NO.2 巴里編その2 「グリシーヌの昔語り」

 

 

「私が、10歳ぐらいの頃の話しだが…。」

周りが静かになってから、グリシーヌが話しを始めた。

「ブルーメール家主催のパーティーに、愛蘭(アイルランド)からの客が来てな…」

いつの間にか、グリシーヌは、遠い目をしていた。

「主にダンスを中心に活動している劇団のメンバーだった…。」

  

ある時のブルーメール家で行われたパーティー。その日のパーティーも盛況だった。

まだ幼いながらグリシーヌは、主人の一人としての役目を果たしていた。

まさにその場所は、華麗なる別世界のようだった。

多くの人々が挨拶に訪れるそんな中、唐突にその彼女が現れたのだった。

彼女の名前は、モイア・オコーナー。愛蘭生まれの女性だった。

年はまだ若いようだったが、独特の雰囲気を持っていた。

常にダンスを踊ってるせいかスレンダーで、まるでカモシカのような美しい足をしていた。

そして何よりもまるでオーラを発しているように感じる何かがあったのだった。

子供なりにもグリシーヌは、美しいと思っていた。

初めて会った筈なのに、どういうわけかいつか彼女のようになれれば、とも思っていた。

「お嬢様、ご機嫌いかが?」

少しハスキーな声で、モイアはグリシーヌに話しかける。

「今から、向こうで踊ってくるの。ご覧あそばせ。」

そう言うと、モイアは舞台の方へ向かっていった。

どうやら劇団によるダンスが行われるらしい。グリシーヌは、舞台が見える所へ歩いていった。

 

「そこで見たのは、感動的としか言いようのない素晴らしいダンスだった…。」

グリシーヌは、さらに淡々としゃべり続ける…。

 

モイア達が踊り始めたのは、愛蘭に古くから伝わる踊りをアレンジした「水辺の踊り」というものだった。

ダンスの内容は、今は不毛の眠りについている大地を甦らせるために川の精霊を呼び出し、

その精霊の力によって大地が再び生命力を取り戻し緑に満ち溢れていく様を、

タップダンスを交えて表現したものである。

まず女性陣が登場し、美しいコーラスを奏で始める。

ゲール語で歌われている為、詩の内容はグリシーヌには理解できなかった。

しかしその美しいコーラスは、グリシーヌを舞台に釘付けするのには充分過ぎるほどだった。

続いてモイアと男性のダンサーが登場し、タップダンスを踊り始める。

あまりに鮮やかな足裁きに、グリシーヌだけではない集まっている人は皆、舞台に集中している。

やがて他のメンバーも登場してくる。皆、息の合った素晴らしい踊りを見せている。

グリシーヌは、一瞬たりとも見逃さないと舞台に神経を集中していた。

そしてクライマックスを迎えようとしていた。全員が一列に並び、寸分狂わない動きでタップを踊っていた。

その光景は正に圧巻だった。あれだけの大人数が見事に揃って踊っている。

グリシーヌは今まで見たことのない素晴らしい踊りに感動し、興奮を覚えていた。

いつしかグリシーヌは身を乗り出して見入っていた。

すべて終わった瞬間、嵐のような拍手が湧き起こった。

グリシーヌも、力一杯拍手をしていた。ただ感動という言葉しか思いつかなかった。

  

「あの時のことは、一生忘れないだろう。それくらい鮮烈な体験だった。」

再び、グリシーヌが喋り始めた。

 

「いかがだったかしら、お嬢様?」

少々休憩をとった後、モイアは再びグリシーヌの前に現れていた。

「素晴らしい、素晴らしいぞ。こんなに感動した事は今までなかった。」

グリシーヌは興奮気味に答えていた。それくらい素晴らしく思っていたのだ。

「お褒めいただいて、光栄ですわ、お嬢様」

モイアは、やさしい表情を見せて喋る。まだ疲れているはずなのに、

そういった素振りは微塵も見せていなかった。

「…私も、踊ってみたい。」

グリシーヌは、言葉を搾り出すように言った。

「出来るのなら、こんな素晴らしいダンスなら、自ら踊ってみたい。」

強い意志をもってグリシーヌは語りだした。頑固な性格だったので、一度決めた事は、曲げたくなかった。

「そうね、本当にやる気があるのなら教えてあげるわ。明日は一日休息日だから、

その時にじっくり教えてあげましょう。」

モイアはまだ年端もいかない少女の申し出を、少しも嫌がらずに快く受け入れた。

「すまない。…ありがとう。」

グリシーヌは普段使い慣れない言葉を使って、ちょっぴり照れていた。

  

「そして、モイアに、その踊りを教えて貰ったのだ。」

周りが話しを聞き入っている中、グリシーヌは更に話し続けた。

 

翌日、グリシーヌはモイアの所へ向かっていった。

タレブーに無理をいって捜してもらった、タップダンス用のシューズを片手に。

グリシーヌは、はっきりいってタップダンスなどというものは経験した事はなかった。

もちろん、1日でマスター出来るほど簡単なものではない。

ましてやモイアが踊ったのは、アイリッシュダンスとタップダンスの組み合わせである。

それでも、すべてマスター出来ないとしても、少しだけでもものにしたい。

グリシーヌは、強い決意を持っていた。

「いらっしゃい、お嬢様。」

モイアはグリシーヌを温かく出迎えてくれた。

「すまないな。せっかくの休息日なのに。」

グリシーヌは、申し訳なさそうに、呟いた。

「そういう事は気にしないの。さあ時間も無い事だし、早速始めましょう。」

見ての通り、モイアはサッパリとした性格だった。小さなことは気にしてなかった。

それを見てグリシーヌは、さらに憧れ度を増していった。

 

こうしてグリシーヌはモイアの指導を受けていった。さすがに最初の内は、慣れなくて失敗ばかりだったが、

元々グリシーヌには才能があったしセンスも良かった。

そして何より早くマスターしたいというやる気と情熱をもっていたので、

1日が終わる頃には、ある程度の形が出来ていた。

「すごいじゃない。まさか1日でここまで出来るようになるとは思わなかったわ。」

モイアは驚嘆していた。最初のうちは、お嬢様のお戯れ程度だと思っていたが、

グリシーヌの真剣な表情を見ていたので、こちらも手を抜かず真剣に接していた。

「出来る事なら、劇団に引き抜きたい位よ。もちろん、お世辞じゃないわ。」

「…ありがとう。今日は、有意義な時間を過ごせた。」

グリシーヌは、満足気な表情を浮かべて、答えた。

さすがに1日ですべてをマスターする事は出来なかったが、ダンスを踊る楽しさを知った気がした。

「後、何回かは仏蘭西で公演があるの。よかったら見に来てね。」

「是非、見に行く。予定があっても断って見に行く。」

「ふふ、ありがとう、お嬢様。」

モイアは、嬉しそうに答えた。

 

「もちろん、モイアの公演は見に行った。予定を急に断ったから、後で、タレブーに怒られたがな。」

ああ懐かしいな、と思いながらグリシーヌは続けた。

 

グリシーヌは自分の予定を勝手にキャンセルして、次の公演地へ向かった。

もちろんタレブー以下メイド達は、お嬢様の突然の我儘にてんてこ舞いだった。

「ここが、次の公演地か…。」

会場は比較的大きめのホールだった。そこで2回程公演を行って帰国するという。

割と大きい会場にも拘らず、ほとんど満員だった。

「始まるみたいだな。」

モイア達の公演「愛蘭賛歌」が始まった。

まず第1部は、ケルト神話をモチーフにした踊りが行われた。

もちろん、この前踊った「水辺の踊り」も含まれている。

嵐、火、四季などをテーマにしたダンスが続けられた。

その間、グリシーヌの目は、舞台に釘付けだったのは、言うまでもない。

第1部が終わり、少々の休憩が入り第2部が始まった。

第2部は、愛蘭の移民をテーマにしていた。

愛蘭からは19世紀半ば以降、飢餓や貧困の為に多くの人が亜米利加へ移民していった。

まず今の愛蘭を表現したダンスが踊られた。

この時の実際の愛蘭は、混乱していたので、もの悲しさを感じるダンスだった。

続いて今までの苦労を表現し、さらにこれからの成功をイメージしたダンスが踊られていった。

希望をイメージするため、だんだん明るい雰囲気のダンスになっていった。

クライマックスは亜米利加で成功した移民者が帰郷し、愛蘭という国が大きく発展する様子を表現していた。

愛蘭の明るい未来を切に願うモイア達は、とても輝いて見えた。

 

「そして、帰国前に、もう一度会って、指導してもらった。もう、その時で、殆ど覚えてしまったがな。」

いい思い出だ、とグリシーヌは思っていた。

「すまない、すっかり長くなってしまったな…。」

ちょっと話し疲れた様子も見えたグリシーヌだった。長い語らいはひとまずこれで終了した。