NO.8 帝都編その5「別離〜モイアの独白 パート2」



「今、考えると、いきなり見知らぬ国へ行って暮らせだなんて、無茶もいいことね。

でもあの人は…それくらい切羽詰ってたみたいだし、ろくに前も見えてなかったんじゃないかしら。」

モイアは、再び、帝都に来た経緯を、語り始めた…。

 

あやめが帰った後、モイアは一日、自分の事について考えていた。

愛するこの国に留まっている事が、本当に最上の事なのだろうか。

確かに、ここにはキアランがいる。しかし日に日に情勢が悪くなっているのはモイア自身感じていた。

もしかしたら、明日にも連行されるかもしれない。

そんな気持ちの中で、ずっと、暮らしていかなければならないだろうか。

あやめの出現以来、自分自身の気持ちが揺らいでいた…。

いっその事、帝都へ行くべきだろうか?いや、全く知らない土地で、生活できるだろうか?

早く答えを導かなければならないのだが、一向に、解答は出なかった。

今日の夕方には、あやめはこの地を離れる。それまでに決めなければならない。

モイアは焦り始めていた。

「もう一度キアランの話を聞いてみて…結論は…それからにしましょう。」

そう呟くと、モイアはキアランの住む家まで向かった。

 

「あら、留守かしら?今日出かけるなんて話、聞いてないのに…。」

何度ドアをノックしても、返事は返って来なかった。

仕方なしにモイアは帰ろうとした所、不意に後ろから声をかけられた。

「あら、モイアさん?丁度良かった…。」

キアランの家の近くに住む人のいい奥さんだった。

「彼氏にね、モイアさんに渡してくれって。手紙を預かってきたのよ。よかったわ、出かける手間が省けて。」

「キアランから?それはどうも…。」

会釈をしてモイアはその場から立ち去った。手紙だなんて一体何だろう?

怪訝な顔をしてモイアは、自分の家へと向かった。

モイアはペーパーナイフを取り出し、手紙の封を開けた。

たしかにキアランの文字で、こう記してあった…。

 

 

親愛なるモイアへ

 

この手紙を貴方が読んでいる頃、恐らく私はこの国にはいないだろう。

ある情報を入手し、当局が一斉摘発に乗り出すらしい事を聞いた。

誰かがドジを踏んだらしく、証拠も押さえられたらしい。

明日にも当局の連中が押しかけてくるだろう。

俺は、仲間と共に新天地へと向かうつもりだ。

悪い事は言わない。アヤメと帝都へ行って欲しい。

俺もアヤメと約束した。命を粗末にしないと。

だから…お願いだから生き延びてほしい。

俺は詩人ではないから、気の利いた言葉の一つもかけられないが、

貴方を大切に思う気持ちは、負けないつもりだ。

 

キアランより、愛をこめて

 

 

決して上手ではない字で、それも簡潔に書いてある手紙だった。

モイアは胸が熱くなり、思わず手紙を床に落としてしまった。

ふと手紙の裏を見ると、さらに一行、何か書いてあった。

 

生きていれば…必ずまた会えるから…

 

照れ屋なキアランらしかった。それを読んだモイアは、思わず手紙を握り締めてしまった。

手紙には、いつしか水滴が滲んでいた…。

 

 

夕方あやめは、愛蘭から立ち去ろうとしていた。結局あれから音沙汰なしだった。

あやめは、何となく気が抜けていた様だった。

「やっぱり、来なかった…か。」

あやめは残念そうだった。あれだけキッパリ断られたので、来ないだろうと思っていたが、

それでも少しは期待していたのだった。

ギリギリまで待っていたが…やはり来なかった。

「仕方ないか…。」

あやめは諦めて出かけようとしていた…。

しかしその時、何か人影が見えてきた。ゆっくりとあやめの元に近づいてくる。

それは大きな荷物を抱えた若い女性だった。

「ごめんなさい、すっかり遅くなってしまったわね。」

「いいのよ気にしないで。さあ行きましょう。帝都へ…。」

二人は、何も言わずに揃って歩き出した…。

 

 

「それから、シベリア鉄道に乗るために、ロシアへ向かったわ。

僅か数十日の旅だったけど、アヤメと一緒にいて楽しかった…。」

言葉をかみ締めながら、モイアは、また話し始めた…。

 

 

ロシアに向かう間モイアは、不安からか殆ど喋ることはなかった。

劇団でいろいろな国へ行っているとはいえ、その時は気の合う仲間が一緒に居たし、

まあ旅行気分でいられた。しかし今回は、だいぶ勝手が違う。

全く意識したことのなかった未知の都市、それも知り合いもいない中で、一人で暮らすのだ。

どちらかといえば楽天家のモイアといえど、不安になるだろう。

「モイアさん、そんなに固くならないで…。」

あやめは、モイアにやさしく声をかけた。

「でも…。」

「大丈夫、貴方はきっと帝都が好きになるわ。たしかに欧州とは雰囲気が違うかもしれないけど、

独特の活気があるし、皆いい人たちばかりよ。」

「…私のような、どこから来たか分からないような異国の人を、素直に受け入れてくれるかしら?」

いつもなら細かい事を気にしないはずのモイアだったが、今回は必要以上に神経質になっていた。

最愛の人と別れ、気の合う友人とも離れ離れになり、住み慣れた故郷を去る…。

モイアにとって初めての経験だった。

「私、貴方のように強くはないから…。」

モイアは、完全に表情を曇らせていた。こんな気分になったのはいつ以来だろうか…と、考えていた。

「不安になるのもわかるわ…。じゃあこうしましょう。」

あやめは、こう話しを切り出した。

「帝都へ向かう間、この国の文化や風習、言葉とかを教えましょう。

早く帝都に行きたいという気持ちにさせてあげるわ。大丈夫、悪いようにはさせないから。」

「貴方って、ユニークな方ね…。」

やっと、モイアにも、笑顔が戻った様だった。

 

 

シベリア鉄道に乗車してからあやめは、モイアに帝都の事を色々と話した。

欧州と違い、米を主食にしていて味噌汁などという物を飲み、茶碗を箸を使うと説明されても、

モイアにはチンプンカンプンだった。それ以外でも欧州とはかなり異なる事が多く、

最初はまた不安になったが、あやめがぎこちないながらも熱心に説明した結果、

何時の間にかモイアの不安は消え、早く帝都を見てみたいと思う様になっていた。

そうなってからモイアは、言葉に興味を持ち始めた。

あやめの教え方も良かった事もあり、またモイアも一所懸命だったので、

驚いたことにウラジオストックに着く頃には、ちょっとした会話くらいなら出来るようになっていた。

「驚いたわね。まさかこんな短期間でこれ程覚えるとは思わなかったわ。」

あやめも予想外の事に感心していた。

「ふふ、先生が良かったからね…。」

モイアも、一寸得意そうに答えた。

「これなら私が付いていなくても、帝都で暮らしていけそうね。」

「えっ…。」

「ごめんなさいね。帝都に戻ったらまたすぐに別の国へ行かなければならないの…。」

あやめには、帝都を守り抜いてくれる霊力保有者を探すという任務がある。

残念ながらモイアのそばにずっと付いているという訳にはいかなかった。

「そうか…。貴方がいれば、大丈夫だと思っていたのに…。」

モイアは、せっかく打解けて仲良くなった、異国の友人とすぐ離れるのが残念だった。

「でもね、貴方が困らないようにしておくから心配しないでね。」

あやめも本当は、モイアのそばに居たいと思っていた…。

 

 

ウラジオストックから海路に切り換え、ようやく二人は帝都に到着した。

「ここが、帝都…。」

予想と異なり、意外なほど近代的な建築物が立ち並ぶ風景に、モイアは少々戸惑った。

帝都の町並みは、何処と無く欧州とは違う独特な雰囲気を醸し出していた。

「ここがこれから暮らす場所…。」

そしてそれを感慨していた。

「さあ行きましょう。貴方の暮らす所は決まってるのよ。」

あやめは、前もって連絡を入れ、モイアが住む所を手配しておいていた。

さらに今後の仕事先まで斡旋していた。

二人が向かったところは築地だった。ここは意外にも外国人が多数住んでいて、

また都心部に近いわりには、少し外れの方にいくと意外なほど静かであった。

そして着いた所は、築地の郊外にある一軒家だった。

こぢんまりとしていて、暮らしやすそうな家だった。

「近くにはすごく人懐っこい、亜米利加の人がいるのよ。」

あやめはモイアを連れて、数軒隣の家へ向かった。

「こんにちは、ジャニス、ご機嫌いかが?」

「久しぶりねアヤメ。元気だった?あら、そちらの方は?」

年は30過ぎみたいだが、元気でハキハキとしていた女性が現れた。

「こちらは今度からここで暮らす、モイア・オコーナーさんよ。愛蘭の方なの。面倒見てあげてね。」

あやめは、ジャニスにモイアを紹介した。

「モイアです…。よろしく…。」

少し緊張しながら、モイアは、答えた。

「そんなに緊張しなくていいわよ。私は、ジャニス・ブラック。少しだけど、

ケルト人の血も混じってるの。きっと、いい友達になれると思うわ。仲良くしましょう。」

あやめの言う通り、ジャニスは、とても人なつっこい性格だった。

「落ち着いたら、遊びに行ってもいいかしら?おいしいケーキを持っていくわ。

欧州の話も、いろいろ聞きたいし…。でも、愛蘭って、どんなとこ?実は行った事ないのよ。

きれいな所?賑やか?」

ジャニスは機関銃のようにまくしたてた。すぐにおしゃべり好きと言うことがわかった。

これならアヤメがいなくても退屈しないかなと、モイアは密かに思っていた。

 

 

「あれからジャニスとは、ずっといい友人なの。さっき食べたお菓子も、彼女が作ったのよ。」

「へぇ、そうなんですか…。」

会話には、あまり参加せず、聞き役にまわっていた大神が、そっと呟いた。

 

 

モイアが帝都に到着して2週間後、再びあやめは霊力保有者の調査と探索の為、

海外に出かけていった。あやめはそれまでの間、次の準備の合間を縫ってモイアの世話をし続けていた。

「私が関わっている『帝国歌劇団』。いつ結成できるかわからないけど、是非、注目してね。

きっと、素晴らしいものになるから…。」

こう言い残して、あやめは、去っていった。

 

 

「それから、3年…。本当に立派な、素晴らしい劇場が完成した。

アヤメの言ったことに間違いはなかった。まだ荒削りだったけど、将来が期待できそうな、

そんなレヴューだったのを覚えているわ。」

モイアは当時を懐かしんでいた。実はこけら落としの際、あやめがチケットをモイアに送っていた。

残念ながらあやめは、その日出張していたのだった。

「そうなんですか。モイアさんは最初の頃から私たちを見守ってくれていらしたんですね。」

その事を感慨深く思っていたマリアであった。

 

 

「毎回とはいかなかったけれど、できる限り見るようにしていたわ。メンバーもだんだん増えて、

少しずつ成長していく子供を見ているようだった。時には失敗もあり、時には本当に感動したりしたわ。」

モイアは再び思い出に浸りながら口を開けた。

「でも、帝都を襲った忌々しい災い、あれによってアヤメが命を落とすなんて…。」

「・・・」

「・・・」

大神もマリアも、何も言い出すことは出来なかった。

モイアの言う忌々しい災いとは、黒之巣会が引き起こした「六破星降魔陣」、

葵叉丹が蘇らせた「聖魔城」、それに伴う降魔の襲来…。その時の帝都は混乱を極めた。

すべてが破壊されるのではないかと思われるほど、危機的状況だった。

もちろん帝国華撃団と黒之巣会、葵叉丹との壮絶な戦いなど、モイアは知る余地もなかった。

ましてやあやめがミカエルであり、天界に帰ったことなども…

当然の事ながら、事実を伝える事はできず、あやめは混乱の中、命を落とした事になっていた。

 

 

「アヤメが亡くなったと聞いた時、本当にショックだった…。

なんでこんないい人が早死にするのかって、八つ当たりしたわ。そのまま自暴自虐になって、

転落した人生を歩みそうにもなったわ…。でもそんな私を救ってくれたのが、

ジャニス達気の合う友人…、故郷の音楽と踊り…、そして貴方たちの舞台…。」

「私たち…ですか?」

突然の予想だにしなかった発言に、マリアはキョトンとしていた。

「ええそうよ。貴方たち若い人の直向きな姿に、私はどれだけ勇気付けられたか…。

若い子たちがこんなにも頑張っている。未来も決して捨てたもんじゃない、と思ったものだわ。

ふふっ、何か年寄りみたいな言い方だったわね…。」

モイアは照れ笑いをしながら、髪を撫ぜていた。

「だからね、貴方たちと一緒に行動できるのはすごく嬉しく思っているわ。

今からとても楽しみね。でもね、言いたいことがあったら、ビッシビシ言うから、覚悟していてね。」

「はい!よろしくお願いします。」

「よろしくお願いします。」

大神とマリアは、元気よく返事を返した…。

 

 

「あら、もうこんな時間?」

モイアは時計を見上げ、呟いた。気がついたら辺りは薄暗くなり始めていた。

「みんな心配してるかな?そろそろ失礼します。すっかり長居をしてしまいました。」

「今日は、どうもありがとうございました。これからよろしくお願いします。おやすみなさい。」

大神とマリアは、モイアの見送りを背に受けて大帝国劇場へと戻っていった…。

 

 

「すっかり遅くなってしまいましたね、隊長…。」

帝劇への帰り道を歩きながら、マリアは大神に話しかけた。

「それにしても、驚いたな。巴里だけでなく、帝都の花組とも関わりがあるとは…。

人の縁ってのは、つくづく不思議なんだな…。」

「ええ、本当に…。でも、あやめさんらしい話だと思ったわ。誰からも愛されたあの人らしい…。」

マリアは、言葉を途中で詰まらせてしまった。

「マリア…。」

大神は優しい眼差しで、そっとマリアを見つめていた。

「あの人の事を思い出すと、どうしても涙脆くなってしまう…。火喰鳥と呼ばれた私もやっぱり弱い人間なのね…。」

マリアは、大神の肩に自分の頭を寄りかけ、腕を組んできた。

「ちょっと、マリア…?」

普段見せない、ちょっと甘えた感じのマリアに大神は戸惑ってしまった。

「今だけでいいから、このままで…。隊長…。」

きりりとした表情以外は滅多に見せないマリアだが、この時の顔は優しさに満ちていた。

「あ〜、大神さん、マリアさん、何処までいってたんですか?」

突然大声が聞こえ、大神とマリアは我に返り体を離した。

気がつくと向こうから、さくらがトコトコと歩いてきた。

「あんまり遅いから心配して探しに来ましたよ。さあ、一緒に帰りましょう。」

さくらは大神の傍に寄ると、微笑みながら一緒に歩き出した。

「ところで、大神さん…。」

にこにこしながら、さくらは喋りだした。

「さっきマリアさんと、とってもいい雰囲気だったみたいですけど、何かあったんですか?」

笑顔とは裏腹に、棘のある言葉だった…。

「いい!?」

「どうなんですか?大神さん!」

何時の間にか、さくらはジト目になっていた…。

「だから何もないって…。」

「そうよ、全く心配性なんだから、さくらは…。」

大神とマリアは、慌てて否定した。

「本当ですか?なら良かった。さっ早く帰りましょう。みんな待ってますよ。」

やれやれと思いながら、大神たちは、帝劇への道を急いだ。

(それにしても、俺、ホントに踊らなきゃなんないのかなぁ?)

大神にとって、その点だけが不安だった…。