Africa Tea Plantation

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茶工場のオーナー、ワサイ氏は米国人である。
そのワサイ氏は1960年代からルワンダに移住して、茶の栽培を始めた。多くの困難を経て、今日の基盤を作った。虐殺後、ルワンダはアフリカの奇跡、として注目を集めている。その源がこの会社SORWARHE社である。
 フランス、オランダの宗主国の配下で虐殺が起きた。
その後、米国が肩代わりして、今日の奇跡を生じた。
その奇跡の源がSORWATHE社であり、当時の国務長官ヒラリークリントンから「米国人の会社で世界で最も活躍した会社」として表彰を受けた。彼女はトランプに負けてしまったが。
 当写真はその表彰模様を伝える雑誌である。
3年前の訪問記ですが、その後の引き合いもなく、それっきりとなりました。
アフリカ中央部のルワンダ(過って虐殺の国)を訪問したときの2013年の記録です。
It is a visit to Rwanda in central Africa.  It is a record of 2013.   It is a country known worldwide for genocide.
African Ladys
 
首都キガリ市中は現在は極めて安全。
私は毎日ジョギングで街中を走りまわっていた
虐殺の最中、被虐殺者の数千人がこのホテルに駆け込み、Hotelのオーナーが必死で救う物語。実録である。映画もこのHotelでロケされた。
通学途中の「女生徒」
中央が社長の Rohith Peiris (Sri Lankan)
CTC工場、生葉100トン/day の処理量の工場内部。肝心のCTC機械の写真がなかった。
同社のゲストハウス。3つ星クラスの快適なハウス
Rwanda Capita KIGALI air port
UN Air plane Dangerous area this zone
Via Port of Entebbe in Uganda .
首都KIGALIの市中。SORWATHEの本社所在地
Director General Rohith Peiris
映画「RWANDA」の主会場となった
Hotel「Rwanda」
日本緑茶を真似て「緑茶が作られていた。
私の訪問目的は、この緑茶を世界的なメジャー
してほしい。との要請で出掛けた。
品種だ駄目で、カテキンの少ない品種を使え、と伝えた
工場の塀を越えて、市中に出掛けたスナップ。
平和で穏やかな部落であった。
オーナーが米国人のSORWATHE LTD 
製茶工場
Rwanda
空港には、トヨタ・ランクルが出迎えてく入れた。
首都キガリは赤道直下だが、以外にも涼しい
標高が1500mもあるからだ。
招待をしてくれた「SORWATHE TEA LTD」 のゲストハウスからの朝の風景
霧の下は一面茶園が続く。
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私の初めてのアフリカ上陸である。
My first time AFRICA at KIGARI air port
私の相棒、スリランカの Mr Laksiri とは、
ドバイで合流した。