甘露寺に関係のある方の中には、絵を描かれる方が何人かいます。そして甘露寺には、これらの方々から寄進された絵があり、中には甘露寺にとって貴重な資料となるものもあります。
 これらの絵画は、お寺に参詣に来られた折など、目に触れることがありますので、皆様に関心を持ってご覧いただきたいと思っています。


『甲斐の桃源郷』
『甲斐の桃源郷』(写真1)

 岩田克人さんが、自ら描かれた油絵を、寄進して下さいました(写真1)。これは『甲斐の桃源郷』と言う題で、御坂町あたりから一面に咲く桃の花の風景を描いたものだそうです。
 克人さんには、平成15年5月24日に行われた『大幟まつり』の記念誌(平成17年1月20日発行)の表紙を飾る絵(写真2)も描いていただいております。
 又、吉久保のあたりから愛鷹山を描いた風景画(写真3)も寄進されています。

記念誌の表紙絵 愛鷹山を望む風景画
記念誌の表紙(写真2) 愛鷹山を望む風景画(写真3)

『猫と花』
『猫と花』(写真4)

 大箕正之先生には、『猫と花』(写真4)や、大幟を描く当時の様子を描いたもの(写真5)を寄進していただいています。
 又毎年お正月には、干支の絵の色紙をいただいており(写真6)、書院の床の間に飾り、参詣に来られる皆さんに喜ばれています。
 尚、先生は『サンコウチョウと富士山』の切手(写真7)も描かれている他、新芝にある和泉山円通寺の本堂には、先生の描かれた天井画があり、小山町の広報誌には折々の風物を描き(花ごよみ)掲載されたり、町の日本画グループの指導に当られたり、各方面でご活躍されています。

大幟を描く様子 干支の絵の色紙
大幟を描く様子(写真5) 昭和61年の「寅」より平成18年の「戌」までの
干支の絵の色紙(写真6)
『サンコウチョウと富士山』の切手
『サンコウチョウと富士山』の切手
(写真7)
広報「おやま」に掲載された
絵と文(平成18年6月号)

甘露寺三態

小宮山先生が描いた甘露寺

 御殿場市深澤の小宮山正一先生が、戦前に描かれた甘露寺(写真左)は、山門が銀杏の木の階段の所にあったことが判る貴重な絵です。谷戸の油屋の、故湯山幸栄さんが寄進して下さったものだそうで、先生は油屋に下宿していたと聞きました。
 又、小宮山先生は戦死されていますが、後に画集が出されていて、作風が良く似ていたことを記憶しています。

 小宮山先生によって描かれている山門は、昭和9年頃「角取り颪」と呼ばれる強風の被害を受けて、倒壊してしまったとのことで、この絵はそれ以前の昭和の初めに描かれたものと思われます。現在の山門は、昭和50年(1975)に再建されたものです。
 又、本堂は大正12年の関東大震災によって倒壊し、大正14年に再建されていますので、屋根がコールタール塗装されていない様子などから、再建後間もない頃の甘露寺本堂の姿となります。


旧本堂

 矢後仁先生が、旧本堂の絵(写真左)を描かれています。前川真琴さんの依頼により、写真をもとにこの絵を描いたものだそうで、実によく旧本堂そのままを描いたものと感心しています。
 ここに描かれた本堂も、改築のため平成6年5月に解体されましたので、旧本堂の姿を偲ぶことの出来る貴重な絵となっています。


平成8年に完成した新本堂
平成8年に完成した新本堂

 御殿場市の湯山忠臣さんが、改築された新本堂を描いた絵を寄進して下さいました。
 この絵は平成9年に描かれていますので、新本堂完成(平成8年4月8日落慶式が行われた)後間もない頃のものです。
 向拝を備えた格式ある新本堂の姿が、良く描かれています。

平成壱18年5月  末光 愛正記、早川 一男補稿