フランス人作家によって書かれた原作小説。「猿の惑星」レビュー


*ネット上の都市伝説への疑問が過半数を占める。ネタバレの感想あり。

小説「猿の惑星」:ハリウッド製名作SF映画の原作であるが、作者はフランス人である。

  1. ヒトは万物の霊長ではない・・・。知性とは?人間性とは?ヒトと猿の立場が逆転した惑星を舞台に、文明社会への批判を込めた寓話的な問題作。
  2. ちなみにこの小説内に出てくる猿は有色人種(主に日本人)の事です。

「あの、明らかに前後の文章は矛盾していませんか?」と言いたいですが、ネット上の説明文を鵜呑みにするとこんな感じになります。

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私がこのコラムの前半で書きたい事は上記4行に要約されます。前半は本の内容そのものではなく、レビューのレビュー的な物を扱います。

最初に書いておきますが、私はSFはちょっとかじっている程度の人間です。しかも映画は苦手なのでアメリカで製作された「猿の惑星」全5作リメイク1作は全く見ていません。ピエール・ブール氏の来歴や他の作品も1968年発行の邦訳版猿の惑星に載っていた以上の情報は持っていません。

そのような訳で原作の猿の惑星についてグーグルで検索してみたのですが、なんだか大体のサイトで反日小説である事を前提に語られていませんか?もちろんそうでないサイトもいくつもありますし、ウィキペティアはさすがに出典を提示しない代わりに断定口調は避けていましたが。

いや、正確に言うなら出典は提示されていました。なんでもピエール・ブール氏の別作品をイギリスが映画化した物を日本の深夜番組では「(猿の惑星には原作者の人種差別観が反映されている)という説がある」と紹介されていたらしいとウィキペティアに書かれていました。ネット以上に胡散臭いですね。

ちなみにハリウッド映画の猿の惑星における猿達は、日本人(黄色人種)説以外に当時公民権運動を展開していたアメリカの黒人説もあるそうです。近所の図書館の本には徹頭徹尾「この映画には人種観が反映されている」というスタンスの解説本がありました。

まあ、この辺はもう言った者勝ちでしょう。私は映画は未見なので何もいえません。でも「そう、この映画はSFではありません。SFの形を借りた強烈な社会派ドラマなのです。」というような意見にSF蔑視の風潮を汲み取る事はできます。実際当時のSFは蔑視されていたらしいですからねえ。

映画はどうだが知りません。しかし原作は間違いなくSFでしょう。冒頭の相対性理論に基づく宇宙飛行が正確である事を初めとした数々の描写は間違いなくSFのそれです。

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再び冒頭の話に戻ります。

小説「猿の惑星」:

  1. ヒトは万物の霊長ではない・・・。知性とは?人間性とは?ヒトと猿の立場が逆転した惑星を舞台に、文明社会への批判を込めた寓話的な問題作。
  2. ちなみにこの小説内に出てくる猿は有色人種(主に日本人)の事です。

あの、明らかに前後の文章は矛盾していませんか?

ヒトと猿の立場が逆転した惑星を舞台に、知性とは?人間性とは?を問いかける問題作なんですよ?“人間”(ヨーロッパ系白人)と“猿”(有色人種)の立場が逆転した所で、知性や文明社会は大して変化しないでしょう。結局惑星を支配するのは人間ですもの。

そしてこの話に登場する“人間”は言葉と精神および物質文明を持たず、原始人レベルですらなく本当に猿同然の生活をしています。 金色に近い肌の色をした美男美女ぞろいですが、服を着るという概念が無く全裸で更には笑う事すらしません。

たとえ今後何か色々起こってアジアの経済発展が成功してEUが何か失敗して落ち目になったとして、それでヨーロッパ人が猿レベルに戻りますか?地球上の万物の霊長の文明社会になんらかのパラダイム・シフトが起こりえますか?

この話における猿は本物の猿(ゴリラ・オラウータン・チンパンジー)と捉えないと、“文明社会への批判”というプロットが成り立たないと思うのですが、どうでしょうか。

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まあもしくは原作者がものっそいハンパ無い有色人種蔑視観の持ち主だったとかですかね。でもなあ。作中でユリス(主人公のフランス人ジャーナリスト)が惑星ソロールの“人間”に嫌気が差してむしろ“猿”の方に好感を持つ場面とかがあるんですよ。

ユリスが“人間”と“猿”をどう捉えているか、ヒトと猿の立場が逆転した惑星においてユリスがどんな行動を取ったのかを思い返してみてください。単純な人種蔑視観では彼の行動は説明できませんよ。

またはあるレビューサイトでは「物語の前半でユリスが檻に入れられる場面がたっぷりと書かれているが、それは彼の捕虜収容所時代の屈辱的な経験が反映されたものである」と書いてありました。

あの、旧日本軍はヨーロッパ系の捕虜に天井からぶら下がったバナナを取らせる人体実験をさせたのですか?いわゆるパブロフの犬の実験をさせたのですか?第二次大戦中の話なのに捕虜の半分が女性で小さな女の子すらいたのですか?あれはもう収容所というより動物園か動物実験場でしたが、そんな感じだったのですか?

当時の収容所の監視員の日本兵のそれなりの地位に女性がいたのですか?極めつけは捕虜収容所の外には有色人種(主に日本人)が洗練されたヨーロッパ系の町並みの中で平和な社会を築いていたのですか?大戦中のインドシナで?

少しでもSF心のある人間が「この話は本当にフランス人による有色人種蔑視観に基づく話なのか?」と疑問を持ちながら読んだら明らかにおかしいと気づくはずです。仮にもしそうだったなら相当ひねくれた解釈を加えねばなりませんよ。

相当ひねくれた解釈の例:以下15行。自分で書いていて寒気がするほど失礼な文章を綴っています。

作者のフランス人は、西欧人にありがちなレイシストでインドシナの人達を差別していたんです。なのに自分が同じく猿レベルにしか思っていないはずのアジア人である日本兵の捕虜になってしまったのよ。作者はこの屈辱は生涯忘れなかったに違いないわ!

出典?証拠?皆そう言っているしネットにも沢山載っているわよ。だから本当に決まっているわ。それにお高くとまったフランス人が猿だと思っている日本兵の下に付かされたのよ。それだけで状況証拠は充分よ。あたし達にとってはむかつく話よね。

あの小説は日本兵の捕虜になった時の屈辱的な経験がたっぷり生かされた書き方をしているわ。ただ猿どもの下に付いたからムカつく、ではなくて相対性理論に基づいた宇宙飛行をしたり地球とは別の惑星の話にしているけれども人種差別のにおいは消せないわよ。

更に作者は作品に手を加えて、日本兵達をヨーロッパの町並みに住む学者や一般人に置き換えたり、捕虜収容所を普通の動物園や動物実験施設に置き換えたりしているけれどね。

その上猿達の方こそヨーロッパの服装や町並みにふさわしいとか書いたり、知能の低い生活をする白人の人間達を主人公のフランス人が凄く嫌ったりする場面もあるけどね。

・・・う〜ん、もしかしたら作者はアジア人だけではなくてヨーロッパ人も嫌いなのかなあ。

リアルでこんな事言い出す人に出会ったら距離置くわ。

惑星ソロールは、地球で言うところのヨーロッパの猿達とヨーロッパの人間達の立場をそっくりそのまま入れ替えた世界なんですよ。戦争もアジアも一切関係ないんです。そう解釈するのが一番単純でスッキリすると思いますよ。

というより、あの小説の一体何処から戦争やアジアが出てきたんですか。普通に原作を読み取っただけでは単にヨーロッパに擬した世界を舞台にしたSF小説にしか見えないんですが。いや〜都市伝説って怖いですよね。

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ここで邦訳版猿の惑星に記述している作者来歴を引用します。

引用元:ピエール・ブール著 小倉多加志訳『ハヤカワ・ノベルズ 猿の惑星』早川書房 1968年

ピエール・ブールは1912年にフランスのアヴィニヨンに生れた。初めはエンジニアとして立とうとしていたが、1936年ゴム栽培者としてマラヤに渡った。1939年第二次世界大戦が勃発すると、インドシナのフランス軍に召集された。フランスの降伏とともにすぐマラヤに戻り、シンガポールの自由フランス派遣軍に身を投じた。1943年ヴィシー政権下のフランス軍に捕らえられたが、翌1944年、脱走に成功した。戦後はふたたびマラヤに戻り、現在はパリに住んでいる。

ここまではウィキペディアと一緒、というよりこれを参考にしたんだろう。この本の解説を読んだんだが、ピエール・ブール氏がフランス軍人だったのは祖国の降伏までだ。祖国降伏後のこの人はレジスタンスか武装ゲリラとして抵抗運動を行ったんだな。だからヴィシー政権下のフランス軍に捕らえられて収容所生活を送ったらしい。

東南アジア生活が長くアフリカにも赴いていたので、アジア・アフリカには関心が高く、東洋人にも人間的な理解の深さがあるそうだ。

ネットに書いてある事と全然違うぞ。収容所生活を送ったのはヴィシー政権下のフランス軍ではないか。

あ〜と、ブール氏の別の作品である『戦場にかける橋』は日本兵とヨーロッパ系の捕虜の物語らしいので、多分『戦場にかける橋』の解説を読んだらブール氏が日本兵の捕虜にもなった話が書いてあるんじゃないかな?そこまで調べる気はない。

軍人時代かレジスタンス時代かは知らないが、ヴィシー政権下のフランス軍だけでなく日本兵の捕虜になった経験もきっと有るんだろう。邦訳版猿の惑星には書かれていないだけで。いくらなんでもそこから事実誤認だったらさすがに困る。

疑問なのですが、ヨーロッパ人がアジア人やアフリカ人を悪く言うのが差別になるのは解ります。しかし日本人がヨーロッパ系の人に向かって「それは差別だ!お前たちは俺達を差別した!」と騒ぎ立てるのは何らかの問題にならないのでしょうか。白人にも民族によっては色々いますし、日本の方が経済状態良いのに。

まああれですね。逆差別ってやつですね。いや〜都市伝説って本当に怖いですよね。

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上記は前振りで、ここからが本題です。さて、私は「『猿の惑星』はヨーロッパに擬した世界を舞台にしたSF小説である。惑星ソロールはヨーロッパの猿達とヨーロッパの人間達の立場をそっくりそのまま入れ替えた世界である」という立場です。

ヨーロッパに野生の猿は棲息していないというのは知っています。しかし別に惑星ソロールは地球ではないのですから。

注:もう遅いですが、このレビューはネタバレしています。但し、猿の惑星はSFとしては既に古典の領域で映画版のラストはあまりにも有名です。

むしろ「原作には自由の女神は出てこない」と言った方が大きなネタバレになるんじゃないかと思います。

さて、この小説の邦訳版が出版されたのは1968年です。既に簡単に入手できる年代のものではありませんが、ネットで近所の図書館の蔵書検索をしたら書庫に入っていました。

コンピュータによる検索技術のおかげで一般人でも簡単に書庫の本が参照できる世の中になりました。ここ10年で書庫の書物が日の目を見る機会は随分増えたんじゃないですかね。

小説版猿の惑星はもうかなりボロボロで、取り出してもらったとき「破損してもこちらで修復しますから」とすら言われました。

同じ古い本でも約50年前に出版された『日本古典文學大系60椿説弓張月』は経年劣化を除けば綺麗なものでしたし、約10年前の『ゾロアスター教論考』は新刊同然でしたが、それだけ小説版猿の惑星は人気が有ったと言う事でしょう。

出版社は翻訳SFや翻訳ミステリの大手ハヤカワノベルズでしたが、大判の新書のような変わったサイズで価格は330円でした。

中編小説とは聞いていたので、最初は軽い気持ちで取り出してもらい、借りる気も無くカウンター前のソファーで読んでいたら2時間経っていました。これだけ面白いと言える本に出会ったのは何ヶ月ぶりでしょう。

私はミステリ小説は殆ど読んだ事がありません。理由は古典的傑作は既にトリックやラストが知れ渡っているので今更読む気になれないんです。それと同じようなもので猿の惑星も映画版のラストが有名ってレベルではないので既に知った気でいたのです。

しかし私と同じような立場でSF好きの人だったら是非小説版猿の惑星を読んでみてください。オススメです。上の方で散々書きましたが、普通に読んだら反日小説だとか黄禍論なんて発想出てきませんから!

さて肝心の中身ですが、映画版でよく突っ込みが入る事柄に「猿達が英語を話している時点でラストに気づくべきだ」というこれはこれで無茶なものがあります。

しかし原作ではきちんと惑星ソロールは惑星ソロールの言葉を話しています。主人公のユリス(仏人ジャーナリスト)は最初は言葉が通じなくて己の知性を伝える事ができないのです。これで言葉が通じたら大分話は変わるでしょうし、3百光年先の星でフランス語が通じたら私が腹が立ちます。

もう1つ映画版でよく突っ込みが入る事柄を挙げるとしたら「宇宙から惑星に着陸するときに気づかんか?」という事ですが、これはもう惑星ソロールは地球とは全然違った存在であるとは冒頭で明記されています。
 この小説は知性や人間性とは何かを問いかける寓話的な作品ですが、同時に(名作にこんな言い草もなんですが)かなりしっかりしたSFでもありますよ。原書が63年出版なら充分でしょう。

さて、私はこの本を幼い頃に読んだガリバー旅行記やロビンソン・クルーソー的な冒険譚と捉えています。あれも大概風刺的でしたが(児童向け本でも高学年向けになると結構原作沿いの内容になる事が多い)それでも読んでいる少年少女の心をわくわくさせる力を持っていました。

猿の惑星も、前半の主人公の苦難とジラやコーネリアスといったチンパンジーの協力者を得るまで。そして猿の世界で自分の知性を知らしめるまで。ジラらに知性や人間性を見出すけれどもやはり同化は出来ない心境や、惑星ソロールの人間には嫌気が差しているはずなのに、それでもノヴァを諦めきれない心の動き。そして最後は家族を得て脱出するまでをユリスに感情移入して応援しっぱなしでした。

小説版猿の惑星は、寓話・風刺ですが、それ以外にも60年代にしてはかなりしっかりしたSFとも読めますし、ハラハラドキドキの冒険譚とも読める名作です。オススメです!

最後に。主人公ユリス・メイラはフランス語が通じない惑星でジラにどうやって己の知性を伝えたのでしょうか?

答えは、ピタゴラスの定理や放物線といった幾何学の図形を描いたのです。


あとがき━━作者来歴の引用と解説は私は嘘は書いていません。私は猿の惑星の原作はアメリカ人によるものではないって事自体をつい先月知ったばかりです。

ですから原作者氏がどのような人種観を持っていたかなんて知りません。ただ言えるのは、68年に出版された邦訳の解説では現在のネットとは全然違う事が書いてあるということ、あと私見ですがこの話における猿は本物の猿(ゴリラ・オラウータン・チンパンジー)と捉えないと、“文明社会への批判”というプロットが成り立たないでしょうということだけです。

また原作者氏レイシスト説はネットを見回った限り出典不明or限りなく胡散臭いので都市伝説扱いしました。素人考えですが、19世紀ならまだしも60年代後半にもなったら公の場でレイシズム発言なんて多分出来ないでしょう。いや、よく知りませんが。少なくとインタビューなど公の場で「猿の惑星には人種観が云々」なんて発言したら確実に記録に残るでしょう。

でも、そんな記録は見た事ありません。原作者氏の手記でも残されていれば別ですが、そこまで行ったら後世の文学研究者にゆだねるべき事柄でしょう。

(2007.06.23)

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