NO.6 帝都編その3 「モイアの独白」

  

 

「ちょっと、お聞きしたい事があるんですが…。」

唐突にマリアが、モイアに対し尋ね始めた。

「あら、どうかなさった?」

「ええ、最初に挨拶をした時の事ですけど…。」

マリアは、少し言いにくそうだった。それでも言葉を続けた。

「帝國歌劇団という言葉に反応した様でしたが、何か思い当たる事でもありましたでしょうか?」

「ふふ、結構鋭い所があるのね。…この話をすると、何だか湿っぽくなるけど。」

「いえ別に、話したくないようでしたら無理に話さなくても…。」

どうも訳ありの様だったので、マリアは無理に話をさせようとは思ってなかった。

「…いつか話す事になるでしょうから、この際、話しておきましょう。

ちょっと、長くなるわよ、いい?」

そう言うと、あさっての方角を向き、モイアは淡々と喋り始めた。

「その昔…私は、ある劇団に属していたわ。そして愛蘭中、時には欧州を旅して公演を続けたの。」

モイアは昔を思い出すように、しかし懐かしむわけでなく少し表情を曇らせて話し出した。

 

モイアは幼少の頃からダンスが好きで、人が集まったりした時など、

フィドルやリールに合わせて踊っていたりしていた。

モイア自身、将来はダンスを生業にしたいと思っていたし、周りも間違いなくそうなるであろう、

と思っていた。

実際モイアは、ある劇団に所属する事になる。決して生活は楽ではなかったが、

モイア自身は、そんな事は苦にもせず、好きなダンスを踊れるだけで毎日が幸せだった。

劇団に所属してから何年がたったあとであろうか、モイアの人生を変える運命的な出会いがある。

後の婚約者となる、キアランとの出会いである。

始めは何となく気が合う人かなと思う程度であったが、パートナーとして接する事が多くなると、

モイアは次第にキアランに惹かれていった。そして…いつしか二人は愛するようになっていった…。

モイアにとって、この時が人生で一番幸せな時だったかもしれなかった。

しかしキアランには別の顔があった。愛蘭義勇軍に参加していたのである…。

 

「キアランは祖国を愛していた。祖国の為の行動だったのに…、

結果として祖国を追われる身となってしまった…。」

これから辛い話になるのだろう、モイアの表情がさらに曇った。

 

1800年代末期から1900年代初期の愛蘭は政治的独立問題に揺れていた。

この当時は英吉利と合併していて、正確にいうと、この時には愛蘭という国は存在していなかった。

議会は英吉利と統合されていてその結果、愛蘭の経済や社会に深刻な影響を与えていた。

英吉利との対立は深く、古くから現在に至るまで続いている。

1800年代中期の大飢饉以後、革命的秘密結社フェニアン運動が組織され、

重大な脅威となっていた。愛蘭問題は抜本的改革が必要とされ土地法改正など、

立憲的方策による問題の解決が進行していった。

しかし1890年代には、自治運動の勢いは失われていた。

その後、アイリッシュルネッサンスと呼ばれる愛蘭文芸復興等、民族主義の高揚が見られた。

その動きは民族活動家に大きな影響を与えた。モイアの属していた劇団もこの頃に結成されている。

1910年代にダブリンで愛蘭義勇軍が結成された。この時キアランも義勇軍に参加している。

この時の愛蘭は、内乱の危機に直面していた。

1916年のイースター祝祭週間に、ダブリンにて愛蘭義勇軍と愛蘭市民軍による

革命の為の暴動(イースター暴動)が発生した。ヘンリー・パトリックピアスにより、

共和国宣言も出されたが、政府軍の猛攻により鎮圧された。

しかし義勇軍による英雄的行為は、愛蘭人の愛国心を呼び起こした。

その後、愛蘭義勇軍や愛蘭共和国軍(IRA)はゲリラ戦を展開した。

政府は非情な報復によりこれに答えた。正に戦争であった。

1919年、シン・フェーン党員は、

ダブリンにて一方的に第1回愛蘭国民議会(ドイル)を開催し、独立を宣言した。

しかし、宣言を認めない英吉利との間に猛烈な抗争が続いた。

抗争は1921年まで続いたが、その年の暮れに英愛条約に調印した。

これにより英吉利連邦自治領として、カナダやオーストラリア等の英領と同等の

憲法上の地位が認められ、26の州が愛蘭自由国として成立が承認された。

しかし条約は要求を完全に満たすものではなかった為、反対勢力も強かった。

その結果、独立はしたものの内戦が勃発し暫く不穏な社会情勢が続く事となった…。

 

「キアランは、イースター暴動に参加したわ。その後もゲリラ活動も頻繁に行なった。

その結果、当局に目を付けられる事になってしまった。私は直接戦いには参加してないけど、

仲間を匿ったりしてたから、やはり目を付けられたの。でも後悔はしなかったわ。」

モイアは、俯きながら続けた。

 

モイアがグリシーヌと出会ったのは、1919年の事。愛蘭は内戦状態の頃だった。

実は仏蘭西にて公演を行なったのは、国内ではとても興業できない状態の為の苦肉の策であった。

そして、その後すぐに劇団は解散となった。

採算が取れない事も理由にあったが、当局の干渉が一段と厳しくなり、

まともに練習さえ出来なくなってしまった事が大きかった。

キアランは確かにイースター暴動に参加しているし、ゲリラ活動も行なっていた。

しかし明確な証拠は残していなかった。当局は証拠を見つけようと、躍起になっていた。

モイアが外へ出かけようとしても、周りで怪しい気配を感じる事は、しょっちゅうだったし、

帰ってみても何となく誰かが侵入したような形跡を感じたのは一度や二度では無かった。

モイアは、こんな生活に嫌気がさしてきた。

 

そんな、ある日の事。

キアランは街の外れにて、若い女性が胡散臭いような男たちに絡まれているのを見かけた。

この辺りでは珍しい東洋人の様だった。

キアランはハッキリいって、今は出来るだけ余分な事には拘りたくなかった。

しかし男たちがナイフや銃等を持っているのを見かけてしまったので、

どうしても黙って見過ごせなかった。キアランは、そういった性格の持ち主だった。

「お前たち、何してやがるんだ?」

キアランはドスをきかせた声で、無法者達に怒鳴りつけた。

キアラン自身は背こそやや高めだが、見た目は優男に見えた。

当然のように男たちは、キアランに近づき一発ぶちのめそうと思った。

キアランは後ろへ下がるが、男たちは距離を縮めていった。

そして突然、キアランは前にダッシュして男の一人に殴りかかった。

咄嗟の事でその男は対処できず、キアランのパンチをモロに食らってしまった。

すぐさまもう一人の男の所へ走り、今度は膝蹴りとパンチ数発を続けざまに叩き込んだ。

とてもナイフなど使う暇などなかった。その男は、そのまま倒れて動かなくなった…。

キアランは最初に殴った男の所へ走り、電光石火の様なパンチをお見舞いしてやった。

ほんの僅かな時間で、二人を動けなくしてしまった。キアランは明らかに戦いに慣れていた。

女性の傍にいた最後の三人目の男は呆気にとられていたが、

すぐに我に帰り、銃をキアランに向けて構えた。

しかし東洋風の女性に腕を捻られ悲鳴を上げた。

キアランが近づいてくると男は叫び声をあげ、無理やり腕を振り解いて逃げていった。

「まいったな、また、やっちまったか…。」

キアランは頭を掻きながら呟いた。お尋ね者の身であるのに、

こんな所を見られたら、速攻で連行されてしまう。

「大丈夫か?怪我はないか?」

キアランは、東洋風の女性に尋ねた。

「ええ、大丈夫…。」

どうやら女性は無事みたいだった。

「それは、よかった。それじゃあお上が来る前に逃げますか…。」

キアランは、そのまま後ろを向いて歩き出した。

しかしその時、先程殴りつけた男がナイフを手にしてダッシュしてきた。

すぐさまキアランは臨戦態勢に入った。が、東洋人の女性が前に出て、

鮮やかな投げ技で男を地面に這いつくばせた。キアランは、ただ唖然としていた。

(この女何者だ)と、キアランは思っていた。

「あ、あんた、一体…。」

キアランが女性に尋ねようとしたが、向こうから警察らしい集団が近づいてくるのを感じた。

もちろん捕まるわけにはいかなかった。

「早く、逃げましょう!」

女性は、キアランの手をとって、その場から走り出した。

 

二人は、かなりの距離を移動した。どうやらうまく逃げれたようだ。

「なんとか逃げれたようね。」

東洋人の女性は息を整えながら話し掛けた。

「どうやらもう大丈夫のようだな。」

キアランも息を整えながら、内心ほっとしていた。

「ところで、あんた一体何者なんだ?見たことのない武術みたいだったが。」

キアランは先程思っていた疑問を口にしていた。

「大藤流合気柔術というものよ。」

女性は、もう息を整えていた。

「そうだ、まだ名前を言ってなかったな。俺はキアラン。キアラン・テイバーって言うんだ。」

「キアランっていうの?いい名前ね。私の名はアヤメ。アヤメ・フジエダといいます。

詳しい事は言えないけど、ある理由があって日本の帝都からここに来たの。」

 

「え、あやめさんが!?」

「そんな事って…。」

モイアから告げられた、あまりにも意外な人物の名前に、

大神もマリアも、言葉を失っていた…。