豊運庵と寿真庵


 「寺院明細帳」や「黄檗宗末寺帳」によれば、寿真庵は白岩寺の末寺でありましたが、東海道島田宿には白岩寺の末寺がもうひとつありました。

 豊運庵は、元禄7年(1694)に白岩寺の末寺として創建されましたが、明治時代に大阪市内へ寺籍を譲渡されています。静岡県庁に保存されている「寺院明細帳」には、『本尊 釈迦如来』と記されています。

 島田市立図書館叢書第14集「島田駅志」には、次のように記されています。
『城隍廟の北に在り。没字の碑あり一切経巻を埋めし処といふ。庭中の仮山以て月を賞すべし。而して寺後に竹樹茂ること密にして幽邃(ゆうすい)の地なり。』

 また、郷土史を研究していた市民の方が著した「島田六合大津大長 郷土史稿」には、『元禄7年12月9日御開帳をなした』との記述があります。

 豊運庵のあった場所は、寿真庵近くの島田市大井町(大井神社北側)で、豊運庵7代住職の慧定如照は寿真庵5代住職でもあったことから、両寺院は深い関係にあったものと推測できます。

 豊運庵が移転した跡地には弘法堂が建てられました。隣には公会堂も建てられています。その弘法堂も、老朽化のため、平成21年4月に取り壊されました。

 白岩寺には、豊運庵8代住職 靈雲如瑞 の墓があります。この方は、白岩寺7代住職 圭峰衍到の弟子にあたり、大阪の瑞龍寺(通称:鉄眼寺)の33代住職も務められた方です。



豊運庵跡地に建立された弘法堂



お堂の脇に建つ「不許葷酒入門」の石彫が、  
かつてそこが禅寺であったことを忍ばせていました。


今は、弘法堂も取り壊され、駐車場となっています。






 大阪に移った豊運庵は、現在、「豊運寺」として大阪市東住吉区にあります。







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