玖延寺
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<悟りについて>









今から約2,500年前、実在した人物、釈尊=ゴータマ・シッタルーダが12月8日早朝、明けの明星を見て悟りを開いて、その実体験の功徳を言葉に表したのが仏教の始まりです。言葉に表したのは人に伝えんが為であり、思想ではなく実体験上の救いを人に追体験してもらいたいが為の布教でした。仏教とは悟りという実体験の上に成り立っているものです。ですが今の世にある 悟りを開いたような といわれるような曖昧な思想だか実体験だかあまりにも不鮮明なものとはもう根本的に違う、実にはっきりしたものです。それをこれからお話ししましょう。

その前に一言。今の世のお寺の和尚さんといわれている人のざっと実感上99パーセントは仏教に無縁な人たちです。江戸時代に檀家制度が出来てから、お経を覚え和尚さんの作法を覚えれば食べていけるとなって以来、人は易きに流れるがひとつ、これに興味を持ってやろうという気概と能力の欠如がひとつ、正師がなかなかいないというのがひとつ、以上の理由で悟りの実体験上の救い=仏教に出会えることが本当に少なくなってしまいました。よって今のお寺は葬儀、法事の先祖供養だけがお寺の仕事となってしまいました。お墓という人質みたいなものがあると、檀家の人は言いたいことも言えなくなり、和尚さんは勘違いして偉くなり、よってお寺に対する信頼ががた落ちになっているのが今の風潮でしょう。それもこれもお寺の和尚さんはもとより、布教と言って本を書いたり講演をしている人の中にも 悟り という仏教にとって最も大事なものがすっぽりと抜け落ちてしまっているのが、今の世の仏教の堕落の根本原因です。

さて、悟りについて話をするに最もわかりやすいのが釈尊の事例です。なぜそんなことがわかるのか、と思うかもしれません。しかしやってみれば、悟りに至る経緯は全員釈尊と同じ道をたどるしかないなーと思います。
釈尊は生老病死の苦を問題にして、その根源を探りそれを滅せんが為に修行者の道に身を投じたといわれています。何不自由のない王子だからこそわかることもある。お金や地位がいくらあっても人の苦しみの原因をなくすことはできないと。まー、普通はそんなこと言わずに特権階級の安穏生活を一生送るもんだけど、よくも地位も家族も捨てて求道者の道に踏み出したなと。真理探究の求道者の強さ、妥協のなさ、これはどうしても最初に必要なもんです。

だけど、最初は人皆間違いからスタートするんですねー。苦しみを問題にするということは、苦しみたくないと思うからこそ出る発想です。すなわち自分に都合の良いことを念じて出発したということです。自分かわいい、が出発点だったということです。自分という思いが世界の中心にどがんとあり、何でも自分という思いを中心に説明し善し悪しをくっつける。自分の満足の為にものをする。なんたってこの体まで自分と説明し、あるいは自分のものと思い込んでいるわけだから、自分という思いの満足の為にものをするんですねー。
釈尊はありとあらゆる事をしたと言われています。なぜ苦しむか。やがて現実と合致しないことを思うから、そのギャップで苦しむんだと思う。
では現実に合致しない思いを発せずにいられる工夫はないかと探す。思いつく限り実践してみる。体も痛めつけてみる。とことんやってみたからこそわかることがある。思いの延長線上に答えは無いと。自分という思いとこの体ともしかして全然別物だったんじゃねーのー?自分の持ち物だっていうの、とんでもない思い上がりかー?自分ていう思い、これ勝手な思い込みかー。この世の一切の存在と思いの中身は関係ないかー。

ここでぱたっと静かになる。自分という思いが半死半生になる。あるいは自分という思いが、世界の中心にいなくなり普通の思いのように流れ出す。あるいはこんなふうに気づいたかも知れない。思いを問題にするとき、それはすでにない。ないものをコントロールしようったってそれは無理だ。できない。なんでできないことを今まで必死にやろうとしてたかー。できないことをやろうとしてたもんで苦しんだ。俺は馬鹿だ。

というわけで思いを立て、思いに従いゆく旅の終わりが来た。大懺悔したんです。難行苦行をやめた。釈尊と一緒に難行苦行をしていた仲間からは裏切り者呼ばわりされても、それに反応する自分というのがよほど死んでしまった。

さて、史実で言われる菩提樹の下で坐禅を始めたというのはここからなんです。自分かわいいがあるとながめて説明して○×をつける。少しいいと人に自慢する、天狗になる。悪いと思うと元気がなくなる、卑下する、人をねたむ。それでこういうことをやる自分という主語が死にかけると、ながめて説明しなくなる。ながめない、説明しないって肩肘張った修行じゃなくて、自然にしなくなる。こうなって初めて坐禅になる。
いつのころからか忘我。まったくながめなくなると記憶がなくなる。これを悟りと言っています。

いつまでも忘我じゃなくて、何かの縁でまた元に戻る時が来る。またながめて説明する働きが始まる。釈尊は明けの明星を見たとき元に戻った。道元禅師は隣に居眠りをしていた和尚が警策(きょうさく)でひっぱたかれる音で元に戻った。一般的には明けの明星を見たとき悟りを開いたって言われていますが、その前に悟りを開いていた。ながめて説明するっていうことは、どうしてもリアルタイムの自分に、たった今の自分には寸分遅れる。だから思いの中の自分と存在としての本当の自分と二人出来てしまう。だけど自分はたったひとりだけです。たったひとりしかいないのにリアルタイムに自分で自分をながめられるわけはないでしょう。ほんとうにたったひとりきりになったとき、すべてのものがなくなるのは物理の法則です。つまり思いの中の自分というのは残像、影であったということです。これが忘我=悟りによって証明されたということです。

この忘我=悟りというのはほんとうにはっきりしています。いくら良さそうでもそれが分かっているうちは違うということです。
坐禅をしていて、いやしていない時でもいいんですが普段にない体験をすることがあって、それを見性(けんしょう)と呼んで珍重する風があります。ですがそれと悟りと決定的に違うところが二つあります。一つは見性は普段にない体験をしたと分かっていること。まだ眺めて説明しているんです。説明する主語があるんです。かたや悟りは主語が死んだものだから記憶そのものがない。生きてるのか死んでるのかすらわからない。二つ目は見性した人はだいたい人に自慢する。その続きで師匠から印可(いんか=許可証のようなもの)をもらうのどうのという話になる。そのうちだいたい偉くなる。これすなわち自分という主語が残っている証拠なんです。これをやっている人はほんとうにこれでいいかどうか、世界中で自分1人になってもまだこれをやっているかどうか検証してみて下さい。見性した人は多分満足と思っているんでしょう。悟り経験した人は満足とは思わない。あんた、主語が死ねば満足だーどうの、修行だー、悟りだーそういうの一切なくなる。ただの人。その他、ぼーっとしていたりとか、無我夢中の時とか、私、忘我しましたっていう人がたまにいますけれど、そういうものとは無関係です。

むしろ忘我=悟りという現象が尊いわけではありません。それに至る過程で今まで後生大事にしていた「自分」という思いが死んじゃったことこそが大事なのです。自分という主語が完全になくならないと忘我という現象は起きない。そして何らかの意を用いてそうなったというのではないということだけは記憶にある。だからこれ以降修行を間違うということがなくなる。だけど自分という思いが消しゴムで消されたようになくなってしまうわけではないのです。今まで本当の自分だと思い込んでいた思いの自分=残像=影が一度完全に死んでしまうと、自分という思いが地位を失い普通の思いと変わらない比重になってしまう。
五感の領域と思いと(中身にかかわらず)同じ比重で、時処位によって何がメインになるかはその時しだい。その時その時の縁による存在それぞれ。ただそうあるのみ。なにかが不当に重いということがない。思いが地位を失った分だけ五感の領域が俄然輝きを増す。あるときススキの微妙に驚き雲と光の鮮烈に驚く。こんなところに生きていたのかと、不意にふるさとに帰る。この体の生きていたところは紛れもないたった今の五感の領域。迷いの世界から現実世界にもどったうれしさ。たった今はたったひとつ。迷えない。

翻って思い入れがなくなったぶん、思いを自由自在に使えるようになる。思いに使われるということがなくなる。使う必要のない時は思いは流れる雲。思いに羽交い締めにされてないから、何やるにしても最も効率よく丁寧にできる。その人間の本来持っている力が存分に発揮される。と同時に思いに引っかかっている人の様子がよく見えるようになる。それ違うと言ってやれる。布教ということが始まる。だけど思いを失って事実を得るというのを布教と言うのかな?

世の宗教は思いの延長線上に見たこともないような物語を語り、信じれば救われるという。現実にない世界だから膨らませようと思えば際限がない。果てはこの教えを信ずるものは人間であり、それ以外は人間ではないと断ずる。乱暴、野蛮、危険。

悟りとその功徳とは、思いを失ったが故の我々の存在そのものの活動なのです。

さて、最後に私の悟り体験についてお話致します。
私が東山寺で出家して以来25年もたった頃だろうか、東山寺の接心には欠かさず参加していた。だけど雪担師との独参の時、一緒にいるときに、分かっていること が常にベールのように 師匠と私のあいだにあって邪魔でしかたがなく、息苦しくてしかたがなく。そんな状態が続いていた。ある接心でインターネットを見て東山寺に来たであろう女の子が ふつうに 過ごしている、歩いている、話している様を見て、つくづく自分が情けなくなった。おまえは坊さんだなんて偉そうにしていて20何年? 雪担師の正伝の仏法の継承者のようなふりをしている偽善者。なんにも知らない女の子のようにすら出来ないとは。情けないことこの上なし。恥ずかしいこと限りない。おまえのような奴は生き埋めにされても仕方ない。偉そうにこんな坐禅会にいる資格もなし、ってそう思った。多分その時は玄関で三拝して家へ帰ったと思う。
それからしばらく後の玖延寺の接心に雪担師に来てもらったときに、忘我があった。
私の場合、座禅の初めに鳴らす鐘の音は分かった。その次にいきなり座禅の終わりを告げる鐘の音。いつから、どれくらい認識作用がなかったかは分かりません。いきなりこの世のすべてが現れ出る。驚きました。
今まで、分かっていることがこの世のすべてだったんです。分かっていること=一切の存在だったんです。
ですがそうじゃありませんでした。分かる以外の状態がこの身に起きていたんです。分かる以前の状態があったんです。
あったというと変ですが、とりあえずそう言わせて下さい。
たった今の一点において自分が自分を見ることはできない、ということがあるんです。
不識なるものが自分の本体なんです。自分の正体なんです。
不識なる本体の直後に現れる 分かっている 状態を本体だと思っていたんですが、違っていました。
分かるという認識作用は電気信号ですもんね。
分かっていることがこの世のすべて、というのから 分かっていることも自分の一部 っていうふうになりました。
この違いは大きいです。思いの重みが一気にとれて流れ出す雲や吹き抜ける風になります。

私には意識の自殺願望が強烈にあった。だから死ねたと思う。無に出会った思う。
釈尊が菩提樹の木の下に坐るまでのいきさつは、紆余曲折は、最後は意識の自死状態にたどり着いたと思う。全員が同じ道を辿って無に出会うのだと思う。大陽警玄さんの逸話を思い出して下さい。道元禅師の命がけの中国への渡航と求法の旅は人生のすべてを捧げるものだった。悟る以前の人間にとって 分かっていること とは、この世のすべてじゃないですか。この世のすべてにお別れをすることができない限り、あるいはそのすべてを捧げることができない限り 無 は手に入らないと思います。