IRANIAN TEA and My IRAN 2015 & 2016 RECORD
Menu
イランは長年、国際舞台から遠のかれていた。IAEAの核査察をごまかしてきたららである。国連からも経済制裁を科せられた。
しかし、2015年末に、やっと核開発を辞めることを宣誓し、経済制裁が解かれた。
ならば、製茶機械も売れるのでは、と、偵察に出掛けた。イランの茶産地カスピ海に面したラヒージャンに出掛けた。2015年11月のことである。
サイードの店はバザールの正面にある。
サイードの息子。フクロウの様な大きな目がかわいいのだ
タブリツ・バザール。マルコポーロが世界最大のバザールと記している
オリーブが街道筋に並ぶ。
帰路。イランの道路は世界一立派。
イタリアのIMAの包装機も隣に並ぶ
翌日は国立茶業研究所で講演をした。
中国製色彩選別機。日本製が元祖で2千万はするが、中国製が3百万円位。韓国製が5百万円
釜炒り機の内側。すべてイラン製。誰でも作れる機械である
紅茶が主力だが、釜炒り緑茶ラインがあった
塩漬が旨いが、イラン製は旨くない。トルコの方が漬けかたが上手である。オイルだけでなく漬物が欧州では人気がある。
アフリカ企業は日本のふそうの梱包機が入れられていた
ラヒージャンにはアフリカ企業が進出していた。そこに呼ばれて翌日訪問した。
茶業会議所ビル 立派な設備である。 ラヒージャン市内
茶業関係者が集まり、私と落合の講演を聞いてくれた
イランの茶
「経済制裁が解かれる」 動きが出てきたので、早速イランへ出掛けた。
ラヒージャンが産地であった。カスピ海に面した暖かく雨量の多い地方である
沙漠の大地は無限大。塩が噴き出る厄介な土壌である
タブリツの西郊のシルクロードの橋
サイードの自宅の食卓
ベヒザデ家族。息子(中)、娘とその亭主
山の向こうまで茶園が続く
Menu
農園の管理小屋。泊まり込みで農作業をしている。採れ出したら、日本へ輸入する予定。
40年前のヒマラヤの友、ベヒザデは農業省を定年後、ボランティア組織の事務局長で頑張っている。背後はその建屋。
オリーブの木。11月下旬だと言うのにまだ採っていない
国立茶業研究所
TABRIZはイラン第二の大都市。西の山上からの眺望は天下一品
イランの茶園もトルコ同様レベルが低い
タブリツからヒマラヤの僚友ベヒザデとサイードを連れ3千bの峠を越えてカスピ海へ向かう。
幼木が植えられていた
サイードはタブリツから西へ1時間ほどの所に、ピスタチオの畑を経営しだした。
晩秋の朝早く公園にジョッグに出掛けた。緑多い公園である
タブリツの高速道路。米国の経済制裁は感じられない。大変な交通量。
サイードのナッツ店は大繁盛、際限なく客が来る
サイードの自宅に数日泊まった。豪華宮殿である。息子がサッカーで遊ぶ広さ。日本の教室の広さ