※SE・教員職を経て、道場主となる
※得意技:左正拳、ヒジ、ミドル
※好きな言葉:破邪顕正
※運動歴:サッカー、空手、合気道
●武道とスポーツ
昔、戦国の世では、始めの礼はあっても、終わりの礼はなかったかもしれない。敗北=死であるから。一つの礼の重み。そんな中から生まれた武士道や武道精神について、私のような若輩者が偉そうに語ってよいものか・・・という思いから、ずっと書けずにいた「武道」について、今の自分なりに考えてまとめてみた。
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フェアプレーをし、勝負にこだわらない、明るい健康的な態度や精神を表す「スポーツマンシップ」という言葉がある。よく武道とスポーツは違うというけれど、武道とスポーツの「競技」には共通点が多いため、比較が難しいとされる。
本来日常の仕事を離れて楽しむことや健康回復・健康増進が目的のスポーツ。しかし、ルールの中で競い合って優劣をつける「競技」に走り過ぎると、「勝つこと」だけが目的となりかねない。そこに1軍・2軍、レギュラー・補欠が存在してしまう。「チームが負けてもいいから、この子を使おう」とは、あまり聞かない言葉だ。
一方、武道の「競技」は、「お互いを磨き合う」ことを目的とし、お互いを尊重し、相手に対し礼を怠らない。自分自身の頑張りが重視されるため、1軍・2軍は存在しない。
武道には、実戦的側面と教育的側面がある。「武道」という言葉を辞書で引くと、「武術をみがいて万一の場合に備えるべき、武士の道。教養として身につけるべき技術」とある。もともと武人がいくさに勝つために身につけた術である「武術」が、武士階級に発達した独特の倫理意識である「武士道」と合わさり、「武道」になったと考える。「武士道」とは、「君主に対して命を懸けて仕える道」であるが、言い換えると「奉仕の精神」であると言える。
武道とは、厳しい稽古を通じ、自分を高める人間形成の道であり、武技により自分を護る方法である。死を前にしても(試合で勝っても負けても)態度が変わらない、「覚悟」や「不動心」。己の痛みを知ることにより相手の痛みを知るという教えからガッツポーズをとらない、「思いやりの心」、「自他共栄」。この自分自身に対する”強さ”と、相手に対する”優しさ”を忘れてはならない。
「人に勝つより、己に克て」・・・スポーツは相手に向かう強さを、武道は自分に向かう強さを磨く
●挨拶、返事、気合
堂々とした不動立ち、気持ちの良い挨拶、力強い返事、大きな気合。
声を出すとお腹に力が入り、”勇気”と”自信”が湧いてきます。挨拶は礼儀正しさに、返事は謙虚な心に、そして気合は何よりも大切な”根性”に繋がります。
最初から上手に出来る人はいません。失敗してもいいし、間違っても構いません。
「楽しく、一生懸命!」をモットーとしております。


●帯色
極真空手の道場では、修練度により帯の色を分けています。初心者である白帯(無級)から始まり、オレンジ(9・10級)、青(7・8級)、黄(5・6級)、緑(3・4級)、茶(1・2級)、指導員である黒帯(初段以上)まで。
それぞれ奇数級には銀線が入り、黒帯になると金筋が入ります。段位が上がるにつれ、金筋の本数が増えます。この金筋は、「筋金入りの人間になりました」の”筋金”を表したものです。
武道には「形式美」や「礼儀作法」があります。白い道着に身を包み、みんなで思いっきり気合を入れて、突いて蹴る。道着を着て一歩道場に入ると、何故かとても厳粛な雰囲気に包まれます。
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白は、汚れを拒絶する清らかな色です。”邪心を持たない”という意味で、白い道着を着ます。
オレンジは、行動意欲が高まる色で、成功や希望を表します。女の子に人気の色です。
青は、聖母マリアの色とも言われ、精神・名誉・幸福を表します。青帯はとてもカッコイイです。
黄色は、個性や独創性を表す綺麗な色です。帯色がいったん薄くなり、初心を思い出させます。
緑は、自然・大地・健康を表す色です。帯色が濃くなり、上級者としての自覚が芽生えます。
茶色は、無限の可能性を表します。茶帯は「準指導員」と呼ばれます。
黒は、どんな色にも染まらない強い色です。”信念を貫く”という気持ちで、黒帯を締めます。
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武道の世界では”黒い帯”とは言いません。”黒帯”という固有名詞で語られます。黒帯という言葉から、「強い人。優しい人。お手本となる人」とイメージされます。
黒帯からは年齢に係わらず、呼称も変わります。初段・弐段は錬士とし“先輩”、参段・四段は教士とし“先生”、五段以上を範士とし“師範”と呼びます。
「自分がこの帯を締めることにより、極真空手のレベルを上げる」、そんな気持ちを持てる人こそ帯色に実力が伴ってきます。個人の記念品ではなく、後輩たちの範となる帯であり、道場にとってとても大事な帯でもあります。
道着は、「道を着る」と書きます。帯は、”自分の心”に締めたいものです。
「己に克つとは、心が屈しないこと。本当の強さとは、人に優しくできること」



●「押忍」の意味
道場はひとつの社会です。年齢も様々で、幼稚園年中から小学6年までが少年クラスに出席し、中学生から60代の人までが一般クラスに出席します。そこで年上のお兄さんやお姉さんとの付き合い方や、若い世代の人たちとの接し方などを学ぶこともあります。
学校や会社で周りと上手く打ち解けられない人が、何故か道場では他の道場生と非常に仲良く出来たり、活き活きした表情で励ましあったりしています。その時一番大事なのが、礼儀礼節だと思います。
今日も元気な「オス!!」の声が聞こえてきます。もともと「押忍」の精神とは、尊敬・感謝・忍耐を意味すると言われています。私は、その時々の心構えを言葉にしたものが「オス」の意味だと思います。
道場に入るとき、「よろしくお願いします」という挨拶としての「オス」。「わかりました」という返事としての「オス」。「苦しくても最期までやり抜くんだ」という気持ちを手に握り締めての決意の「オス」。道場から出るとき、「今日も精一杯良い稽古が出来た」という感謝の気持ちを表した「オス」。時と場合によって、またその人その人で、いろんな意味が含まれます。
大山総裁が「空手」を子供たちにも分かり易く、「カラテ」というカタカナで表現しました。今日ではカタカナで「カラテ」といえば、「実戦空手」と誰もが考えます。空手界における難しいけど非常に大事な「押忍」の精神を、小さな子供たちが分かり易い「オス」と表現してくれたのも総裁でした。
私たちは道場において、「オス」の精神を大切にし、これからも後世に伝えていきたいと思います。
「空手修行における”押忍の精神”とは、感謝すること、我慢すること、やり抜くこと」