お稲荷さん


 寿真庵の境内にあるお稲荷さん(ダ枳尼天)については、明治42年に書かれた稲荷堂建立に関する文書が残っています。これは、当時の住職であった脩民和尚が書いたものす。

 そこには、明治38年(1905)9月に森町の心月庵より遷座されたものであることが記録されています。心月庵は、脩民和尚が住職を務めていたお寺です。

 心月庵でのお稲荷さんの由緒としては、元治元年(1864)12月、善頂和尚が総代らの賛同を得て、豊川妙厳寺からダ枳尼天の御分身を拝請することが叶ったとあり、ます。「森郷閭ニ在リテハ四民ノ信仰浅カラズ」と記されています。

 しかしながら、心月庵の善頂という和尚がどんな方で、どんな発願をされたのかがわかりません。黄檗宗の歴代僧侶を記録した「黄檗宗鑑録」でも善頂という名前を見つけることができませんでした。脩民和尚の記述でも「住僧善頂ナル者」と表現されています。

 その心月庵が富士の梅岡寺に合併されることになりました。その時のことを脩民和尚は「明治37年勅令第220号寺院合併ノ旨趣ニ基キ本件富士郡岩松村梅岡寺ニ合併ノ止ムヲ得サルニ至リタル」と記しています。
 本来ならば、お稲荷さんも富士に移転されたのでしょうが、脩民和尚が、別れを惜しみ、梅岡寺との協議のうえ、移住先である寿真庵に遷座させたとのことです。


      心月庵のこと


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