平成18年7月30日に、菅沼・坂下地区ふれあい委員会による『菅坂ふれあいウオーキング』で、菅沼・坂下地区の史跡めぐりが行われました。このコースの中には、甘露寺ゆかりのものが多くあり、ここにその内容を紹介いたします。
甘露寺に参詣の折や、墓参の折、又近くを通りかかった時など、折々にそのひとつひとつに立ち寄り、関心を持って見て頂くと、また新しい感動にめぐり合えるかと思います。
【実施日】 平成18年7月30日(日) 【コース】 日吉神社→→坂下地区経由→→ 平和観音(折返し) 旧道を下り甘露寺経由→→ 日吉神社(ゴール) (行程案内図参照) |
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日吉神社裏側の石仏群(右から) (1)奉順拝百番供養塔 (金毘羅山大権現) (湯殿三山大権現) (2)馬頭観世音 (明治2年7月3日) (3)馬頭観世音 唯念 (文政9年5月17日) (4)船型光背の観音立像 |
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名号碑 ニ体(右から) (1)南無妙法蓮華経 (関東大震災横死者供養碑) (2)南無阿弥陀仏(唯念名号碑) 大正8年4月建立 (関東大震災で半折) |
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道祖神 三体(右から) (1)半壊 双神道祖神 (2)双神道祖神(地蔵、猿田彦) (3)道祖神(異体字)弘化元年 |
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宝篋印塔(塔の元) 嘉慶銘 宝篋印塔(小山町指定文化財) 正巌徳勝和尚の建立 |
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七曲入口の石仏 三体(右から) (1)船型光背の観音立像 (寛政8年9月) (2)百番観世音菩薩供養 (文化9年仲秋) (3)道祖神 (昭和6年8月) |
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七曲の石仏 船型光背の観音立像 (寛政6年11月) |
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七曲平和観音 成観音 日清戦争、日露戦争、日中戦争、 太平洋戦争− 菅沼、坂下、茅沼の戦死者80人の 戦死者供養(昭和44年11月建立) |
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甘露寺歴代住職墓地 他 甘露寺初代正巌徳勝和尚 甘露寺19代深谷博道和尚 までの歴代住職墓地 |
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甘露寺境内の宝篋印塔 応永7年正巌徳勝和尚建立 小山町指定文化財第1号 |
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十王堂入口 十王堂入口標柱(故高橋一の揮毫) (1)新屋十王堂(正面) (2)御厨地蔵横道四番札所(左) (3)博道草庵(右) |
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新屋十王堂 新屋十王堂 博道草庵 石仏十体と掛軸十種 |
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十王堂の石仏群(右から) (1)青面金剛像(庚申) (2)船型光背の青面金剛像(庚申) (3)弥勒菩薩像(半迦思惟像) (4)石灯籠一対(正徳5年) |
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日吉神社 (1)山王大権現(中央−日吉神社) (2)神明宮(右、天照大神) (3)浅間宮(左、木花咲耶姫命) 日吉神社(山王神社、日枝神社) 祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ) 本社 滋賀県大津市坂本所在 |
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明治三十七八年戦没者記念碑 日露戦争の記念碑 陸軍大将・伯爵 明治40年菅沼村建立 戦死者2人 従軍者27人の名前 |
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湯山逸素句碑 湯山逸素(三井園「細道」 本名、茂) 山の日の樟子にさすや |
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三井園四世、五世の句碑 右 三井園四世禾年 (奈良橋 野木要左衛門) 月花に晒して涼し旅ころも 左 三井園五世禾邦 (菅沼 岩田力蔵(力三郎)) 長き日の暮るゝも知らで暮れにけり 関東大震災で半折、神社境内に移転 |