『ダ・ヴィンチ・コード』を読みました。感想と問題点。


*何せ一年に一度追記を繰り返しているのでかなり散漫な文章になっています。申し訳ありません。


最初の文章(2006.09.22

やっとダ・ヴィンチ・コードが読めました。図書館の予約が112人とか冗談じゃない数値でどうしようがと思ったらブックオフで文庫版が1冊350円で売ってたんです。関連本の予約は少なかったので、それらは借りて読みましたが。

感想

やっぱりベストセラーになるだけあります!おもしろい。息もつかせぬ怒涛の展開に何度も起きるどんでんがえし。真偽はさておき暗号を順次解いていくサスペンス。たったの24時間で世界が一変するような感覚。そして交錯する人々のさまざまな思い・・・。 久しぶりに心から楽しめた冒険小説でした。

個人的な好みはシラスとヴェルネです。シラスが好きな人は多いと思いますが、ヴェルネは超一流銀行のエリート支店長が野粗なトラックの運ちゃんに変装するシーンが最高でした。

ツッコミ所満載の珍説ばかりを唱える主人公や、それをあっさり受け入れるヒロインよりも脇役の方々の方がやっぱり好きですね。酷い珍説論者なのはティービングも一緒ですが彼は結構好き。

ダ・ヴィンチ・コードはスリリングなサスペンスである所が良いと思っているので、中に書いてある薀蓄ばかりが取り沙汰されるのが少々不満です。 やっぱり冒頭に「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述はすべて事実に基づいている。」なんて書いてあるせいでしょうか。

ダ・ヴィンチ・コードを読まれる方に一応言っておきますが、中に書いてある薀蓄の類はあんまり真に受けない方が身のためです。まあそうたいした事は書いてありませんが。それより息もつかせぬ展開とどんでん返しの数々と登場人物の思いの方が面白いです。

細かい事ですがミツバチの黄金比とかヴィーナスとオリンピックの関係間違いは私でも突っ込めますよ。話の本筋でいうならダ・ヴィンチの最後の晩餐のキリストの横にいるヨハネと言われていた人が実はマグラダのマリアだという箇所。

じゃあヨハネはどこにいるんだ。12使徒の中でも3本指に入る重要人物がいなくて女性がいるなんでいう「最後の晩餐」が書かれた当時よく受け入れられたものだな。あれは当初食堂に飾られていたんだぞ。

あとはバチカンを悪い意味で過大評価しすぎ。現代のバチカンはオブス・デイのおかげで不自然な悪の秘密結社になり過ぎてないが、歴史を語る場面では誇張し過ぎ。フィクションとして考えれば「教会が重要な秘密を隠している」という陰謀論プロットなので仕方ないかもしれないが。

尚、当然の事ながら関連本も多数出版されています。とんでもない内容のものも多いですが。何故か空海と結び付けている本もありましたね。あまりにも恐ろしすぎて未読なんですが、たぶん元々空海関係の活動をされている方なんでしょう。

批判本でも細かい部分の修正に終始していたり、筆者の宗教スタンスが簡単に解っちゃう様な文面だったりと妙なものが多いです。

特にビックリしたのがダ・ヴィンチ・コードの女神崇拝思想を批判するために「女神信仰などニューエイジ思想のものだ。歴史的には存在しない」とか意味合いのことを言っていた本。世の中には女神の直系子孫が象徴とはいえ国家元首をやっている国も有るんだぞ。

コレは多分「地中海には『失われた聖なる女性』としての原始的な女神信仰など無い」くらいの意味だよな?(これはこれで勿論間違いだが)訳者さんも注釈くらい付けておいてよ、自分の国のことなのに。

この本の作者にとって、女神の直系子孫が象徴とはいえ国家元首をやっていて待望の孫世代の後継者が誕生したので国を挙げての慶事となっている(2006年9月現在)我が国は何なのだろう。異端派?それとも存在自体が間違っている?

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筆者が知りうる限りで一番良い批判本は皆神龍太郎(と学会)著「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」(文芸社)です。

何が良いかと言ったらレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画に本当に暗号はあるのか、シオン修道会など存在するのかという肝心要の部分に対する研究本だからです。

率直に言って大半の日本人ならキリスト教関係の云々は他人事ですからね。キリストが結婚していて一体何かいけないのか解らない人も多いでしょう(ただそれに「失われた聖なる女性や教会の陰謀論やらキリストの子孫がフランス王族になって血筋は現在も続いていて、それを守るための秘密結社がある。それでかつての総長がレオナルド・ダ・ヴィンチであり絵画の中に暗号を残していた」とかになってくるとさすがに日本人でも無茶だと解るが)

しかし、この本に載っているシオン修道会伝説がいつの間にやら育っていく様は、キリストの血脈よりよほどミステリーだと思う。ダ・ヴィンチ・コードが好きな方にはオススメの一冊。

しかしさ。皆神さんも嘆いていたが、今の日本でこういったトンデモ説が大流行したら理論的な真っ当な批判本を出す人が殆どいないという状況ってどうよ。他はネットや自費出版で活動するしかなかったり、理論性に欠く物ばかりだったり。

10年前のノストラダムス騒動もそうだ。あの文面では「人類滅亡」という結論は飛躍しすぎだとかノストラダムスは西暦3000年代までの予言も書いてあるとかいった事は殆ど出さない。やたら危機感をあおるようなものばかり。

何でかって言ったら、殆どの日本人はどんなトンデモ説が大流行しても娯楽の一種として「消費」するだけで、本気にして社会に実害は及ぼす事はあまりないからだろうか。ダ・ヴィンチ・コードを本気にして熱狂的なキリスト教批判者になる人なんて滅多にいないから。(少しはいる)

これが良いことなのか悪いことなのかの判断は私には付きかねる。別に騙されてもよいのかな。面白いなら。

しかしこのテのトンデモ学説を簡単に信じてしまう人と、騙され難い人の違いはどこから生まれるのだろうか。

わりとしっかりした人でも信じてしまう場合は多いし、騙されない人でも「ケッ、こんなもん本気にするとはバカめ」みたいな横柄な人もいるから人格は関係なさそうだが・・・。

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最後に。ある西洋人がダ・ヴィンチ・コード特番でこう発言していました。「どちらが自然だと思いますか。キリストが神の子で生涯独身なのか。あるいは人の子で結婚し子供もいたのか」

日本人なら後者が自然と答えるでしょう。でも自然である事と事実であることの間には大きな溝があるんです。例えば別に人の子で生涯独身でも良いじゃんか。

少なくともイエスとマグダラのマリアが結婚していたという証拠は発見されていない。

(2006.09.22)


追記(2007.11.22)

この前皆神さんの本をもう一度読み返してみたら、

「あの一文が無かったら僕はこの本を書かなかったかもしれない。『小説は小説でしょ?』って反論されたらそれで終わりですから(手元に無いので正確な引用ではない)」

と書いてありました。

「あの一文」とは例の「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述はすべて事実に基づいている。」です。世の中皆がオカルトについて詳しいわけではないのですから、この一文が冒頭に書いてあったら信じる人は信じちゃいますよ。

皆神さんがこの本『皆神龍太郎(と学会)著「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」(文芸社)』を出版する事自体を「フィクションに文句をつけるなんで野暮な事はするな」「ダ・ヴィンチ・コードがウソだらけなのは西洋美術史の初歩知識があれば簡単に解る。この程度の事で本を出すなんてネタ切れかよ」と批判する人もいましたけどね。

前者は著者が事実と銘打っていて公の場で再三発言している本があれだけ大ベストセラーになったのですから誰かが批判するべき域に達していたと私は思いますね。
 後者は問題外。06年3月時点の日本語書籍で真っ当な批判を展開した便乗本がまず無かった状況をどう捉えているんだか。あとこういう事言う人はダ・ヴィンチ・コード本編のアマゾンレビューを全部読んでみて欲しいです。泣けるから。

ちなみにダン・ブラウン自身は奥さんが宗教画の専門家らしいので、きっと真面目に大ぼらを吹くエンターテイメント小説を書いたのでしょう(つまり解っててやっている)。

この文章を5年後に見た若い人には何故フィクション如きで私がここまでいうのか理解できないでしょうが、2006年の時点では『ダ・ヴィンチ・コード』は本当に今世紀初頭の一大ベストセラーで内容を真に受ける人やヨイショ本やヨイショ番組が山ほど出ていて影響力も洒落では済まない状況だったのです。ですから誰がかきちんというべき状況だったのです。フィクションはフィクションとして楽しみましょう、と。

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私自身はダ・ヴィンチ・コードは最後まで読みました。その上で皮肉ではなく素直な感想を書きます。ダン・ブラウンさんは凄い人ですね。

あれだけ面白いハリウッド的冒険小説が書けるなんて!しかもプロットの根拠が日本で言うところの徳川埋蔵金伝説レベルのヨタ話と手垢のつきまくったオカルトネタと誤植レベルの間違い(でも何十もある)と逐次指摘するのも面倒な量の事実誤認で一応教養小説と勘違いされる程度の長編エンターテイメントがかけるなんて!皮肉ではなく本気でそう思っています。凡百のオカルティストではこんなもん書けませんよ。

私自身、小説を読んでいる時は超一流大学教授設定の主人公が酷い珍説論者で知的な女性のはずのヒロインがそれにだんだん染まっていくくだりは「ぶっちゃけ勘弁してくれよ」と思って萎えかけるのですが、それを吹き飛ばすかのようにサスペンスが襲い掛かり魅力的な脇役が登場するので長編にも拘らず続きが気になって仕方ない構成になっていました。

やっぱりこの冒険小説は面白い!それもいわゆるハリウッド的な面白さともなれば大ベストセラーになるだけあります。本当にあの一文さえなければ・・・。

よくレビューでは「かなりのキリスト教・欧州の歴史・西欧美術史の知識が必要」と書いてありますが、そんなもん要りませんよ大した事書いてないし。むしろ本当に必要とされるのはオカルトとトンデモ方面を真に受けない精神?です。

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最後にダ・ヴィンチ・コードの関連本や関連TV番組についての感想ですが、まあ日本語のものでは皆神さんの本以外は良くてヨイショ本、あるいはそれに便乗してダン・ブラウンですら言っていないような更なるトンデモ説を流すものが多いですね。

ネットではダ・ヴィンチ・コードのせいでキリスト教批判者になる人を見た時は可哀想だと思いましたが、最初から可哀想な人もいました。詳細は書きませんがやたらブログの構成が見づらくて文章も解読するのが大変でした。

この中で時に厄介だったのはあるダ・ヴィンチ・コード関連TV番組でした。小説内に出てくる水瓶座の時代とか訳解らんフレーズ(ニューエイジ系らしい)や時系列おかしいだろうという事柄は極力排除し、マグラダのマリアにスポットを当てた番組でしたね。

マグラダのマリアをとにかく迫害され夫を殺され残された娘と慎ましやかに暮らし、やはり教会により貶められるもフランスのある地域では信仰されている悲劇の女性として描き、1つのドキュメンタリー風にしていました。
 今更バラエティ番組に誠実性を求めるほど私もうぶではありませんが、あれを本当にドキュメンタリーだと思って真に受けてマグラダのマリアに同情する人は多いだろうなと思いました。

この番組は小説内に出てくる「そりゃおかしいだろ」っていう要素は排除していましたが、パレスチナからフランスへオールの無い船で渡るとかキリストとマグラダのマリアの娘で当時まだ赤ん坊であるはずのサラが何故か黒人の侍女だとかいうのはそのまま持ち込んでいたのが面白かったです。前者はまだ伝説の脚色としても、後者は致命的だろうに。

それを言い出したら「『最後の晩餐』でキリストとマグダラのマリア(私にはヨハネにしか見えん)の構図にはMの字が秘められている」をクローズアップするのも二の句の継げなさは大概ですが、要でもあるので排除するわけにもいかなかったのでしょうね。
 これらをそのまま持ち込んだ所に手抜きと見るべきか、噴き出さないで真面目に番組を制作する姿勢にプロ根性を見るかは私には決めかねます。

もう一度書きます。フィクションはフィクションとして楽しみましょう。

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皆神さんの本を再読した感想ですが、やっぱり一つ一つの要素はあまりにもしょぼいシオン修道会伝説があれだけの現代の一大神話に育って行く様は、個人の手を離れた大きなうねりを感じさせました。ミステリー要素で言うなら小説内の珍説よりよほど怖ろしいですよ。事実は小説より奇なりとはよくいったものです。

こちらに関する感想はボキャブラリが貧困になりますが、私の場合は水を差されたとは全く思いませんでしたね。むしろかなり軽く見ていた(そして実際軽かった)シオン修道会伝説の真相と2006年の熱狂の対比を思うと、感じるのは恐怖心です。巻末の著者とフランスに詳しい女性との対談も一見の価値ありです。

帯にあった「日本人はキリスト教の知識が無いから正しく読んでいなかった」という指摘の文面自体はネット上のレビュアー達と一緒です。

しかし知識がないからこの本の奥深さが理解できないので何故キリスト教に関連の無い日本人にこんなに売れるのか解らないと主張するレビュアーに対し、対談ではむしろ知識(免疫とも言う)が無いからこそダ・ヴィンチ・コードにとって日本はいい市場だったという指摘をしていました。

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この追記を書く途中でアマゾンレビューを読みました。何割かはネタが混じっているんだと信じたいですが、冗談抜きでこれが教養書だと思い込む人ってやっぱりいるんですね。

あくまで一過性のものでブームが過ぎ去ったら忘れてくれる人が殆どだと思いますけど。何で私の方が現実を直視できないかと言うと陰謀論系のオカルトにハマった人の末路は悲惨だからです。世の中全てが敵に見えてひたすら他者を攻撃し続ける人生が幸福とは思いません。

この『皆神龍太郎(と学会)著「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」(文芸社)』はミーハーな人には特効薬でしょう。原作を読み関連番組を見てこれ以外の関連本を読み漁り、映画を鑑賞してネット上の妙なレビューを一通り読んだ後に読むのが一番のお薦めです。まさに『最終』、これで完結です。


人によってはここで完結しないで現代の神話にのめり込む人もいるでしょうが、大概の人には特効薬でしょう。しかし一過性のブームに乗ってハマってすぐ忘れるのと、これはオカルトだと気づいてこんなレビュー書くののどっちが幸せだろうなとは考えます。

もちろん一番の不幸はダ・ヴィンチ・コードがきっかけでオカルトのビリーバー(信じる人)になる事でしょうが。

そういえば西洋美術史に詳しい人のブログでは関連TV番組の事を怒ると言うかあきれ返っていましたが(そりゃレオナルド・ダ・ヴィンチが完全な異端者扱いじゃあなあ。原作者の奥さんは本当によく許したよ)、ヨハネとマグダラのマリアに関しては

「ヨハネはマグダラのマリアの男装だったのよ!それでキリストが死んだ後に福音書と黙示録を書いたのよ(←冗談です)」

と新たな説を発表していました。

ああ、この説良い!他にもオカルト系の所に行くと「レオナルド・ダ・ヴィンチはキリストの横にいる1人の人物にヨハネとマグダラのマリアの2人を描いた」ともっともらしく書いていました。

関連TV番組や関連本もこれくらい言ってくれても良かったかな。

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もう一度追記

上記で「あの一文」と書いたのですが、よく考えたらSFとかではノンフィクションの体裁をとって真面目に大ボラふく作品なんぞ珍しくありませんよね。

・・・何が悪かったんだろう。どうしてああなっちゃったんだろう。

(2007.11.22)

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性懲りも無くまた追記(2008.08.21)

くどいくらい追記。

私が別の場所で書いたダ・ヴィンチ・コード関連オカルトの超簡易説明をついでにここでも書く。

作者であるダン・ブラウン氏はおそらくエンターテイメントとして執筆したのだろうが、関連物がとんでもない事になっているダ・ヴィンチ・コード。

レビューなどでは「私はキリスト教の知識はありませんが・・・」とか「どうせ否定派だって2千年も前のロクに資料も無い時代の事を反論しているんだろ」と擁護する人もいる。

え〜とね。例えばの話、外国人が「私には日本史の知識はありませんが・・・」と前置きして倭奴国の歴史を室町美術の観点から見直した現代日本国論を展開したら貴方どうします?私は「本当に知識無いんスね」以外に答えられんよ。

ダ・ヴィンチ・コードにおいてこの古代・中世・現代という明らかに年代の違う3者を結びつけるのが、シオン修道会という秘密結社と聖杯伝説だ。

聖杯とは諸説あるが通常では最後の晩餐に使われゴルゴダの十字架でキリストの血を受けた杯の事を差し、これを手にしたら世界が手に入るという伝説がある。日本ではインディ・ジョーンズシリーズで有名かな。

ネタバレになるがこの小説においては聖杯とはキリストの血脈を表す。つまりキリストにはマグラダのマリア(イエスの女弟子の代表格)との間に実はサラという娘がいて、彼女の血脈がシオン修道会によって2千年間守られてきた。これが欧州2千年の歴史を覆す恐るべき秘密らしい。

しかもサラの血脈はメロウィング朝という古代フランス王朝に受け継がれたと言うのが小説の主張である。その上オカルト雑誌ムーによるとサラの血脈は現代のEUに匹敵する巨大帝国の皇族にも受け継がれたと言う(この号のムーでは古史古伝を肯定的に特集していたので歴史関係は話半分に聞いた方が良い)

ダン・ブラウン氏自身はそこまで主張していないが、オカルティストのいうところによるとサラの血脈(日本の皇室より長い)こそがカトリックや東方正教会などとは違う正当なキリスト教であり、EUに匹敵する巨大帝国を復興させるに相応しいという。

ここまでくればいくら日本人でもおかしいと気づくだろう。第一キリストが活躍したのは欧州ではなく中東だ。EUの中ではキリスト教化したのは4世紀〜14世紀なんて所が殆どのはずだ。それ以前にメロウィング朝の王と臣下はカトリックだ。「サラの子孫である正当なキリスト教の継承者」が果たしてカトリックになるか?

そして世の中には陰謀論という物が存在する。

『現代アメリカの陰謀論ー黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』 マイケル・バーカン/著 林和彦/訳 三交社 2004年

紹介文コピペ:

邪悪な秘密の権力の強大さに強迫的な関心を抱き、その真の正体追跡に邁進する陰謀論者たちの、眩暈を起こしそうな多種多様の言説を紹介。それを育む現代の宗教・政治・文化の危険な体質を鮮やかに照射する。

別に変な本ではなくて、著者も訳者もまともな大学教授である。ただ現代のアメリカに跋扈するサブカルチャー『陰謀論(conspiracy theory)』を紹介し、何故このような強迫観念としか思えないようなものが広がっているのかをある程度分析する本だ。

サブタイトルにもあるように陰謀を行うとされる対象は幅広い。広すぎる。

この中にほんのの数行イエスとマグダラのマリアが結婚していてサラという娘がいた説の陰謀論がある。今回の乗っ取り先はEUではなくイスラエルに(自称)キリスト教の子孫が建国するべきだという論調があるらしい。あきれ果てて物も言えない。

関連TV番組ではマグラダのマリアをとにかく迫害され夫を殺され残された娘と慎ましやかに暮らし、やはり教会により貶められるもフランスのある地域では信仰されている悲劇の女性として描き、1つのドキュメンタリー風にしていました。
 今更バラエティ番組に誠実性を求めるほど私もうぶではありませんが、あれを本当にドキュメンタリーだと思って真に受けてマグラダのマリアに同情する人は多いだろうなと思いました。

マグラダのマリアはイエスの女弟子の代表格で、聖女と娼婦の両側面を持っているから昔から絵画等には描かれまくってきたんですが・・・。

そういうのを喜びそうな女性層にはいきなりEUを乗っ取るだのイスラエルに(自称)キリスト教の子孫が建国するだのと言った所までぶっ飛ぶ人は殆ど無いだろう。

ダ・ヴィンチ・コードの作者であるダン・ブラウン氏はおそらくエンターテイメントとして執筆したのだろうから、この辺の陰謀論までぶっ飛んじゃう人は殆どいないだろう。

しかし影ではこういうのがあるというのも何かの参考にして欲しい。特にダ・ヴィンチ・コードを読んで「これはキリスト教の知識と教養が身に付く!教会の影ではこんな事があったんだ!」というタイプの人は要注意だ。

別に私だって教会が絶対とは思っちゃいないよ。でもこれはさすがに無い種類の批判だ。

それと実はダ・ヴィンチ・コード関連オカルトで私が一番腹が立ったのはある関連TV番組で聖女サラ(アメリカ初の聖女ではなくてマグダラのマリアの侍女の方)の像を聖女サラを崇めているグループが1年に一度お祭りをしている映像を流していた。

曰く、キリストの迫害され消え去られた聖女のお祭りとして。

でも聖女サラはロマの聖女なんだよ?ロマの人々を異端者扱いして紹介するのは、今更バラエティ番組に誠実性を求めるほど私もうぶではないけれど、これってどうなのよ?

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あるSF小説家がダ・ヴィンチ・コードの事を「僕は小説家ですから、『この人は嘘をつくのがうまいなあ』と思いましたね」とのコメントを残していた(手元に資料がないので正確な引用ではない)

これには同意だ。

もし外国人が「私には日本史の知識はありませんが・・・」と前置きして倭奴国の歴史を室町美術の観点から見直した現代日本国論を展開したら、私は「本当に知識無いんスね」以外に答えられんよ。

倭奴国まで行くとちょっと古過ぎるから邪馬台国にしよう。ちょっと日本史のミステリーをかじっている人ならば、邪馬台国論争とそれに伴う珍説奇説の数々はご存知だろう。

そこをある外国人が「日本の邪馬台国の謎はワタシが解いた!室町美術のキーワードはゼン(禅)だ。ゼンの美術の中に邪馬台国に関するコード(暗号)が隠されていたのだ!(しかもここから現代日本国論を展開する)」何ていう奴がいたらどう思う?

つまり、下手に宗教、しかもカトリックと結び付けているから話がややこしくなっているだけで、実際はこんな感じだ。大体まず『15,6世紀に生きたレオナルド・ダ・ヴィンチが何故か秘密結社の総長で紀元後1世紀の秘密を保持している』というプロットの時点で色々とアレだろ。
 アメリカ人はともかく欧州人は殆どこの手の説には慣れていて放っておいてると皆神さんの本の対談に書いてあったが、それが本当かどうかはともかく気持ちは凄く解る。

ダ・ヴィンチ・コードにおいてこの古代・中世・現代という明らかに年代の違う3者を結びつけるのが、シオン修道会という秘密結社と聖杯伝説だ。

この明らかに年代の違う3者を強引に秘密結社を作って(この辺は皆神さんの本を参照)結びつけるのか凄い。

そしてもう一つ。ヨーロッパにおいていわゆる女神信仰をしていた“異教(Pagan)”が、時代が下って同じ異教でも男性神の信仰に変わってしまうとか、あるいはキリスト教化されてしまうというのは確かに宗教学の世界ではあると言われている。

その消え去られたり格が下がったりした“異教(Pagan)”の女神信仰が、“失われた聖なる女性”だろう。

あくまで異教の話であるそれを無理にダ・ヴィンチ・コードではキリスト教のイエスの女弟子の代表格や聖女サラに置き換えてしまって、読者にわざと両者を混同させるように仕向けているなあとはつくづく思った。

うん、確かに嘘を付くのが上手いのは私も同感だし、これはあくまでフィクションだからSF小説家がそう評価するのも解る。SFには論文の体裁をとった作品だってあるんだから。私の個人的な話だが中学生の時に筒井康隆のビタミンの研究の歴史についての小説を読んでいたら、物語の中盤までこれがジョークだと気づかなかった思い出があるなあ。懐かしい。

ま、もう2008年だし殆どブームも過ぎ去っている。もう大丈夫かな?

この文章を読んだ友人から私のオカルトと陰謀論批判については心配の言葉を貰いました。嬉しいです。私は小学生の時からのオカルト好き(それもハマるんじゃなくて懐疑主義に近い)なので、あの手のトンデモが一般人に大流行した後すぐ忘れ去られる光景は何度も目にしています。というより好きでなければこんな長文レビューは書けませんよ。

さて、また何年かしたら一体どんなオカルトが大流行してすぐに忘れ去られるのか。それが今から楽しみなような、でもそれで人生変わっちゃう人も迷惑をこうむる人も少なからずいるだろうから心配なような。

今は2012年が近いし預言者が色々出てきているから、次はそれかな?

(2008.08.21)

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