宝篋印塔(小山町指定文化財) この宝篋印塔は、甘露禅寺の住持であった徳勝和尚が、三界衆生の現世安穏、後生善處のために、応永7年(1400)10月に造立した供養塔で、昭和48年10月25日 小山町指定文化財(第1号)となっています。
 宝篋印塔とは、宝篋印陀羅尼経というお経を納めるために作られた塔であることからこの名がつきましたが、その形は下から基礎、塔身、笠、相輪の四つの部分によって構成されています。
 元は、菅沼ツウジバナにあったものを現在地に移したといわれています。

宝篋印塔の寸法図 長い年月の間に、何ケ所か欠けたり壊れたりした所がありますが、基礎の銘文や塔身の梵字は比較的はっきりとしており、判読も可能な状態であり、この塔を造立した目的が、三界衆生の現世安穏と、後生善處のための供養塔であることが銘文から読み取れるとされています。
 なお、この塔は関東形式宝篋印塔に分類でき、応永7年造立とは、室町時代初期の建造で、現在その紀年銘、造立者名、建立の目的などが確認できるものとして、大変貴重な文化財であるとされています。

(小山町教育委員会発行の『小山町指定文化財 第一号』の栞より)