〜 美肌地蔵エピソード 〜

 はつよ婆ちゃんから聞いたお地蔵さんの話


 大正4年生まれのはつよ婆ちゃんは、17歳で寿真庵にお嫁に来ました。ひ孫からは「はっちゃん」と呼ばれていました。
 そんなはつよ婆ちゃんから聴いたお地蔵さんの話です。

 寿真庵の境内に祀られているお地蔵さんについては、資料が不明で、由緒もよくわかりません。
 はつよ婆ちゃんがお嫁に来た頃には、すでに古びていて、その昔には、豊漁祈願の漁師さんたちがお参りされていたとのことです。

 昭和40年頃までは、痘痕(できもの)を治すご利益があると評判で、ニキビなどに悩む娘さんがお参りする姿をよく見かけたそうです。

 その頃は、「かさ地蔵」と呼ばれ、願い事が叶った人は松かさ(まつぼっくり)を首飾りのようにして奉納していったそうです。
 
 ある時、お礼参りに来ていた人に話を聞いたところ、ひどかった子供のできものが良くなったとのことで、その方は、その後も熱心にお参りを続けられたそうです。

 また、夫である15代住職の律三和尚が宇治の黄檗山萬福寺に勤めていた時期に、留守を守っていた息子(後の16代住職)から、お地蔵さんの「ほこら」が寄進されたとの連絡がありました。事情を聞くと、息子のできものが治り、縁談に恵まれ孫も授かったとのことで、そのお礼だったそうです。この時、はつよ婆ちゃんは、身体が不自由な律三和尚の付添いとして宇治に滞在していました。

 ご利益なんてものは、お参りする人の心持ちしだいかもしれません。でも、それで救われた人たちがいたという、チョットうれしいエピソードです。



< 参 考 >
 島田市初倉地区にも「かさ地蔵」と呼ばれる墓碑があり、その由来について、初倉郷土研究会が平成20年に発行した「ふるさと草誌『はづくら』=歴史と文化の伝承=」(著:塚本昭一)に以下のような紹介記事があります。


ふるさと百話 =第25話=   谷口原・法林寺

   「かさ地蔵」

 谷口の法林寺の墓地の一隅に古びた無縁の墓碑が一基ある。
 村人はこれを「瘡地蔵」(かさぶたぢぞう」といっている。
 そして、この墓碑の前には地域の人たちによって無数の松毬(まつかさ)が供えてある・・・という。
 これは松毬の「カサ」と瘡「カサ」が相通じることから迷信であろうと言われるが、伝えられる話によると、昔一人の旅人が微毒の病で行き倒れになった時、「自分の死後を祀って欲しい」と和尚に頼み「叶えてくれるならば、必ず瘡で悩んでいる人を救ってやる・・」と言って死んで行った。
 そこで心ある地域の人達によって松かさ供養が続けられている。
 

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