寿真庵今昔話 〜 はつよメモ 〜


 はつよ婆ちゃんが寿真庵の年中行事にまつわる思い出をレポート用紙2枚に書き綴ってくれました。
 
 改行や句読点は適宜入れましたが、旧仮名づかいのままご紹介します。


 7.24日 お地蔵さまの御縁日
 昔はテレビも何もなくて、楽しみが少なかったので、寿真庵のお地蔵さまの御縁日は、町内の若い人達が寿真庵の境内へ土俵を作り、相撲を取ったりしたと言ふ事は聞いた話しだけれど、私が来た頃も、24日の御縁日は家の玄関から座敷の方まで幕を張って、お花の陳列をして、姑がお花の先生なので、数人のお弟子さんは、何杯か生花を飾り、夜まで露天商まで出て来て、これは智君も覺えているでしょう。四角い燈籠に川柳をかき、まんが的の絵をかいた燈籠を各家毎に軒へ飾り、町内の人達も他町の人までもお参りに来て、生花を眺めたり、結構賑やかでした。
 お地蔵の前で、ござを引き、お念仏のお年寄りが15、6人来て、お念仏を申してくれたり、お念仏が終ると、ちらしずしをふるまって、駄菓子を食べて1ときお喋りするのも年寄りの楽しみでした。

 又、9.22日は、お稲荷様の御縁日、この日は御々盛大に、これは大分後になったので、やっぱり燈籠を各家毎に飾り、婦人会総出で、10日程前から町内の人達が出て、度々常会を開き、「今年はどの様に」と相談したものです。
 婦人会が、町内のみなさんにお願いして、お米やお金を寄附して貰い、頂いたお米は、大津通りの麹屋へ持って行き、甘酒の支度をして、22日の当日は、おすしや甘酒を売って、又、小林さんが材木屋なので、材木を却々しっかりした材木(を)寄附してくれ、立派な屋台を作り、町内の子供が数人踊りや唄を歌ひ、踊った子供にお菓子を与へたり。
 この踊りも、床屋さんが、当時総務でしたので、お稲荷様の会計も受け、新間さんの奥さんが踊りの先生だったので、夏休み中に踊りを教へて、9月のお稲荷さんにと、一生懸命お稽古したものです。
 当日の夜は、庭にも幾つか電気をつけ、境内を明るくして、みんな踊りを見に来て、婦人会で開いたバザーで、甘酒を呑んだり、おすしをお土産に買ったり、却賑やかでした。
 小林さんのお母さんも、仲よしのお友達を呼び、家の前のローカへ招待して、甘酒で取持ちながら、踊りを見て貰った事もありました。

 4月8日のお釈迦さまの花まつりは、お釈迦様のお社の中のタライに甘茶を入れ、お釈迦さまをタライに改めて、本堂の前に飾り、町内のみんなが、お寺のお釈迦さまへお参りに行こうと、みんな甘茶を好きなだけ呑んだり、持ち帰ったり、大人の人も結構甘茶が好きな人もいて、それぞれ、ビンや器を持って来て、お代りした人もあり、子供も喜んで、昔は子供も大勢いたので、甘茶を貰ひに来る子供も大勢で、これも子供の楽しみでした。
 お釈迦さまのお社は、前日から横井の方まで草花を摘みに行き、すみれ、れんげ草、たんぽぽ、その頃は、家の周りは全部、杉の囲いでしたので、杉の芽も摘んで、社の屋根にいっぱい貼り付け、社をきれいに飾り、甘茶もたくさん朝から沸かして、近所の人達にふるまったものです。
 甘茶を貰いに来た子供も、今は覚へている人が何人おりますやら。亡くなった人もあり、区画整理で、それぞれ引越して行き、淋しくなりました。

 ちなみに、私は、17才で嫁ぎましたけれど。

 昔は、伊勢神楽も全国を廻って歩いていました。
 これも、毎年、島田へも来ましたので、顔なじみになってしまいました。
 神楽のカゴをお稲荷さんのお堂へ預かって、神楽廻し5〜6人は、日之出の魚伊勢旅館へ泊っていましたので、この神楽の芸人も、お礼に境内で一寸した芸を見せてくれ、各家庭を家内安全を祈りながら何かしの志を貰って、志の多い家の前では、片肌ぬいで、一寸踊りを踊って行きました。
 近所の人は、こんな神楽にも楽しんでいました時代です。
 

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