法雨山甘露寺は、楠木家ゆかりの菊水を寺紋とする
寺伝によると、甘露寺が菅沼のツウジハナの地に建立されたのは、
正勝公は若く血気盛んな頃に、南朝方の武将として吉野山の西部十津川方面で戦いました。その敗色のこい戦いで、人間の運命のはかなさを知り、仏門に
楠木正勝公は、応永11年(1404)(一説には、応永18年)1月15日行年61歳で、ゆかりの奈良県吉野郡十津川村字武蔵の地で生涯を閉じられました。
寺は、天文9年(1540)一時
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関東大震災で倒壊した本堂 (屋根上に立つ十八世深谷道契老師) |
五世の元禄2年(1689)に本堂を再建、七世の代に
甘露寺では、平成3年(1991)春、菅沼ツウジハナ(現国道246号バイパス菅沼交差点・小山町立青少年会館付近)の地に『甘露寺開創の地』の碑を建立し、昔を偲び今日あることの喜びを新たにして、感謝をあらわしました。
又、平成14年5月下旬には、開基様の六百回忌を1年後に控えて、奈良県十津川村にある楠木正勝公の墓参を行うと共に、分骨をして頂き開基塔に納骨し、平成15年5月24日六百回忌の法要を済ませることができました。
甘露寺本堂横手の小高いところに、開基塔と並んで
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楠木正勝公の墓 (奈良県吉野郡十津川村) |
開基様の分骨壺を 納める石櫃 |
左:分骨を納めた開基塔 右:宝篋印塔(指定文化財) |