本堂左手にある『戒心之滝』
本堂左手にある『戒心之滝』

 平成9年の10月末と、10年11月初めに、静岡梅花観音霊場巡拝に、御詠歌の梅花講々員さんとお参りに行って来ました。その折種々感じることがありました。その一つが、寺の持つ雰囲気の重要性に関する事です。特に環境で、清浄な場所、普段と異なる聖域、心身に安らぎを与える世界に出合い、思わず「いい寺だなーあ」と言う気持ちになれる雰囲気の必要性です。

 良いと感じるその事は、日本の場合たぶん、自然そのものの「山・川・草・木」に囲まれ、歴史のある伽藍がそれと溶け込んでいることだろうと思います。自然には、人為的なもの、人造的なものと異なるものがあります。

 その点、甘露寺は、かなり自然の好条件を満たしている様に思っています。山を背に、高台にある好立地条件は、皆さんの御指摘のとうりです。又山門を入ると、境内には草木が生い茂り、新築の木造の本堂とも違和感がなく、歳月とともに更に落ち着くものと思います。もしあえて欲を出して言うならば、境内の奥行きがもう少しあれば、申し分がないことでしょう。しかし、それを補って余り有るほど境内地の横幅は広く、周囲の影響は少なく、山や木に包まれた理想の環境状態だと思います。

 更に特記すべき事は、甘露寺が川や水に恵まれていることで、この事はあまり他に類のない寺の特徴です。先住の嶋崎興道さんの代に滝を造られ、近隣ではあまり見ることの出来ない水の財産を残されました。これに更に、豊富な湧き水という貴重な水の恩恵を得ることが出来た事です。本堂建設の地鎮式が終わり、建前直前の平成6年の秋、本堂裏山の西山用水の護岸工事が公費で行われました。その護岸工事により、本堂南側後の方にあった、今までの寺の湧き水の水源が、断たれてしまいました。

 昔は、これを寺の自家水道として使用していた様です。私が甘露寺に入った時には、坂下区水道を使用しており、旧湧き水は本堂裏の東司(とうす)(トイレ)にも使用出来る設備にしてあるだけでした。この為、ほとんど利用せず、勿体ないので、旧本堂の前庭の(つくばい)に、湧き水をふんだんに使用しました。更に西山用水の水が流れない時がある為、湧き水を池にも引きましたが、貯水槽が小さい等で、充分な水を補給出来ませんでした。

境内にある池 爽やかな水音が絶えない蹲
境内にある池 爽やかな水音が絶えない蹲

 旧湧き水の水源は、用水工事により絶たれましたが、それより少し下流の所に新に湧水のとり入れ口を作り、歴住さんの墓地のそばに大きな貯水槽を作りました。おかげで、西山用水の断水にかかわりなく、本堂前の池や蹲、又中庭の蹲にもふんだんに利用出来ます。又町水道に変更したところ、水圧不足の為、本堂裏の東司に水がとどかないことがあり、今ではこの新湧水を東司に利用しているほどです。更に、夏には畑の散水に湧水を利用しても、尚余るほどの水量です。

 山や草木に恵まれた寺はありますが、更に甘露寺は「水」にも恵まれた寺です。滝の風情、蹲の水音、清く澄んだ池の水は、寺の環境に大変な恩恵となっています。甘露寺の境内は、山号や寺紋の「菊水」により水に恵まれ、更に山や木に囲まれた自然の環境の中にあります。甘露寺に毎朝お参りに来られる方もあります。又散歩に来られる人々もおります。又法事には、大勢の方々が参詣されていきます。甘露寺には、山川草木の自然と、新に完成した風格ある本堂とが溶け込んだ、すばらしい境内があります。甘露寺は参詣の方々が、宗教的な雰囲気に浸り、自然に手が合わさったり、或いは「いい寺だなーあ」と感じていただける聖域であると、梅花観音霊場巡拝にて改めて認識しました。

(平成の甘露寺本堂建設記録−本堂建設事業の主経緯とその内容に関する報告
平成10年2月発行 末光愛正記より)