心月庵のこと


 心月庵は、森町立森幼稚園北側の山の中腹にありました。その跡地は、現在、庵山公園として整備され、日清戦争以来の戦没者を祀る遺芳塔や町指定文化財の観音像が建てられています。


 心月庵跡に整備された庵山公園











           庵山公園内の観音像
            (森町指定文化財)



 公園への登り口に、次のような案内看板が設置されていました。

  
   庵山(あんやま)

 『遠江國風土記傳』には「心月庵 大須賀五郎左衛門の墓所なり」と記されている。庵山の名は、心月庵があったことに由来すると思われるが、これを大須賀五郎左衛門に当てたのは、かつて山麓にあった五輪塔に由緒づけられたためと考えられる。しかし、この五輪塔(のち梅林院境内に移された)は、地輪に刻まれた記年銘・法名から推して、被葬者は五郎左衛門ではなく、弟の五郎兵衛康胤とするのが妥当である。また、そのように記された古記録もある。
 なお、明治初期の「寺院明細帳」によれば、心月庵は、山城國嵯峨の黄檗宗浄住寺の末で、支那僧鉄牛により、延宝八年(1680)に開創し、明治三十八年(1905)富士郡岩松村梅岡寺へ合寺されたことになっている。
  平成元年十一月
                   町制施行百周年を記念して建立  森町


寿真庵TOPページ表示