甘露寺の総祠堂に掲げられている額絵は、高祖道元禅師と、太祖瑩山禅師の一生を、夫々12葉で表した絵傳です。当初は、本堂の東西外陣にありましたが、平成の本堂改築に当って総祠堂に移されました。

甘露寺総指祠堂の道元禅師絵傳
甘露寺総指祠堂の道元禅師絵傳

 道元禅師は、永平寺の開祖であり、曹洞宗を開きました。禅師は、別に希玄とも道玄とも言われ、後に佛法禅師、或は佛性伝灯国師、承陽大師等の賜号で呼称されていますが、曹洞宗門内では高祖とも尊称されています。
 又、永平寺はその前身を傘松峰大佛寺といい、後に禅師ご自身によって山号を吉祥山、寺号を永平寺と改称されたものです。

甘露寺総祠堂の瑩山禅師絵傳
甘露寺総祠堂の瑩山禅師絵傳

 瑩山禅師は、道元禅師没後16年を経てこの世に生まれ、曾孫の弟子に当り、大本山總持寺の開祖として知られています。曹洞宗門内では太祖と尊称されています。
 大本山總持寺は、石川県にあった諸嶽寺を、元亨元年(1321)瑩山禅師が、諸嶽山總持寺と改められたのに始まります。明治31年4月13日の夜半に火災に遭い、伽藍の大半を焼失。その後、明治39年7月に現在地(横浜市)への移転が決まり、明治44年11月5日に、移転遷祖の式が行われています。

 曹洞宗では、永平寺と総持寺ともに大本山とし、道元禅師・瑩山禅師両祖の教えを車の両輪のようにして仏道を深め広げ、曹洞宗を育てた父(道元禅師)母(瑩山禅師)とも呼ばれています。

永平寺の山門 総持寺の客殿
吉祥山永平寺(山門) 総持寺(客殿)

高祖道元禅師の絵傳概要
道元禅師真影
 及び、永平寺紹介
第一図 (右)道元禅師御絵像
(左)永平寺全景(江戸期以前の永平寺全景)
 
誕生 第二図 禅師御誕生
 相人視テ、人天ノ師タランコトヲ占相予言ス
正治2年
(1200)
発心
 −悲母の死ー
第三図 悲母ノ喪ニ遇テ
 香烟ヲ観テ無常ノ理ヲ覚ル
禅師8歳
出家求道 第四図 (右)夜半ヒソカニ木幡ノ山荘ヲ忍ビ出デ、叡山ニ至ル
(左)天台座主公円ニ就テ得度、出家ス
13歳
14歳
疑団を諸方に質す
 −建仁寺参学−
第五図 (右)比叡山ニ在テ修学、法文ノ大疑ヲ諸学僧に質ス
(左)洛東建仁寺ニ参ズ
 
18歳
入宋求法(一)
 −老典座との邂逅−
第六図 入宋シ、明州ノ舶裏ニ在テ
 阿育王山ノ典座ト相見・問答ス
24歳
京を発ち
明に渡る

28歳
帰朝肥後
に上陸
入宋求法(二)
 −用典座の示誡−
第七図 天童山ニ在テ、苔ヲ晒ス用典座ノ教誡ヲ蒙リ、
 典座職ノ機要ナルヲ覚ル
入宋求法(三)
 −正師天童如浄禅師との邂逅−
第八図 (右)天童山ニ、正師天童如浄禅師ト邂逅ス
(左)如浄禅師、厳シク衆僧ヲ接得ス
   一日、参禅ノ要ハ身心脱落ニアリト云ウ教誡ヲ得テ参学ノ大事ヲ了畢ス
興聖寺開堂
 −正法の宣揚−
第九図 帰朝シ深草ノ地ニ興聖寺ヲ建立
 ワガ国初ノ僧堂ヲ開単シ上堂演法ス
34歳
北越入山 第十図 (右)京洛ヨリ越前志比ノ在ニ入ル
(左)大仏寺ヲ建立シ、ノチ永平寺ト改ム
44歳
45歳
一個半個の接得 第十一図 (右)只管打座ノ修業
(左)『正法眼蔵』ノ撰述示衆
宝治2年
(1248)後
入滅 第十二図 京洛覚念邸ニ療養
 建長五年八月、遺喝ヲ記シ、入寂セラル
54歳
(松田仁峯 画  河村孝道 監修  昭和52年1月20日 株式会社ピタカ 発行)

太祖瑩山禅師の絵傳概要
誕生 第一図 (右)悲母懐観大姉、多祢観音ニ祈願ス
(左)一夜、日輪ヲ呑ムヲ夢ミテ懐胎ス
文永5年
(1268)
発心求道 第二図 (右)遊戯スルニ合掌礼拝ス
(左)八歳ニシテ永平寺ニ登リ出家ス

8歳
参師聞法 第三図 (右)弉祖ニツキ得度、末後ノ小師トナル
(左)介祖ノ膝下デ日夜弁道ス
13歳
 
諸方行脚 第四図 宝慶寺寂円、京洛ノ禅匠ノ門ヲ叩ク 18歳
大悟徹底 第五図 介祖ノ平常心是道ノ話ヲ聞キ豁然大悟ス 22歳
道俗接化 第六図 (右)明峰・峨山等ノ英傑雲集、峨山ニ月有両個ノ話ヲ挙ス
(左)在俗ノ信者、戒法ヲ請ウテ集ル
28歳 阿波海部の
    城万寺住職
35歳 加賀(石川県)
    大乗寺の住持
伝光録開演 第七図 仏法嫡伝ノ勝躅ヲ説示ス 正安元年(1299)〜
 53回の説示
永光寺開闢 第八図 洞谷山永光寺ヲ開キ、奥頭ニ五老峰ヲ建立ス
(上)五老ノ真影
(下)五老峰伝灯院
五老とは、
如浄・道元・懐弉・義介・
自身(瑩山)五禅師の総称
総持寺開闢 第九図 観音菩薩ノ夢告ヲウケ、総持寺ヲ開ク
(左上)夢告ヲ授ケル観音菩薩
(右下)夢告ヲ受ケル瑩山禅師
(中央)能登総持寺全図
元亨元年(1321)
永光寺で暁天の坐禅中
禅師は瑞夢を体験。
勅問奏対 第十図 後醍醐天皇、十種ノ勅問ヲ垂レ、奏答、叡慮ニカナイ、
総持寺ヲシテ賜紫出世ノ道場ニ定ム
(左上)後醍醐天皇真影
 
入滅 第十一図 門弟ヲ集メ、説法シ、遺偈ヲ記シテ入滅ス 正中2年(1315)
 8月15日
真影及び
総持寺紹介
第十二図 (左)瑩峨両尊真影
(上)総持寺移東後ノ全図
(下)五哲真影
明治31年4月13日
 能登の総持寺焼失
明治44年11月5日
 現在地に移転遷祖
(松田仁峯 画  松田文雄 監修  昭和52年8月25日 株式会社ピタカ 発行)

甘露寺本堂の高祖道元禅師(右)と太祖瑩山禅師(左)像
甘露寺本堂の高祖道元禅師(右)と太祖瑩山禅師(左)像
中央は本尊甘露王如来像