正巌徳勝和尚(俗名楠木正勝)によって、嘉慶元年(1387)菅沼のツウジハナの地に建立された甘露寺は、元和三年(1617)現在地に再興され、元禄2年(1689)には立派な本堂が再建されましたが、この本堂は大正12年9月の関東大震災により倒壊し、2年後の大正14年(1925)6月には、十八世深谷道契老師によって再建されました。
以来70余年、戦前戦後の補修もままならない厳しい時代にも耐えてきた本堂も、老朽化が進む一方で、東海地震等が取り沙汰されるに及んで、耐震性にも疑念がもたれるようにもなり、改修が行われることになりました。
しかしながら、震災直後の混乱期であり、充分な材料の手当ても出来ない中での再建で、単なる補修では済まないことが明らかになり、新に基礎からの大改築をすることになりました。
そして、現住職を中心に、檀信徒一丸となっての大事業となり、着工以来約2年を費やして、名刹甘露寺にふさわしい、品位と風格をもった立派な本堂が完成し、平成8年4月7日に、落慶式並びに、住職の晋山結制式が盛大に執り行われました。
大正14年建立の旧本堂 | 改築された新本堂 |
本堂建設事業の主経緯 | |
---|---|
平成元年 4月8日 |
護持会総会で雨漏り状況説明、修理費予算計上したところ、本堂屋根修理並びに、葺き替えについての意見あり、その後の世話人会でも問題が提起され、調査の必要性が生じた |
平成2年 4月8日 |
護持会総会にて、本堂屋根調査費を計上了承さる |
平成3年 3月17日 |
護持会役員会議にて、本堂調査委員会が発足承認され、本格的な調査活動に入った |
4月 8日 | 護持会総会にて、本堂屋根調査結果を報告、本堂見積もり等承認さる |
5月18日 | 常任建設委員を選出 |
8月17日 | 本堂調査経緯報告書を檀信徒に配布 |
11月11日 | 本堂建設委員会発足 |
12月 9日 | 「本堂・大玄関建設趣意書」を檀信徒に配布 |
本堂の基礎(裏より正面側) | 本堂の建前(鐘楼側より) |
平成4年 1月末〜 |
寄附欅等の伐採作業を開始 |
1月25日 〜2月9日 |
切通し茅沼地区を皮切りに、順次各地区での説明会を行う |
2月13日 | 「寄附額と納入方法のお願い」を檀信徒に配布 |
2月14日 〜4月13日 |
坂下地区を皮切りに、順次各地区で寄附お願いの活動実施 |
5月17日 | 本堂・大玄関客殿の仕様原案を作成 |
9月18日 | 本堂・大玄関客殿工事の契約調印 ((有)勝又工務店) 「本堂建設寄附に関するお礼と中間報告」を檀信徒に配布 |
上棟式(平成6年12月18日) | 上棟式の餅撒き風景 |
平成5年 7月17日 |
本堂寄附欅の製材を開始 |
11月 9日 | 本堂前と滝側の植木を移動し、道路拡幅工事完了 |
11月17日 | 本堂建設許可が認可さる |
平成6年 1月22日 |
「本堂・大玄関の解体に関するお願い」を檀信徒に配布 |
4月 8日 | 大正建立の本堂で最後の大般若会、並、十八世天産道契老師五十回忌、十九世匡倫博道老師二十三回忌等の法要厳修 |
4月13日 | 本尊様及び仏具等を移動(書院を仮本堂とする) |
5月 7日 | 本堂解体式 |
5月 9日 | 本堂解体工事開始 |
5月30日 | 本堂地鎮式 |
6月21日 | 本堂基礎工事開始 |
8月22日 | 石屋作業開始(犬走り甲ピン作業) |
11月28日 | 本堂建て方開始 |
12月18日 | 本堂上棟式(快晴 撒餅5俵 など大賑わい) |
落慶晋山結制式前日 (平成8年4月6日) |
二十一世晋山式 (平成8年4月7日) |
平成7年 2月23日 |
唐狭間(欄間)発注 (富山県井波町 番匠屋来山) (注)現在は合併により、富山県南砺市本町となる |
3月末 | 本堂屋根板金作業開始 |
6月30日 | 本堂鬼取りつけ祈祷式 |
9月28日 | 本堂須弥壇据え付 |
10月 4日 | 新本堂に、本尊様等安置し法要 |
10月16日 | 大玄関客殿上棟式 |
10月19日 | 天蓋幢幡を取付 |
平成8年 2月10日 |
本堂・大玄関客殿の引き渡し |
2月13日 | 造園工事終了 |
3月 4日 | 敷石工事完了 |
4月 7日 | 落慶式並びに住職晋山結制式 |
8月 4日 | 円鏡調印式 |
12月21日 | 唐狭間(欄間)山鵲・鳳凰・迦陵頻伽・朱雀の納入完了 寄附単役員構成額取付け完了 |
新本堂(大間・内陣) | 新本堂の妻側屋根 |
平成9年 2月22日 |
会計監査 |
4月 8日 | 本堂建設の会計・事業報告 |
4月19日 | 本堂建設委員会解散式 |