焼き物エッセイ
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2010年韓国の旅から
蔚山世界甕器文化エキスポ 近藤宏克
蔚山広域市蔚州郡温陽面高山里の外高山里甕器マウル(村)で開催された「2010蔚山世界甕器文化エキスポ」(9月30〜10月24)を見た。昨年(09年)に開催する予定が新型鳥インフルエンザの影響で、一年延期された催事である。 唐辛子の会の旅行と丁度開催時期と重なり、見学できたことは幸運であった。 この蔚山甕器エキスポはかなり前から計画されたもので、上野善弘氏が『韓国の旅から24』で「甕器の復活」と題して触れている。 三年前に、この甕器マウルを訪問した時は、エキスポ準備のための村の大改造の工事が急ピッチで進められていて、村全体がむき出しの地肌が見えている状態であったが、今、一帯はものの見事に変身し、新しい建造物が立ち並び、景観は一変していた。 すぐ脇を通る鉄道には開催期間中、臨時の駅が出来、駅と会場まではシャトルバスが来場者をピストン輸送し、エキスポ会場は来場客でごった返していた。 この催事が単に一地方都市の催しでないことは、成田から釜山の金海空港へ向かう大韓航空機の椅子のポケットに入っていた機内誌『モーニングカーム』(10年9月号)日本語版に「土と火と風と共に、蔚山外交高山甕器村」と題し、特集していたところからもよくわかる。 まず、その特集記事の要旨を記すことで蔚山甕器エキスポの概要を紹介しようと思う。 @今回のエキスポでは外高山甕器村全体を、「息」をコンセプトにした甕器村エリア、「休」をコンセプトにした甕器公園エリアに分け「グリーン・ライフ・エキスポ」≠目指す計画である。 Aグリーンに象徴される生態形に優しい「環境を大切にする」イメージは、蔚山市が推進してきた街作りとも合致する B延べ面積約14万平方メートルのこの村には、甕器作りを生業とする人々が約40人暮らしている。甕器匠として地方無形文化財に指定された名人が8人もいる。 C甕器が再び注目されるようになったのはウェルビーイングと呼ばれたエコブームのお陰だ。未来学者のエルビン・トフラーは二一世紀の食生活について、「塩味、ソース味の時代を経て、第3の味ともいえる発酵食品の時代がくるだろう」と予想した。現在、世界中がファストフードからスローフードへとシフトしている。時代の先端を行く韓国の発酵食品の分野には、伝統文化に最先端のテクノロジーが潜んでいたのだ。私たちの祖先が身近な土を利用して甕器を作ったからこそ発酵食品を中心とした食文化が花開いたのだ。 旅の3日目の行程は、釜山から蔚山の甕器エキスポを見学して次の宿泊地.慶州までであった。エキスポ会場へは釜山市内の釜田駅から南倉駅まで東海南部線の急行列車(ムグンファ号)を利用した。 列車は海雲台、松亭、機張と東海岸沿いに走り、入り組んだ海岸線の絶景を楽しんだ。授業の一環としてエキスポに行く小学生たちで列車は満員、われわれは自由席に陣取った。日本のへんなおじさん、おばさんのグループに怪訝な顔を向けて通り過ぎてゆくおじさん達。荷物をかかえた一人のおばさんが乗り込んできて女性たちの中に座った、U氏が話しかけると「これからエキスポ会場内の親戚の家まで行くのよ。」と言う返事、女性陣との身振り手振りを交えた会話が始まった。 南倉駅に先回りしていた全蘭出氏運転のバスに一緒に乗り込みワイワイガヤガヤと交流は続いた。明るく頼もしいおばさんとの楽しいひとときだった。 食文化をささえている主体はオモニやアズマたち女性であるが、同時に女性達の相棒として食文化を支えているのは甕器ではなかろうか。 甕器は食生活に欠かせないキムチや味噌.醤油.コチュジャン(唐子味噌)などの発酵食品を醸造.保存する茶褐色の甕である。 さて、甕器エキスポ会場となっている外高山里甕器村には8軒の窯場があり、4基の巨大な甕器窯が設けられている。今回も旧知の一成土器の申一成氏を訪ねた。 いつもながら申氏の甕器製型の叩きの技には驚かされた。たくさんのお客さんもその巧みな技に魅了された様子で、一人のお嬢さんは、技の奥義を記録しようと様々な角度から一眼レフカメラのシャッターを押し続けていた。 昼食には二年前に一緒に旅行した増田光世さん手作りのおはぎを持ち込み、一成土器の工房で摂った。申一成氏の跡取りである長男.戴洛氏夫人お盆に山盛りの松茸を焼いてくれた。美味しくいただいたこの時間はまさしくエキスポのコンセプトの「休」「息」であった。 申一成氏のトンネル窯の脇には申氏の製作した2メートル以上の甕器が置かれていてその存在感に圧倒された。会場内には、一日体験教室、甕器文化館・甕器ギャラリー・甕器生活館・韓国現代甕器館など、甕器を多面的に捉えた施設が作られており、すべて見て回るには数日かかると思われた。 また、村の高台の部分は目に優しい緑地帯で甕器の材料である土.水.火.風を利用した遊び場が作られていて「休」を具現化した部分で現代社会の時代性を感じ取れた。 食とやきものの歴史をふり返ってみる。人間は土器を作り出した事で煮る事を憶える。 それが実用性を越えて遊び心やメッセージ性が強くなるのであろうか、器体の模様がさまざまに変化してくる。そして土器は祭祀のための重要な道具になる。 その時代が終わりを告げるとまた煮炊き用に戻りまた祭祀用へとくり返す。その間に徐々に形が複雑になり、ついには全く違うシンプルな形が現れる。 中国で、鋳造技術が誕生し、坩堝に付着した現像が釉薬の始まりで、窯やロクロの技術も同時に朝鮮半島へ入り、そして日本へと伝わってきた。 その過程における焼き物の形は、他の形の影響されて出来上がる。青銅器が生まれれば同形・同色の黒に、そして次に玉石の緑、金の器、銀器の写しの白へと変化していく。 甕器は微生物の働きを利用した発酵食品とともに発達してきた。 しかし、プラスティックの普及や七十年代、社会問題化した鉛成分を含む釉薬.光明丹問題などで、甕器は衰退の一途をたどったが、今、甕器は見直されている。 人間の身体にとって一番やさしいスローフード時代にふさわしい焼き物だからだ。 甕器の叩きの技が残っている韓国、その技が残っていること自体素晴らしいことだし第3の味である発酵食品とともに世界に誇る甕器の文化が絶えることなく生活の中に生き続いてほしいものだ。 |