中国の茶 
 私が勤める且專c製作所の定例の人事異動で2006年9月より、営業部・海外担当を命じられた。長年の技術部門からの移動であった。定年前に一花咲かせてやるよ、なる粋な計らいと解釈し、快く引き受けた次第です。
 尚、昨年から、マルコポーロ計画に、会社から協賛金をいただけるようになった。最初は、クビを覚悟で実施し出しました。

 当ページは、仕事で得た情報であり、私的な当HPでの発信に大いに制約があるものと思っています。 お客様、会社双方に支障のない範囲で、中国の茶事情を発信したいと思っています。

 英国のロンドン国立図書館の中国研究者のフランシス」・ウッド女史は著書  「マルコポーロは本当に中国へ行ったのか」で、東方見聞録に「茶」の事が一切書かれていないのは?  との疑問を呈しています。
そんな研究もしてみたい、と思っています。

 
日本からは、上海へ入り、その後各地へ移動する。
上海は、予想以上に近代的名大都市であった。

長い出張時にたまの休日とし、地下鉄で川向こうの浦東(プートン)に行き、上海の町並みをプートン側かわ見たのが左のスケッチです。

運河には船がひっきりなしに往来し地上には摩天楼のビルが林立し東洋の経済の中心地と云った上海は今も健在なり。

上の教会は、上海繁華街の中心地の人民公園北東の教会です。
背後の「中福・・」と描かれた建物が我々の定宿の「中福大飯店」

上海浦東発展銀行。
上海市内の東側に沿って流れる黄浦江は運河である。この運河沿いは、古い建物が数多く残っている。

出張の度に、時間を見つけてこうした古い建物を一つづつ描いていこうと思う。
このスケッチをしているときも、多くの見物人に囲まれてしまう。
上手であれば良いが、この様に下手な絵では、覆い隠して、シーシーとギャラリーを追い払うのが常である。
上海名物 タワー

地下鉄駅からタワーを目印にブラブラ歩いた。
過って世界一の高さを誇っていたビルを過ぎ、更に再び世界一を目指して建設中のビルを過ぎると前方に現われたのが、名物上海タワーである。
(東方明珠塔が正式名称である)

街路樹の木陰で見上げて描いていたが、1階と地上部も描きたかったのだが、スペースがなくなって、この通り、基礎のないビルとなってしまった。

色付けは帰国して、色エンピツで塗った。
江南省信陽市 西方地方の茶園

信陽市の役人さんの案内で、当地の茶園の視察をした。

中国はどこへ行っても貧弱な園相の茶園ばかりであったが、当地の茶園はまずまずの園相が多かった。

清々しい風景につられて湖岸に歩み寄ると、対岸彼方に茶園が続いていた。すると、どこからでもなく「人声」が聞こえてきた。直ぐ近くに聞こえた。ジーッと辺りを見渡すが、、、やっと見付けた。

遥か彼方の湖上を数人の人を乗せた筏が進んでいた。
スケッチには描けない点の様な大きさであるが、大きく描いた。

4百〜5百b先の人声がハッキリと聞き取れる異常な静寂さに驚かされた。日本ではとても考えられないことである。
淅江省杭州市 西湖湖畔

中国の茶の中心地である杭州市は西湖と言う風光明媚な自然を保有している。

マルコポーロは著書の中で、キンサイと言う名で杭州を紹介している。
世界中で最も美しく、商業の発達した町である旨書かれている。

移動間際の寸暇にスケッチして色は帰国して塗った。

橋の右手のイタリア・レストランで洋食の昼食を食べて、ベンチの空くのを待って描いた。
人影を入れたい。
四川省峨眉山

幹線から1時間余も山中に向かうと、山のてっぺんまで耕された茶園の風景に出会った。

見上げる稜線は霞んでいた。
新緑の春に来れば、さぞかしすばらしい景観になるであろうと思った。

湘豊茶業旧司 庭園
当工場主の湯しには、様々な贈り物があるようで、当さるすべり、が工場周辺に数十本植えられている。友人からの贈り物だと聞いた。
その、さるすべり、が9月になると見事に咲いた。可憐なピンク色をしているのだが、私の技術ではとても、その色を出せないのでご勘弁。

背は低いものの、樹齢100年は経っているであろう。下部の幹は太く、立派である。
湘豊茶業旧司の入り口付近の春の風景

中国の春は菜の花が咲き乱れ、国土を黄色に染め上げる。
湘豊茶業旧司の裏山をジョギングで進むと開墾された見事な茶園に出くわす。
まだ、朝の6時だと言うのに、自転車を押して辿りついたご婦人たちが、急いで茶摘を始めた。
手積みで「芽」だけの摘み取りは1日摘んでも数キロであろう。
左スケッチ・福建省北部松渓市地方の茶園と国営釜炒り工場

福建省北部の武夷山市から車で2時間程で建?市まで南下し再び東北方向へ2時間程行くと、茶園が延々と続きだした。松渓市に入る。

貧しい農村地帯である。
山間の細い道を辿る。日本の田舎に似た狭い田んぼは既に秋の刈り入れが終わっていた。
すると、予想だにしなかった狭い谷に当スケッチの工場が現われた。

元国営製茶工場であったと言うが、余りにも貧弱な設備にもの悲しさを感じた。工場内から見上げる屋根は穴だらけで、明るい空がすけていた。
薄暗い工場内の機械は、昭和の初期の代物と云った骨董品である。現役のこの工場の年間生産量はたったの300kgであった。トンの間違いかと質したが、kgが正解であろう。

背後の茶園に案内されて見下ろした風景画が左記のスケッチ画です。
夕闇迫る中国の田舎風景です。

うれしかったのが、この近くに、近年日本向けの緑茶工場が出来て、日本の大橋さんが来てくれて、各種の指導をしてくれているとのことである。
大橋さんとは旧知の仲である。

彼が来てから、雑草に埋もれていた茶園が復活しだした。
茶葉の価格も上昇し、農家に活気が出てきたと工場責任者が云っていた。

中国の茶の生産量は82万トンです。
淅江省、福建省が双へきで、安徽、雲南、湖北、湖南、河南、、、と中国南部から東部の沿海に面した地方が産地です。
詳細な数値は、一般的なWebや茶業研究書で調べてください。
地元の省毎に研究所があり、これ等の発する数値と一般に流布している数値が大きく違っていることがたくさんあります。
どちらが正しいかを詮索する気持ちは私にはありません。
どちらも違っているのが実状ではないかと思います。
正しい数値は、省も国も掴めていないと思います。
日本のように、農協の組織がないので無理でしょう。
製品である荒茶の販売も、市場に流れる物が少なく、多岐にわたるルートで売買されています。
河南省信陽市光山県

 中国で悲しいことが沢山ある。
市場経済への変革で、すざましい勢いで経済発展をしている影で、歴史文化財が見捨てられている。
左図も然り、田舎町の光山市には近代的なビルはあるが、文化遺産たるものは、唯一この仏塔だけである。
その仏塔は街の中央に在るにもかかわらず、雑草に覆われて近づくことも出来ないほどの荒れ模様である。
仏塔にも雑草が茂り、哀れな姿で立っていた。

夕方にスケッチを終へて、帰ろうとしたら、赤い夕日に覆われた。

四川省成都
三国志の劉備玄徳の菩提寺の前のチベット、レストランからのスケッチ。

成都はきれいな町で、私にとっては、杭州と同様に好きな街である。
2007年9月10日に上海事務所をオープンしました。
私が初代所長です。正式には、株式会社寺田製作所上海事務所 主席代表です。
半年掛りの面倒な申請手続きでした。
たった三人の所帯ですが、本社の最大組織「九州支社」25名。の売り上げを追い越すことを目指しています。
事務所の近くの
シューチャーフュエ公園内の古い建物を改造した現役レストラン。

実物は遥かにすばらしい。
私の絵では十分に表現が出来ていない。
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