分との正しい関わり・・・自分を生かし 自分を受け入れる
    隣人との正しい関わり・・・自分を愛する事が出来れるなら同じように愛することが出来る
  
    隣人とは?  身近にいる人なのに いつの間にか 私たちは 隣人を選んでしまって
             いないだろうか?


    A・・・自分がやる時にはなんとも思わないのに 他人が同じような事をした時
       怒れるような時がある



   ≪ 失われた息子 3 ≫ 

    もう一人の放蕩息子である兄 心の奥底にある罪 弟が帰った祝宴には出席しない。
    弟に対する怒り 弟を簡単に迎えてしまった父への怒り
    怒り・・・正義の意識・・・自分は弟より模範的に生きてきた。
                  弟より もっと値打ちがあるはず
                  他人と比較して感じる幸せ・・・そこに本当の平安はない
    
    罪ゆるされた者として 神の恵みを分かち合う事が出来ない兄
    父は 弟を受け入れ 共に喜んでほしいと願っていた。


    A・・・自分自身も放蕩息子のような所があったと思いそこから救いが与えられました。
   
    B・・・自分の色々な事を考えると 弟息子のように 自分勝手に生きていたり、周りの人
       の愛情を拒否していたりしていた所もあるし、兄息子のように 自分は正しいと
       かたくなな態度で人に接してしまったことがあった事を考えさせられます。
       御言葉から教えられる事をじっくり考えていきたいと思います。

    C・・・ある人から自分は放蕩息子であったという証しを聞き感謝するとともに 
       自分自身も その様な所がある事を教えられた事があります。


   ≪ ルカ 15:11〜32  失われた息子 1・2 ≫

    愛を拒否した 弟は お金がなくなったとたん 豚にも劣る生活をしなければならなかった
    愛のない人たちと暮らす生活は、だれも 助けてくれる人はいない

    弟は 我に返った
    愛のない生活 神を愛さず 人を愛さず 自分のみ愛する生活は空しく 得るものは
    何もなかった

    神の手から離れてしまう 神の恵みから離れてしまった悲しみ 苦しみ
    それに気付き 恵みを思いだしたとき 神様は喜んで迎え入れて下さる。

   
   ≪ ルカ 15:8〜10  なくした金貨 ≫  
    
   神様はたった一枚の銀貨さえ 大掃除して 探して下さっている。
   人は多くの悩みを抱え 時には 絶望し、自分の命さえ投げ出してしまおうとする。
   しかし 神様は 一匹の羊さえ 一枚の銀貨さえ 大切なものであり けっして あきらめず
   探し出して下さる事を 忘れてはいけない。

   
  ≪ ルカ 15:1〜7   いなくなった羊 ≫  

   神様 あるいは イエス様ご自身が たとえ話の主役となって 羊を探して下さる
   神様は 私達をどのように見ていて下さっているのか
   誰もが 迷い出た羊 その羊をイエス様ご自身が探し出し、つれてかえって下さる


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