1996年以来18年振り二回目のインドネシア訪問記です。
今回は仕事での訪問である。旧来の友人からの依頼で出掛けた。
驚いたのが、首都ジャカルタは上海を越す高層ビル群の出現である。
日曜朝のジャカルタをジョギングに出掛けると、何と片側5車線の目抜き通りが遊歩道と化し、ジョッガーに開放されていた。
毎週の事の様で、自転車も含めてのどかな風景である。排気ガスの減少、市民の健康管理に素晴らしいことである。数十万の参加者であろう。
インドネシアも中国同様、国民生活が急上昇しているかに見えるが、さならず、裏道に入れば汚く貧しい限りである。
それでも、18年前に較べれば、国民生活水準は少しは上向いているように見える。
バンドン汽車駅。汽車に初めて乗った。バンドンージャカルタが110000Rs(ルピア)¥1000円と大変安い。又、予想に反して綺麗であった。勿論特急
Savoy Homann Hotel Bandung。  1955年第一回アジア・アフリカ会議が開催され。このホテルが各国首脳の宿泊した。ナセル、ネルー、周恩来、スカルノ等が宿泊した。我々もここに4泊した。
インドネシアは大変な親日国である。町中のパン屋には「おいしい出来立て、、、、」と書かれていた。
インドネシアの各地に茶があるようだ。しかし、当地バンドンの南30kmにガンブン国立茶業研究所がある。と言うことは、当地がもっとも盛んな地である証である。その近郊の写真である。日本に似た茶園であり、栽培技術も世界では上位である。
茶業研究所がしっかりしているからである。
遥か彼方の山々まで茶園が続くのどかな風景である。
茶刈り機が普及してきたようだ。つい最近、日本のオチアイの茶刈り機が100台程輸入されたと聞いた。
招いてくれた地方政府で半日の講演を終えての記念写真。  国営茶業企業を訪問した。揉捻を用いた製造機械は、スリランカ製であった。製造技術もスリランカ流である。しかし、設備は古い。100年遅れている。そして、作られた茶の品質(紅茶)は悪い。まずい。国営企業だから、であろう。
紅茶工場の生葉の萎凋の様子である。この工程が紅茶造りでは最も大切である。しかし、この国の方法は間違っている。
茶葉は生理的に死に態に近づくと、萎凋香を発する。萎凋時間が12時間がピークとなる。昨今の日本の研究者
発表している。ところが、インドネシアのこの萎凋室には香りがしない。24時間もしていて長過ぎる。
これは近くの民間の工場であるが、緑茶の釜炒り製造工程である。中国の製法である。日本の緑茶は蒸気で殺青(熱で細胞の動きを止める)する。非常に原始的に、薪、石炭を熱源としている。製品はアフリカ、中近東に売られる。
釜炒り後にこの揉捻。ダブル・アクションと言われる上下ハチと揉盤が動く。インド製。 右は乾燥機。熱源は木炭。
首都ジャカルタでは想像できない「馬車」が走っている。TAXIである。
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